第50話 世界と本妻と魔女は懸念する(前編)
大陸北にある大渓谷のちょうど山間――
麓の村々からは雲がかかって仰ぎ見ることすら出来ないような断崖の上に、その天空都市は存在する。
もっとも、都市とはいっても住人のほとんどが聖職者で、他には雑事や下働きする者しかいない。あくまでも小さな街程度の規模しかないわけだが、ここは法国の中枢たる大神殿郡だ。
「はあ……はあ……」
そんな大神殿郡の中央通りを駆け足で過ぎる青年がいた。
この街のほとんどの者が白か銀の聖衣を纏っているのに対して、この青年だけは黒い制服を身に着けている。
だからといって、別段害されているわけでも、下に見られているといったわけでもなく、その青年は最奥にある小山まで走り抜けると、そこで「ふう」と息を整えた。
小山のもとにはどの様式にも属さない簡素な石造りの屋敷があった。
青年は黒い制服を片手でぱんぱんと払ってから、「よし」と佇まいを正すと、
「入れてくれ。魔術学校より至急の用件になる」
屋敷の門番こと神殿の騎士に声をかけた。
どうやらこの青年は王国の魔術学校からやって来た使者らしい。しかも、幾度も訪れているのか、門番ともずいぶんと顔見知りのようだ。
だから、ほとんど顔パスのような格好で両開きの物々しい鉄扉が開けられると、そこには入口広間が見えてきた。
床は淡い色の大理石が敷き詰めてあって、その代わりに豪奢な絨毯や装飾具などの
「それでは向かわせてもらおう」
青年は気負うことなく、地下へと続く階段を下りていって、さらに先の石畳の回廊を歩んだ。
途中、灯りが途切れがちになったことで視界はやや暗く、その一方で遠くから喧々諤々の議論が耳に入ってきたわけだが――
ザっ、と。
砂利の敷き詰められた広間に青年が足を踏み入れると、急に沈黙が下りた。
さらに二歩、三歩、青年が音を立てて進むと同時に、いまだ薄暗い最奥から険のあるしわがれ声が発せられた。
「何事だね?」
「当校の
直後、仄暗い闇の方々から声が上がった。
「
「番号付きでは、最早魔族を押しとどめられまい」
「落ち着け。あるいは女神クリーン様の再降臨やもしれないぞ」
「もしそうじゃとしたら、わしゃ、是非とも聖書にサインをもらいたいものじゃな」
すると、カンっ、と。木槌が叩かれる音が響いた。
「皆の者、静まれ。して、使者よ。その聖なる光はどこで見られたのだ?」
「当国の辺境にある街、イナカーンがある方面――それも『初心者の森』の奥あたりです」
「ほう。やはり、
しわがれ声がそう尋ねると、一瞬だけ仄暗い広間に「ごくり」と唾を飲み込む音が幾つも重なった。
青年にもそんな緊張が伝播したのか、ふるふると震える声で答える。
「当国の……星詠みたちが言うには、こ、今回の聖なる光は――つるっとして、ぴかっと」
同時に。つるっとして……ぴかっと……
という厳かな声が幾つも追随して重なって、まるで念仏のように響いた。
言うまでもないが、この聖なる光なるものはFランク冒険者のリンム・ゼロガードのやや広くなってしまったおでこに月明りが反射して天に駆け上がったものに過ぎない。
もちろん、これまで星詠研究機関において観測されてきた幾多の輝きも、全てリンムのつるっとしてぴかっとに違いない。
つまり、リンムの無駄な煌めきはこの地にて不可解なバタフライエフェクトを生み出していたのだ……
「なるほど。光度はすでにその域にまで達しているのか」
「今回の件で当国の星詠みたちは確信しました。これは間違いなく――
「そういえば、かの地にはたしか第七聖女を派遣していたな?」
しわがれ声が周囲にそう確認すると、
「その通りです。今頃はイナカーンに着いている頃合いでしょう」
「それでは至急、使いを出せ。奈落の調査だけでなく、神の加護を得た本物の聖女が顕現した可能性がある。その行方を追わせるのだ」
もっとも、この使いは折悪しく、聖女一行とは行き違いになって、間が悪いというかなんというか、結局のところ、当のリンムにおでこの煌めきを気づかせることが出来なかったわけだが……
何にしても、こうして法国はしばらくの間、リンムの髪の毛に悩まされるのであった。
―――――
拙作の初期タイトルを覚えていらっしゃるでしょうか? そうです。『万年Fランク冒険者のおっさん、なぜか救国の
まあ、ネタバレすると、法国はお偉いさんたちが薄暗い地下で、「つるっとしてぴかっと」とか、「つやつや、ぱーっと」とか、そんなリンムの局所的な煌めきについて唱和し続けるだけの場所に過ぎないので、最早、ストーリー上はさして重要な場所でもないのですが……何はともあれ、後半では帝国、王国、そして戦場となっている公国に加えて、第50話サブタイトルの「本妻」の意味も分かって、さらにすたこらさっさしたあのキャラも早速再登場します。よろしくお願いいたします。
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