第47話 伝え聞く

「ところで、奈落はどうするんだい?」


 大妖精ラナンシーが問いかけると、


「それなら、そこにいるリンムが壊しましたよ」


 ダークエルフの錬成士チャルは手短に説明した。実際に、湖畔の奥には魔力マナの塊とでもいうべき扉の破片がそこかしこに転がっていた。


「ふむん。ところで……チャル。あれを見ても、まだそんな寝言がいえるのかい?」


 ラナンシーが「はあ」とため息をついて、湖の方にくいっと親指を差すと、水上には真っ黒な大穴があった。


 どうやら魔王アスモデウスが潰えてその魔力が消え始めたことで、認識阻害が解けて、本物の・・・奈落が姿を顕したようだ。


「……すいません。どうやら私は相当に平和ボケしていたようです。リンムが壊したのは偽物ダミーに過ぎなかったということですか」

「そのようだね。何ならモタをここに呼んで喝でも入れてもらおうか?」

「そ、それだけは勘弁してください!」


 ダークエルフのチャルが両手の指先までぴしっと伸ばして直立したものだから、そんな姿をまじまじと見ていたリンム・ゼロガードもさすがに、


「魔女モタという方はそんなに恐ろしい御仁なのか……」


 と、ぼそりとこぼした。


 すると、ダークエルフらしい耳聡さでもって、チャルはその言葉を聞き取って、


「私だけで済めばいいのだ」

「……ん?」

「下手をしたら、この大陸の全ての人族や亜人族のおけつがガバガバになる。それだけは何としてでも回避せねばなるまい」


 そんな悲壮な表情を浮かべるものだから、リンムも白々と宙を見つめることしか出来なかった。


「さて、師匠。あの奈落とやらはどうすればいい?」

「そうさね。そこにいるクリーンの技を受け継いだ聖女に封じてもらうのが手っ取り早いんだが――」


 すると、大妖精ラナンシーの言葉を切るようにして、ダークエルフのチャルが「それだと厳しいかもしれません」と意見してきた。


「先ほど、手紙にしてお渡しした通り、この大陸西の公国にあった奈落が開いたことで有力な魔族が幾体か出てきました。同様に、ここからも出現したはずです」

「そうなんだよねえ……だから、一時的に封じたとしても、それらやからがここに戻ってすぐに封を解いてしまう可能性が高い」

「はい。ですから、壊せるのならば、そうするのが一番かと」


 チャルはそう指摘して、リンムをちらりと見た。


 もっとも、リンムは頭を横に振った。湖畔から湖上の黒穴までは距離があって剣が届かない上に、遠距離攻撃の居合だと力が減じてしまう。


 だから、ここはいっそ師匠の出番なのではないかと考えて、リンムもチャル同様にラナンシーに視線をやったわけだが……今度は肝心のラナンシーまでもが「やれやれ」とため息混じりに肩をすくめてみせた。


「詳しく調べないことには何とも言えないが、あの奈落には呪詛返しの罠がかけられているように見える。奈落に危害を加える者に対して、何らかの反撃をするものだ。それがどのようなモノなのか――精査しないことには簡単には手出しできないねえ」


 そんなラナンシーの回答に、リンムも、チャルも、「はあ」と小さく息をつくしかなかった。


「ところで、師匠。そのう……基本的なことを聞いて悪いんだが……そもそも奈落とはいったい何なんだ?」


 リンムは素直に尋ねた。


 昨晩、聖女ティナ・セプタオラクルは夜通しチャルを質問漬けにして色々と聞いていたみたいだが、リンムと女騎士スーシー・フォーサイトはすぐに寝てしまった。


 だから、リンムからすれば、奈落とはヤバそうな魔族が出てくる穴程度の認識しかなかった。


 どうやらスーシーも、またオーラ・コンナー水郷長も同じだったらしく、スーシーはいまだ湖畔に大の字になりながら、それにオーラも地に膝を突きながらラナンシーの答えに耳をそばだてていた。


「この世界は三つの層で成り立っているのは知っているかい?」

「三つの層?」

「ふむん。そこからか……面倒臭いな。チャル?」

「はい。では、私が変わって説明しよう。この世界は、天界、地上世界、地下世界の三つがある。このうち、地上世界を大陸、地下世界を冥界とも呼ぶ。ここまではいいな?」

「何だか……おとぎ話みたいだな」

「現実だ。頭を切り替えて理解しろ。で、およそ二千年前に興ったいにしえの大戦によって、天界は天族、地上世界は様々な種族、冥界は魔族が支配することになった。いわば、この地上の全大陸は天族と魔族との勢力争いの緩衝地帯になったわけだ」

「なるほど。そういえば、魔王アスモデウスが言っていたが、本土がどうとかこうとか……」

「今、お前たちがいるこの大陸は地上世界の辺境も辺境――外れの大陸に過ぎない。中央にはここよりも遥かに大きな本大陸がある」

「そ、そうだったのか……つまり、ここ『初心者の森』も、イナカーンの街も、外れの陸地のさらに片田舎というわけか」

「そういうことだ。さて、天界は天族、冥界は魔族が支配したといったが、およそ三百年前に事態は一変した。我らの王・・・・が偽神と冥王を討伐して、全世界を支配なさったのだ」

「なあ、チャルよ……俺らを担いでいないよな?」


 リンムはさすがに眉をひそめた。チャルの話はさながら伝承や神話だ。


 たしかにダークエルフは長寿の種族だし、大妖精ラナンシーは魔族だから不死性を有している。神代の時から生きていると言われても納得は出来るが……それでも人族のリンムではやはり頭が追いつかない。


 それはどうやら女騎士スーシーやオーラ水郷長も同じだったらしく、二人ともリンムの疑問に「うんうん」と肯くばかりだ。


「まあ、信じられないならば、言い伝えだとでも思えばいいさ」

「それで奈落とはいったい何なんだ? まあ、今の話で何となく察しはついたが……」

「ほう。では、その察しとやらを話してみろ」

「要するに、地上世界と地下世界を繋ぐモノなのだろう? 奈落という名と、大穴といった見た目から一方通行に見えたが……どうやら両方に行き来可能というわけか」

「その通りだ。なかなか飲み込みが早いではないか。ただ、どうやら……まだどこか納得いかないといった顔つきだな?」


 チャルがそう指摘したように、たしかにリンムは腑に落ちない表情だった。


「当然だ。さっきの言い伝えの通りならば、地下世界は我らの王とやらが支配したのだろう? だったら、この辺境の大陸に奈落を通じて魔族が攻め込んできたということは――その王の指示なのか?」


 リンムがチャルを真っ直ぐに見据えると、むしろチャルは「ふふ」と微笑を浮かべてみせた。


「あの方がそんな指示を出すはずがない」

「では、いったいどういうことなんだ?」

「さっきの言い伝えに少し戻ろうか。古の大戦を経て、冥界は冥王なる者が支配するに至った。その際に、冥王に従わずに地下世界の片隅に逃げ延びた者がいた」

「なるほど。それで話が見えてきたぞ。つまり、冥王も、我らが王とやらも、逃げ出すような卑怯な魔族は放置したというわけか」

「まあ、そういうことだ。そうしたら、害虫のように彼奴らはこの地上に這い出てきた」


 ここにきてリンムもやっと納得がいった。


 つまり、魔王アスモデウスたちは冥王が討伐されて、新たな支配者がこの片隅にある大陸に興味を持たないとみなすや、ここを拠点とする為に上がって来たわけだ。


 もっとも、リンムはさっきから気になっていることがあった。というのも、リンムとチャルが話している間、ラナンシーは掌ほどの長方形の水晶モノリスを手にして、誰かと連絡を取っているふうだったからだ。


「――はい。畏まりました。それでは、ここに転移陣を形成します」


 そのラナンシーはというと、会話を終わらせて、モノリスを地に置くと、


「おや、説明は終わったのか? では、ちょうど良い頃合いだった。これから奈落に関する専門家を呼ぶことにした」


 そのとたん、モノリスからは七つの魔法陣が浮かび上がった。


 直後、チャルが驚いて、「いったい、誰が来られるのですか?」と尋ねると、ラナンシーは「すう」と息を吸って、リンム、女騎士スーシー、オーラ水郷長に、やや離れた場所にいる聖女ティナへと視線をやってから――


「第六魔王国の筆頭顧問、人造人間フランケンシュタインのエメス様だ。魔王アスモデウスなどの比ではない。正真正銘、本物の魔族だ。いいか、覚悟を決めろ。そして、決して死ぬなよ」


 そう粛々と告げたのだった。

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