第46話 怒られる

「す、凄い……」


 法国の第七聖女ティナ・セプタオラクルはその場にへたりこんだ。


 いつもだったら「さすがですわ、おじ様」と軽口を繰り返したはずだが、今回ばかりはさすがに薄氷の上を進むかのような命のやり取りを演じたばかりだっただけに、生きていることへの実感が勝ったのだろう。


 実際に、そんな聖女ティナの感慨に王国の神聖騎士団長スーシー・フォーサイトも共感したらしく、


「まさか……本当に魔王を討ち取るとは……」


 それだけ言って、どさりと地に崩れ落ちた。


 特性ポーションで回復したばかりとはいっても、ダメージの蓄積が大きすぎたせいだ。


 普段なら決して弱音を見せない団長という立場のスーシーも、このときばかりは義父に肩でも貸してもらおうかと大の字になって微笑を浮かべていた。


 一方で、油断ならない表情を浮かべていたのはダークエルフの錬成士チャルだ。


「はてさて、これだけ手伝ったのだから――リンムにも何かしら貸しにしておかないとね」


 別に、ダークエルフは損得勘定に機敏な種族ではないのだが……


 狡賢いハーフリングたちばかりの『放屁商会』と長らく交渉してきたせいか、無駄に培ってしまった商人的な感性でもってチャルは虎視眈々とリンム・ゼロガードの隙をうかがっていた。


 そんな微笑をちらりと横目で見て、そうーっと距離を取ろうとしていたのはオーラ・コンナー水郷長だ。


「無理難題が増える前に……さっさとムラヤダ水郷に帰るとするかな……」


 ちなみに、盗賊の頭領ゲスデス・キンカスキー、Dランク冒険者のスグデス・ヤーナヤーツとフン・ゴールデンフィッシュはさすがに泣き疲れたのか、今は湖畔でちょこんと正座して事の成り行きを見守っていた。


 いかにも今ならリンムの舎弟になっても構わないといったふうだったが、当のリンムはというと――


「…………」


 ずっと無言だった。


 どこか違和感があったせいだ。事実、アスモデウスは魔王というわりに弱すぎた。


 リンムが会ったことのある魔族は、師匠たる大妖精ラナンシーだけだ。そのラナンシーは単なる魔族であって、魔王ではない。となると、果たして王と謳われる者がこんな弱者でいいのだろうか?


 実際に、かつてラナンシーが語ってくれたことがあった――


「あたしがどれほどの強さなのかって? そうさね。第六魔王国・・・・・ではせいぜい中の上ってところだね。あたしより強い奴なんてごろごろいるからねえ……不死性をもって長く生きて、どれだけ努力しても、決して届かない領域レベルってあるものだよ。だからリンム、覚えておきな。本当の強者ってのはさ――」


 決して逃げ出さない覚悟を持った者のことだよ。


 そして、戦うことに誉れを求めて、死しても最期によくやったと笑みを浮かべられる者なんだよ。そんな者たちだけが手をかけることが出来るんだ――この世界の頂きに。


 今、リンムはそんな師匠の言葉を胸の内に反芻した。


「魔王というからには……頂きに近づいた者だろうに……この俺が倒せてしまってもいいものなのか?」


 そう呟いて、リンムがしばし眉をひそめていると、


「あ、痛っ」


 唐突に、背後から頭頂部に手刀を喰らった。


 ぱら、ぱら、と髪の毛が散じていったが、それよりもリンムに気づかせずに攻撃出来る者がすぐ後ろにいたことに驚いた。


 もっとも、そんな芸当がこなせる者など、リンムにとっては一人しか思い浮かばなかったが……


「何をぼけっと油断しているのだ、リンム?」

「し、師匠……」

「それにチャルもにやけすぎだ。お前が付いているから大丈夫だろうと思っていたが、買いかぶり過ぎだったかな?」


 突然の大妖精ラナンシーの登場に、湖畔にいた皆がざわついた。


 特に、ラナンシーから叱責を受けた形になったダークエルフのチャルは一瞬だけ顔をしかめると、「まさか?」とすぐに驚愕を浮かべてみせた。


「そう。そのまさかだよ」

「た、たしかに……巧妙に隠されていますが……これは認識阻害の呪詞?」


 そこまで言って、チャルは血溜まりをじっと見つめた。


 湖畔のそばにあった野獣たちの血のプールの中には、バラバラになって血塗れで隠されていたので分かりづらかったが……今もまだあるもの・・・・がきちんと三つ揃っていた――人の頭部と、羊や牛のそれだ。


 刹那。


 全ての血が渦を巻いて集まって、修羅の如き人型に変じていく。


「皆殺しだあああ! ぶもおおお!」

「珍しく牛と意見が合いましたよ。全員、この場で蹴散らします」

「リンムよ。我と道を違ったこと。せいぜい霊魂にでもなって後悔して彷徨うがいいさ!」


 つまり、魔王アスモデウスの本体は魔族サラでも、魔杖の三頭でもなく、この血溜まりそのものだったわけだ。


 この再登場にはさすがに聖女ティナも表情に影を落とし、女騎士スーシーは地に倒れたまま動けず、オーラ水郷長ですら「こんちくしょう!」と唾を吐き捨てた。


 リンムは再度、片手剣に手を伸ばして進もうとしたが――


「これは……マズいな」


 意外なことに、今回ばかりは彼我の実力差を感していた。


 結局のところ、先ほどまでの魔王アスモデウスは認識阻害による分身に過ぎなかったということだ。


 本体が内包する魔力マナは「なるほど。これが魔王か……」と、リンムが額から冷や汗を流すほどに強大なものだった。最初から魔王アスモデウスが全力を出さなかったのは、もしかしたら眷族の力を試したかったからなのかもしれない……


 何にせよ、リンムは先の戦い同様に居合による閃を飛ばそうとしたところで、


「無駄だ、リンムよ。あれは血だ。それこそ海を割るようなものだ。剣技では埒が明かない」


 大妖精ラナンシーはそう言って、リンムの剣柄を片手で押さえた。おかげでリンムは剣を抜くことが出来なかった。


「で、では……どうすればいいのですか? 師匠?」

「なあに。あたしがやるさ。何てことはない。これは単純に相性の問題だからね」


 大妖精ラナンシーはそう言って、武器も持たずにゆっくりと歩んだ。


 まるで呑気に散歩でもするかのような優雅な様子に、魔王アスモデウスもかちんときたのか、


「調子に乗るなあああ!」

「真祖の小娘程度が私に勝てるとでも思っているのか?」

「ちょうどいい。こうなったら貴様を手土産にして、本土にも攻め入ってやろうではないか」

「ふむん。つまらん御託はもういいかい?」


 その直後だ――


 魔王アスモデウスを形成していた血が反流した。


 そして、先ほどまであった血溜まりに戻ったかと思ったら、全て一気に蒸発してしまったのだ。宙に残されたのは、それこそ魔核だけになっていた。


 大妖精ラナンシーはそれを片手にギュっと握ってみせる。


「古の時代から生きてきて、吸血鬼が血の多形術を得意にしていることを知らないなんて……あんた、どんだけ戦うことから逃げてきたんだ? 誉れも何もあったもんじゃない。魔族の面汚しさね」


 次の瞬間、ラナンシーは魔核を握り潰した。


 それは一瞬の出来事だった。リンムだけでなく、その場にいた全員がぽかんとなった。


 そんなしんとした空気にさすがにラナンシーも珍しくばつが悪くなったのか、頬をぽりぽりと掻きながら、


「だから、言ったろ。相性の問題だって。血に擬態していた時点であいつに勝機は微塵もなかったんだ。古の時代に母上様と一度でも戦っていたなら、吸血鬼が血を自由に操れると知っていてもおかしくなかっただろうに――」


 逃げた者の末期なんてこんなものさね。


 と、大妖精ラナンシーはどこか皮肉混じりの笑みを浮かべた。もしかしたら、ラナンシーもかつて何かから逃げたことがあったのかもしれない……


 何にせよ、これで本当に魔王アスモデウス討伐が叶ったわけだ。


 聖女ティナはへたりこみながら「ふう」と大きく息をつき、女騎士スーシーはどこか虚ろに宙をじっと見つめていた。


 一方で、オーラ水郷長がどさりと草むらに腰を下ろすと、ダークエルフのチャルはかえってラナンシーに借りが出来てしまったことに頭を抱えた。それにゲスデスたちは三人とも、ラナンシーが無意識に発している『魅了』に抗せずに、また「あばばば」となっていた。


 そんな状況でリンムは師匠を真似て頬をぽりぽりと掻くと、


「やはり俺はまだまだ……弱者だよなあ」


 と、ため息をついたのだった。

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