第40話 奇跡

「な、なぜ……お前が……?」


 盗賊の頭領ゲスデス・キンカスキーは呆気に取られた。


 天から煌めきが下りてきて、それに召されて死ぬのだろうと思っていた。


 もちろん、下種ゲスな生き方をしてきた自分が僥倖に巡り合うなんて……そんな奇跡など簡単に起こるものではないと頭では理解していた……


 それでも、最期に目にするのが、よりにもよっておっさんだなんて信じたくもなかった。


 そこまで自分はひどい生き方をしてきたのか――たしかに盗みも、脅しや騙しも、それに殺しもしてきたし、今さら義賊を気取るつもりも毛頭なかった。


 そもそも、貧民窟スラムの頃から自分より弱い者を蹴落とさなければいけない、糞ったれで醜悪な世界で生きてきた。


 だから、スグデス・ヤーナヤーツやフン・ゴールデンフィッシュが取り憑いた魔獣にられるのはゲスデスにとって自然の節理そのものだった。所詮、この世界は弱肉強食なのだ。


 以前の仲間に貪り喰われるのならば……まあ、仕方ないと諦めかけていた。


 だが、眼前のおっさんはどうだ?


 ふんどし一丁で着の身着のまま、湖からやっと這い上がってきたばかり……


 何だか頭頂部がどふさ・・・になっていると思ったら藻を乗せている。しかも、眼前に第三種の凶悪な魔獣がいるのにろくに気づいてすらいない……


 だから、ゲスデスは立ち上がる余力も残っていないというのに――


「おい! 逃げろ! こいつはヤバい! 魔獣だ!」


 声を張り上げて、片膝に手を当てて何とか立ち上がろうとした。


 魔獣の視線をゲスデス自身に釘付けにさせようとしたのだ。それはつい先日、同じ湖畔でスグデスがとった行動とは正反対のものだった。


「……ん?」


 さて、声を掛けられた当のおっさん――


 リンム・ゼロガードはというと、そこでやっと妙な魔獣がいることに気づいた。


 しかも、その熊に似た魔獣の上半身には見知った顔が浮かんでいた。孤児院の少年プランクを探し出してくれた……と、リンムが勝手に認識していた二人組だ。


 だが、その二人組はまるで呪詛でも吐き出すかのように、


「頼む、リンム、よ。殺し、て、くれ……」

「おっさん……お願い……っス。いっそ、一思い、に……」


 そんなことを言ってきた。


「…………」


 リンムは無言のまま大きく目を開いた。


 ゲスデスにちらりと視線をやると、さっきから「いいから行け! 早く逃げろ!」と喚いている。


 そんなのっぴきならない状況に、果たしてリンムはどうすべかと考えたが、


「殺せ。頼む……」

「お願いするっス……」


 二人組の切実さがリンムをき動かした。


「はてさて、何がどうなっているのか……いまいち分からないが、いいんだな? スグデス? それにフンよ?」


 リンムが尋ねると、二人組は肯いた。


 もっとも、魔獣の方は待ってくれなかった。リンムに向けて突進してきたのだ。


「グルルアアアアア!」


 同時に、ゲスデスの「こんちくしょう!」という呻きも上がった。


 ただし、次いでゲスデスの双眸が捉えたものは――


 圧倒的な強者だった。


 いや、正確にはゲスデスでは何も捉えることが出来なかった。


 ほんの刹那しか視界には映らなかった。リンムが見せたのは、それほどの早業はやわざだった。


 無数の線――いや、せんが宙に放たれたとき、巨大な熊の魔獣はすでに塵芥のように消え失せていたのだ。


 それは対峙することすら許さない、天上の強さだった。結局のところ、最後に残されたのは、傷一つ付いていないスグデスとフンの頭部だけだった。


「ありがとうよ……リンム」

「これまで……すいませんでしたっス」


 二人組の悔恨が漂って、魔核諸共に続けて消えようとしたときだ――


「ねえ、リンム?」

「こいつら、助けるー?」

「やっちゃうよ。いっちゃうよ」

「でさでさ。どうするの? 今なら手伝ってあげるよー」


 妖精たちが気紛れにそんなことを言ってきたのだ。


 単純に暇潰しかもしれないし……何なら手伝うことで自分たちの力を見せびらかしてリンムを驚かせたかったのかもしれない……


 何にせよ、妖精たちの思いつきに理由を見出すのは至難の業だ。


「助けるって……本当に出来るのかい?」


 だから、リンムがそう問い返すと、


「んー。屍喰鬼グールになっちゃうかもだけど」


 そんな恐ろしいことをしれっと言ってきた。


 とはいえ、本来ならば魔核と共にすぐ消失するはずのスグデスとフンの頭部は、今のところは妖精たちによってこの世界に拘束されているようだ。


 リンムはゲスデスをちらりと見た。


 もっとも、今度はゲスデスが状況を理解出来ずにいた。


 仕方のないことだろう。これまでの短い付き合いでただのおっさんだと思っていた者がそれこそ英雄級の強さを誇ったのだ。


 さらに妖精たちと話し込んで、蘇生云々の話までしている。


「こいつは……神か?」


 ゲスデスはそう呟くしかなかった。


 そんな心理状態だったから、リンムから視線を向けられると、自らの胸前で両手を組んで女神クリーンにするように祈りを捧げた。


 リンムは「ええ?」と、戸惑う一方だったが、一応の同意は得られたと考えたようだ。


「では、妖精たちよ。やってくれ」

「いいのー?」

「まあ、屍喰鬼になったら、そのときは師匠に任せようか」

「あいあいー」


 妖精たちはその煌めきでもってスグデスとフンの頭部を囲むと、


「この世界を憎めー」

「生者を殺す亡者となれー」

「それじゃダメだよ。屍喰鬼になっちゃうじゃんか。ちゃんと生き返さないと」

「じゃあ、とりあえず……何とかなれー」


 リンムは額に片手を当てた。何とかならなそうな予感がひしひしとした。


 だが、幾多の魔法陣が二人組の頭部を囲むようにして重なっていくと、贓物のプールから人の体らしきものが形成されていった。リンムが「おお、すごい」と褒めたとたん、野獣の毛とか尻尾とかが付いてきた……


「…………」


 リンムはつい無言になったが、何はともあれ屍喰鬼にはならずにスグデスとフンは蘇生されたようだ。


「おお。スグデス……それにフンよ……」


 ゲスデスはよろよろと歩み寄った。


「オレらは……生きているのか?」

「てか、スグデスの旦那……乳首に野獣の長い毛が一本生えているっス」

「テメエだって、あそこが大蜥蜴の尻尾になってるじゃねえか。どうすんだよ、それ?」

「でも、生きているっスよ。俺たち生きているっス!」

「貴様ら! 生き返りやがって……こんちくしょうめが!」


 ゲスデス、スグデスとフンは三人で抱き合った。


 当然、スグデスとフンは真っ裸だったのであまり見栄えのよい光景ではなかったが……リンムは「ふう」と小さく息をついて鼻の下をこすってみせた。


 そして、湖畔の奥へと視線をやった。そこに――奈落はあった。


 何より、奈落を閉ざそうとする者たちと、開けようとする者との戦いが最高潮クライマックスに達しようとしていたのだ。



―――――



このときスグデスとフンは人族として蘇ってはいません。別の種族になっているわけですが、それについては後日談で描ければいいなと思います。

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