第39話 盗賊の流儀


 オーラ・コンナー水郷長と帝国の猟兵団との戦いがダークエルフの錬成士チャルの助勢によって一段落ついた頃、


「あばばばば……」


 盗賊の頭領ゲスデス・キンカスキーはいまだに錯乱していた。


 もっとも、当のゲスデスは幸福の絶頂にいた。というのも、大妖精ラナンシーの『魅了』にかかったことで、今まさにこの世の春とでもいうべき妄想上のハーレムを堪能していたからだ。


「ここは……まさか! 裏社会で噂に聞く、『魔性の酒場ガールズバー』か!」


 何でも一説では、どこぞの大陸に夢魔サキュバスたちが接客する酒場があるらしい。


 そこでは神殿に所属する身持ちの固い騎士たちだけでなく、偏屈で有名なドワーフたちですらあっけなく魅了するほどで、男に生まれたからには一度は行ってみたい理想郷と謳われていた。


 もちろん、そんな酒場に足を踏み入れたゲスデスは夢魔たちとのパーティーにうつつを抜かしていたわけだが……実際のところは熊の上半身に人の顔が二つ埋め込まれた巨大な魔獣に迫られている最中だった。


 その魔獣との距離、ほんのわずか数歩――


 いわば、死へのカウントダウンが差し迫っていたわけだ。


 ただ、ゲスデスにとって幸いだったのが、眼前にあったモノが二つの不気味な人の顔ではなく、大きなおぱーい・・・・に映っていたことだろうか。


 ゲスデスからすれば、おぱーいがぶつぶつと語りかけてきているように見えていたこともあって、


「おいおい。おぱーいが喋りかけてくるなんて……こ、ここは……もしや天国か?」


 というわけで、あっさりと天に召されても全く構わない状況にあった。


 もっとも、ドスン、ドスン、と。


 巨獣の足音はよく響いたので、ゲスデスもいい加減、正気に戻りかけていた。


「……ん?」


 そんなゲスデスの顔に大きな影がついにかかった。


 眼前にあったのはおぱーいなどではなく、人の顔なのだとやっと認識出来た。


 ついでに、熊に似た巨大な魔獣が片手を振り上げて、その凶悪な爪でもってゲスデスの命をまさに狩り取らんとしていた――


「うわ! あぶねっ!」


 本当に悪運だけは強い男である。


 ゲスデスは間一髪でその攻撃を避けると、次に自分が血塗れになっていることに気づいた。


「な、な、何じゃこりゃあああ!」


 さっきまで贓物のプールみたいな場所で膝立ちしていたのだから当然といえば当然なのだが、夢魔たちと酒池肉林していたと思い込んでいたゲスデスからすると、意味不明な状況ではあった。


 そもそも、ゲスデスは地下通路を伝って『妖精の森』なる場所に出たはずだった。


 少なくとも、『初心者の森』の端の海沿いに行ったはずなのに……今はなぜか湖畔にいる。しかも、すぐ目の前には魔獣まで存在している……


 が。


「ゲ、ス、デス……?」

「お頭あああ……助け、てっス……助けて、よおおお、ス」


 二つの人の顔から声を掛けられて、ゲスデスは真っ青になった。


 その二人ともによく知っている人物だったせいだ――スグデス・ヤーナヤーツとフン・ゴールデンフィッシュだ。


 スグデスは盗賊団が荒稼ぎし始めた時期に姉御の紹介で用心棒を務めてくれた人物で、またフンはちょうどその頃に金魚の糞のように付いてきて入団すると、ゲスデスよりもスグデスを兄貴と慕って、いつの間にか勝手に去っていった。


 ゲスデスからすれば、貧民窟スラムから一緒にやってきた面子でもなければ、姉御と共に盗賊団を大きくして今回の陰謀に加担した同僚というわけでもなかったので、さして同情する謂れもなかったが――


「テメエら……いったい、どうしちまったってんだ?」


 頭領らしくゲスデスはそう尋ねた。


 もっとも、返ってきた答えはあまりにひどいものだった。


「殺して……くれ」

「もう、嫌っス、嫌っス……こんなのって、ないよおおお」


 ゲスデスもさすがに吐き気を覚えた。


 もしかしたら自分も同じ目にあっていたのかもしれないと考えついてゾっとしたわけだ。


「こんちくしょうめが」


 ゲスデスはそんな弱気を振り払うかのように、腰に装着していた短剣を手に取った。


 盗賊には盗賊なりの流儀がある。ゲスデスはキンカスキーの名前の通り、金のことばかり考えているちんけな盗人ぬすっとに過ぎないが、仲間にはきちんと働きに見合った報酬を与えてきた。


 思えば、スグデスは元Bランク冒険者だというのにゲスデスたちをよく守ってくれたし、フンは……まあ、良いところがいまいち思い出せないが――何にせよ肝心なのは、二人ともにゲスデスの盗賊団に貢献してくれたということだ。


「同じ釜の飯を食ったなら、それはもう仲間ってこったろ? こんな惨い仕打ちを受けているのを見て、捨て置けねえよ! それが俺たちなりの仁義ってもんじゃねえか!」


 ゲスデスは短剣一本で魔獣に立ち向かった。


 姉御から魔獣のことは聞かされていたし、魔核を潰せば消滅することも知っていた。


「こうなったら、やってやらあ!」

「ウガアアアアアアアアアアアアアアアア!」

「ひいっ! ……やっぱ止めよ」


 ゲスデスはすぐにきびすを返した。


 まさか魔獣がこれほど凶悪な存在だとは思ってもみなかった……


 対峙しただけですぐに分かった。たとえゲスデスが十人、いや百人集まったとしても到底敵わない、とんでもない化け物だと。


 なるほど。王国の四大騎士団が魔獣討伐の為にわざわざ編成されることの意味を、このときゲスデスはやっと理解した。


「と、見せかけてからの――」


 ただ、ゲスデスは背中を見せて逃げるふりをしつつ、先ほどから気になっていたことを確認することにした。


 というのも、この熊の魔獣の頭部は一度もゲスデスを視野に入れようとしなかったのだ。ゲスデスを見つめていたのは、上半身に付いているスグデスとフンの双眸だけだった。


 もしかしたらこの魔獣の頭はただの飾りで、スグデスとフンの視覚や聴覚に頼った未完成品なのかもしれない……


 そう考えて、ゲスデスは地面の血糊を掴むと、二人に向けて、パっと放った。


 直後。ゲスデスの読み通りに魔獣の動きが止まった。


「よし!」


 ゲスデスは笑みを浮かべた。


 わずかな勝機が見えたからだ。このまま足止めしてやろうかと、ゲスデスは接近して、熊の魔獣の足もとを狙って短剣を突き立てようとした――


 が。


「ぐふっ!」


 ゲスデスは魔獣に蹴り上げられた。


 当然だ。視界が遮られたとしても、戦っている場所は贓物のプールの中だから足音が立つに決まっている。ゲスデスが近づいてきたことなど、魔獣はすぐに気がついた。


「ぐはあっ!」


 湖畔まで飛ばされて、幾本か骨も折れたのか、ゲスデスは軋む痛みで転げまわった。


 再度。ドスン、ドスン、と。


 死へのカウントダウンがまた始まった。


 ゲスデスは両肘を地に突きながらも、朦朧とする意識の中でどうすべきか考えた。さっきの一撃で肉体はもう襤褸々々ボロボロだ。ろくに立ち上がることも出来やしない。


 助けを呼ぼうにも、頭がくらくらとして、どこに誰がいるのかすら分からない……


「へへ……こりゃあ、まいったな……年貢の収めどき……ってやつか」


 ゲスデスは血を吐き出した。


 眼前には熊の魔獣がやって来ていた。


 やられるのがスグデスやフンが取り憑いた魔獣ならば、まあ、いいかと――ゲスデスもさすがに諦観するしかなかった。


 もっとも、このとき、ゲスデスはというと、なぜか不思議な感覚に包まれた。


 急に、煌めきが無数に下りてきたのだ。


 それはまるで女神クリーンの祝福のようだった。いや、より正確には――妖精たちが湖畔に集まって、その輝きが湖面に乱反射しているのだが……


 何にしても、ゲスデスはそんな光の温もりに少しだけ癒された。


「こんな最期……俺みたいな盗人には……贅沢すぎるだろうがよ」


 ゲスデスはすがるようにして温かな光源へと片手を伸ばした。そして、すぐさま「はあ?」と呆然とした。


 というのも、そこには――


「やれやれ。やっと湖畔に着いた。服に水が沁み込んで、水中でろくに動けなくなったときにはどうなることかと思ったものだが……まあ、何とかなったな」


 そう。ゲスデスがすがったのは――片手剣とアイテム袋をたすき掛けにして、ふんどしのみを身につけたほぼ全裸のリンム・ゼロガードだったのだ。


 しかも、全身がずぶ濡れということもあって、普段よりも二倍マシマシで、キラ、キラっと、煌めいていた。

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