第36話 主役らしく湖に落ちる

1月4日(水)の夜に700字ほど加筆修正しました。



―――――



 猟兵団長シイト・テンイーガーは麻袋の中から聖女ティナ・セプタオラクルを放り出した。


 もちろん、聖女ティナは手足を縛られて、猿轡さるぐつわも咬まされていたので、「ふごっ」と地に落ちると、じたばたとしたものの、どうにもならないと気づいたのか、早々に大人しくなった。


「おや、下着だけで可哀そうに」


 そんな様子を見て、魔族のサラは意外にも同情してみせた。


 もっとも、その口ぶりは淡々としていた。いかにも人族なぞどうでもいいといった態度が透けて見えていたが……それでも猟兵団長シイトはよこしまな感情で半裸に剥いたわけじゃないといったふうに、


「勘違いしないでほしいが……攫った場所が湯屋の着替え場だったというだけだ。下着姿に意味はない」

「へえ、本当かね? 少しは愉しもうっていう魂胆があったのではないか?」

「盗賊どもと一緒にするな。そもそも、この聖女が身に着けていたものは細かく切って、魔獣どもに持たせてある。よく鼻が利く者もいたからな。今頃、きっと困惑しているだろうさ」

「ふむ。手際が良いのだね。その点だけは評価してあげようか」


 そんな含みのある言い方が猟兵団長シイトには気に入らなかったが、何にしてもシイトたちの仕事はここまでだ。今回の任務は、聖女ティナを誘拐して魔族サラのもとに届ける――


 奈落の封を解くのか。はたまた聖女ティナを素材にして何かを造るのか。


 これから先のことについてシイトは詮索するつもりはさらさらなかった。そもそも、政治家ではなく軍人なのだ。どこぞの盗賊の頭領ゲスデスみたいに嗅ぎまわると、様々な秘密を抱える帝国ではろくなことにならないことをシイトはよく知っていた。


 とはいえ、そんなシイトの存在など気にも留めず、魔族サラは聖女ティナの首にチョーカーを嵌めてから猿轡を外してやると、


「はじめまして、聖女様。ご機嫌はいかがかな?」


 慇懃無礼に挨拶したわけだが、聖女ティナは魔族サラを無視して祝詞を謡い始めた。


 いきなり法術で攻撃を仕掛けようとしたのだ。ただ、ティナは途中で言葉が詰まってしまった。上手く術式が唱えられない……


「なるほど。さすがは『全ての男根の粛清者』たる第七聖女だ。相当にじゃじゃ馬だと聞いていたが、噂は本当のようだね」


 魔族サラはそう言って、やれやれと頭を横に振ってみせた。


「ちなみに、法術は使えないよ。その首に嵌めたばかりのチョーカーには『封技』がかかっている。だから、今、貴女には選択肢が二つしかない」


 魔族サラはそう言って、指を二本立てると、


「一つはそこにある奈落の封を解くこと。もう一つはそれを拒むこと。その二つだけだ」


 その言葉を聞いて、聖女ティナは眉をひそめたが、いっそかえって大きく首を傾げたのは猟兵団長のシイトの方だった。それもそうだろう。拒んでもいいのかと、つい問いかけたくなったほどだ。


 とはいえ、そんなティナとシイトの内面を見透かしたかのように魔族サラはにやりと笑った。


「もちろん、拒んだ場合は第六聖女と同じ運命が貴女には待っているわけだがね」


 その言葉を聞いて、聖女ティナはゾっとした。


 第六聖女――『清廉な殉教者』の二つ名を送られた少女はもうこの世にいないからだ。


 文字通りに殉死したのだ。大陸西にある公国が保全してきた奈落を開ける為に、第六聖女の少女は生きながらにしてその肉体の血を全て抜かれた。


 見せしめの為に法国に送られてきた死体からはあまりにも惨い拷問が行われた跡が散見された。


 奈落を開けるだけの血が足りていないとみるや、薬草やポーションなどで回復させられ、寝ることも、自害することも許されずに、延々と血を流し続けた。


 聖女たちの中でも最も無垢と謳われた少女の顔は、さながら世界の全ての溝底どぶぞこでも這って生きてきた老婆のように醜く変じて、その清らかな体には汚れた傷跡しか残っていなかった。


 もちろん、眼前にいる魔族サラはそんな残虐な拷問を行った張本人ではない。


 そもそも、西の公国にあった奈落を開けて、地下世界から大陸に招かれたのが――この魔族サラだ。


 だが、何にせよ奈落の封の解き方をよく知っていることに違いはなかった。聖女にのみ伝わる方法で解くか。もしくは聖女の魔力マナそのものと言っていい穢れなき血を全て奈落に注ぐか――そのどちらかしかないのだ。


 ここでわざわざ二択を用意して、聖女ティナをすぐに殺さなかったのは、魔族サラが加虐趣味を持ち合わせていないだけに過ぎない。


 いや、より正確には、ティナにはむしろ合成獣の為の素材になってもらいたいので、今のところは余計な傷を付けたくないといったところか。


 何にせよ、凄惨な拷問を受けるか。はたまた、最悪な素材にされるのか――


「…………」


 そんな二択にさして大きな違いがあるのかと、聖女ティナもつい無言になった。


 それに魔族サラのすぐ背後にあった合成獣用の肉と血のプールはティナに威圧プレッシャーを与えるのに十分だった。


 たとえ加虐趣味を有していなくとも、全身の血を抜くことなど朝飯前とでも言いたげな景色を目の当たりにして、気の強いティナも朦朧としかけたが、


「私は……第七聖女です。封を解くはずがありません」


 そうきっぱりと言い切ってみせた。


 そんなティナに対して、ぱち、ぱち、と。魔族サラは拍手を送る。


「残念ですよ。せっかく面白そうな素材だったというのに……では、早速、その血を全ていただくとしましょうかね」


 聖女ティナは覚悟を決めた。


 もとよりこの任務を受けたときから、最悪、第六聖女と同じわだちを踏むかもしれないと考えていた。


 だからこそ、ティナはここ最近、ずっとはしゃいでいたわけだ――短い生を謳歌しようと。せめて一生知ることもないと思っていた恋を知りたいとも。


『全ての男根の蹂躙者』とまで謳われておきながら、たった一人のおっさんにすがった。


「ここまでありがとう。我が友、スーシー。そして、最期に一目だけでもお会いしたかった。本当に素敵なリンムおじ様――」


 聖女ティナは両目を瞑って、祈りを捧げた。


 直後。ざく、ざく、と。


 パナケアの花を踏みつけて、魔族サラが近づいてきた。


 が。


 そのときだった――


「ここー」

「どこー?」

「そこだよー」

「うんうん。みんなー。あそこ集まれー」


 そんな軽やかな声がどこからか降ってきたかと思うと、「わーい」と無数の煌めきが湖畔に集まりだしたのだ。小さな妖精たちだ。


「じゃあ、みんな、いくよー。転送・・!」


 その妖精たちは無邪気に「けらけら」と笑いながら六輪の魔法陣を展開すると――


 次の瞬間、オーラ・コンナー水郷長は猟兵団長シイトの直上に。ゲスデス・キンカスキーは「あばばば」といまだにモニュメントになっていたものの、肉と血のプールの中に。


 また、女騎士スーシー・フォーサイトだけは聖女ティナのすぐそばに、きちんと丁寧に――


 何より、リンム・ゼロガードは湖の真ん中に、ドボンっ、と。


 それぞれ真っ逆さまに落ちて、こうしてやっとリンムたち一行は事件の犯人と対峙することになったのだ。

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