第35話 捕捉する

「……魔王?」


 大妖精ラナンシーが語った言葉にさすがにリンムも狼狽えた。


 魔獣ですら長年秘匿されてきたのだ。そんな魔獣をけしかけてくる魔族――さらにはその頂点たる魔王となると、いったいどれほどの強さなのか、リンムは眩暈がする思いだった。


 もっとも、ラナンシーはまるでちょっと散歩にでも行ってこようかといった感覚で続ける。


「まあ、暇潰し程度に懲らしめてやってもいいんだが――」

「出来るのですか、師匠?」

「知らん」

「は?」

「さっきも言っただろう。互いに会ったこともないのだから、サラの強さなど知ったこっちゃない」

「…………」


 リンムは押し黙った。そういえば、ラナンシーはそういう性格だったと思い出した。


 魔族として不死性をもって生きているがゆえに、戦って死ぬことをかえって誉れと捉えている。だから、負けても一向に構わない。もっとも、負けてやるつもりなど毛頭ないから、必然的に勝利を疑っていない。それだけの力も当然有している。


 そういう意味での「懲らしめてやる」だ。別に自惚れでも、傲岸不遜でもない。そもそも、死を恐れて慎重になる人族とは根本的に価値観が違うのだ。


 すると、ラナンシーが「ふう」と小さく息をついて、モニュメントゲスデスを倒して四つん這いにさせてから、


「だが、面倒臭いんだよなあ……」


 と言って、椅子代わりにして座った。


 そんなラナンシーの様子を見て、ダークエルフの錬成士チャルもまた「はあ」と息をついた。


「この大陸に来てからずっとその調子ではないですか。昔の戦いに明け暮れていたラナンシー殿はどこに行ったのです?」

「そうはいっても、せっかく口うるさい母上様や姉上様たちから離れられたんだ。羽を伸ばしたくなるってものだろう?」

「十年近くも寝ているなど、羽を伸ばすどころか畳み過ぎですよ」

「うっさいなあ。そもそも、吸血鬼というのは本来ぐーたらな種族なんだ。棺で寝て過ごして夜になってやっと起きだす。夜行性と言えば聞こえはいいが、真っ当に暮らせない引きこもり魔族だぞ。早寝早起きを徹底している姉上様たちの方がよほどおかしい」


 ラナンシーが唇をツンと立てて、何だか子供みたいにね始めたので、リンムとチャルは目を合わせてから「あちゃー」といったふうに額に片手を当てた。こうなるとラナンシーはてこでも動かないことを知っているからだ。


 そんなラナンシーに対して、今度はオーラ・コンナー水郷長が声を掛けた。


「そういえば、あんたはなぜこの大陸にやって来たんだ?」


 ここに来るまでにダークエルフのチャルの身の上話は聞いていたので、オーラ水郷長は純粋に気になったらしい。さっきも「まーた魔女モタがやらかした」などと言っていたから、チャル同様に飛ばされてきたのだろうか……


「あたしは船でやって来たんだよ」

「へえ。この大陸に最初に入植した帝国の連中みたいにか?」

「懐かしいね。今じゃ帝国なんて名乗っているけど、あいつらはもともと冒険者だったんだ。英雄ヘーロスを筆頭に大航海時代を乗り越えた奴らさ。『最果ての海域』で船を並べて一緒に渡ったもんさね」

「そういえば……師匠は自称・・海賊だったな」


 リンムが話に割って入ると、ラナンシーはどこからか海賊の帽子を取り出して被った。


 もっとも、身に纏っているのは肌の色がうっすら透けて見えるほどのネグリジェだったので、帽子とは明らかに不釣り合いだったが、それでも長年被っていたこともあってよく似合っていた。


「ここにある墓も当時の海賊仲間のものさ」

「じゃあ、もしかして師匠がここから離れないのは――」

「そうだよ、リンム。あたしがここから出て行かないのは、大切な仲間が眠っているからだ。あたしがいなくなっちゃあ、誰も墓石の世話してやれないからね」


 ラナンシーはそう言って、どこか遠い目をした。


 それは不死性をもって永遠を生きる魔族と、短い生を謳歌する人族との乖離かいりをいまだに測り切れていないかのような惑いのこもった視線でもあった。


 だからこそ、リンムは躊躇うことなく、力強く言った――


「師匠、頼む。力を貸してくれ。魔族のサラを放置すれば、この森が騒がしくなる。墓地にも魔獣がやって来るはずだ」


 リンムがそう言うと、ラナンシーはじっと見つめ返してきた。


 お前だって海賊仲間たちと同様に短く生きて、どうせあたしの横を通り過ぎていくんだろう? といったふうに哀しく、切なく、何より墓石よりもずっと冷たく――


 このとき、リンムはさながら絶対零度の氷系魔術にでも晒されたような感覚に襲われたが……何とか耐えきった。いや、違う。誰かが背中を支えてくれたのだ。振り向くと、そこには女騎士スーシーがいた。リンムを温めるかのように身を寄り添っている。


「ありがとう。スーシー」

「いえ……義父とうさん。今の私にはこれぐらいしか出来ないから」


 そんな二人を見て、ラナンシーは「ふう」と息をつくと、


「たしかにこの森の静寂を壊されたら、あたしだって棺でおちおち寝ていられないしね」


 そこまで言って、「仕方ないか」と納得してから、


「さあ、散れ。妖精たちよ」


 と、無数の煌めきを『妖精の森』、いや『初心者の森』の空に放った。


 深い森の中だというのに、雪でもちらついているかのようにそこかしこに煌めきが舞って、しばらくすると、ラナンシーは「ふむん」と肯いてみせた。


「見つけてやったぞ。魔族サラはパナケアの花が咲く湖畔の先にいる。奈落と聖女らしき人族の女も一緒だな。それに手下も十人ほどいるのか? やっこさんら、いかにもお前たちが来るのを想定して待ち構えているよ」


 こうしてラナンシーの助力を受けて、リンムたちは聖女ティナを見つけ、ついに魔族サラや帝国の猟兵団を捕捉したのだ。

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