第34話 正体を知る

「なあ、リンムよ。お前の師匠……実はお前のことをろくに覚えていないんじゃないのか?」

「……あながち否定出来ないのが辛いところだな」


 リンムがやれやれと額に片手を当てると、大妖精ラナンシーは「ふふ」と悪戯好きっぽい無邪気な笑みを浮かべてみせた――


 その瞬間だ。


 全員の体がぶるりと震えた。『魅了』による精神異常だ。


 神聖騎士団長のスーシー・フォーサイトは背中にぶわりと冷や汗が浮き出て、怖気を止めることが出来なかった。


 元Aランク冒険者のオーラ・コンナーですら「マジかよ」と全身に鳥肌が立ったほどだ。


 この『妖精の森』に来る前にダークエルフの錬成士チャルから耐性付与・・・・のペンダントを借りていなかったら、今頃、ただの微笑だけで意識が刈り取られていたはずだ。


 実際に、盗賊の頭領ゲスデス・キンカスキーはペンダントをしていたのに、「あばばば」と両膝を地に突いて正気を失っている。


 そんなゲスデスをモニュメントか何かとみなして、大妖精ラナンシーはゲスデスの頭頂部に片肘をついてリラックスすると、


「それでリンムよ。何の用だ? また、あたしとじゃれたくなったのかい?」


 そう尋ねて、ネグリジェの胸もとを引っ張ってみせた。


 さすがは真祖直系の吸血鬼の血筋を引いているだけあって、肌は滑らかな大理石のようだったし、金色の双眼は宝石そのものだった。


 長い銀髪は雪のように煌々と降りて、それなりに付き合いのあるリンムでさえも、「ごくり」と喉もとを鳴らしたほどだ。


 いわば、ラナンシーの立ち居振る舞いは、芸術と哲学に対する挑戦だった――これ以上の美しさを人は果たして表現出来るのか。あるいは頭で解き明かせるものなのか。


 真祖と謳われる吸血鬼カミラの外見を最も色濃く継いだ女性の微笑はさほどに苛烈なものだった。


 何にせよ、たじたじとなったリンムを救ってくれたのは――意外にも、隣にいたダークエルフのチャルだった。


「リンム。大丈夫か? 昨日、お前に渡しておいた手紙をラナンシー殿にさっさと渡してほしいのだが?」

「あ、ああ……そうだった、な」


 リンムはそそくさと懐を探った。そして、手紙をラナンシーに手渡した。


「何だい? まーた魔女モタ・・がやらかしたのかい?」

「いえ、私の師匠は関係ありません。貴女が寝ていた十年間で少しばかりこの大陸の状況が変わりました。その概要を記してあります」

「ふうん」


 大妖精ラナンシーは興味なさそうに手紙に目を通し始めた。


 その間にオーラ水郷長がリンムのそばにやってくると、口もとを片手で隠しながら小声で話しかけてくる。


「おい、リンム。本当に大丈夫なんだろうな?」

「大丈夫とは?」

あれ・・が味方かどうかって話だよ」

「おいおい、勘弁してくれ。俺の師匠だぞ」

「お前がそう言っているから信用しているが……そうはいっても、あれは正真正銘の化け物だ。この大陸のAランク冒険者がまとめてかかったとしても倒せないどころか、下手したら傷一つすら負わせることが出来んかもしれん」

「珍しいな。お前さんがそこまで弱気になるとは」

「当然だ。俺だって魔族が皆、敵だなんて、法国みたいな偏った考えを持っているわけじゃない。だが、あそこにいる魔族は別格に過ぎる。指一本デコピンでこの大陸を吹き飛ばしたとしても違和感がないぐらいだ」


 そんなオーラ水郷長の動揺が伝わったのか、ラナンシーは「あばばば」と呟いていたモニュメントゲスデスに読み終わった手紙を咥えさせると、


「さっきから人を化け物扱いしているようだが……あんたこそ、アジーン・・・・の子孫か何かだろう?」


 直後、オーラ水郷長の表情が固まった。


「……俺の素性が分かるのか?」

「そりゃあ、似ているからね。あたしがまだ小娘だった頃に、アジーンにはよく稽古をつけてもらったもんだよ。ただ、あんたは人狼ではないみたいだね。血も薄まって、魔力マナもさほど感じない。となると、先祖帰りして犬人コボルトってわけかい?」

「…………」


 オーラ水郷長が黙り込むと、リンムが「はあ」と呆けたような声を上げた。


「気づかなかったな。お前さん……亜人族、いや獣人だったのか?」

「ああ、その通りだよ。人族と交配して、種族的な特性はずいぶんと薄れちまったが、魔族の人狼アジーンは曽祖伯父そうそはくふの名だ。もちろん、俺は一度も会ったことがないけどな。ただ、相当に有名な魔族らしい」

「ふふ。有名も何も、全ての世界を統べる王の執事だ。十分に誇っていいぞ……まあ、性癖はあれ・・だけどな……」


 最後に大妖精ラナンシーは何だか不穏なことを呟いたが――


 とまれ、話の規模があまりに大きくなりすぎて、リンムにはいまいちピンとこなかった。


 ただ、これまでダークエルフのチャルがオーラ水郷長を差して、「同族嫌悪」だの、「犬っころ」だのと言ってきた理由がようやく分かった。同じ亜人族で素性を隠していた者同士だから気になっていたわけか。


 何にせよ、オーラ水郷長はこれでラナンシーへの警戒をわずかに解いたようだ。


「それで、あんたは協力してくれるのか?」


 そんなふうに素直に大妖精ラナンシーに質問した。


 すると、大妖精ラナンシーは「ふう」とため息をついてからオーラ水郷長ではなく、むしろチャルへと向いた。


「大陸西にあった奈落の封が解けて、出てきたのは――魔族サラで間違いないんだね?」

「はい。公国の騎士たちが対峙した際に名乗ったそうです。ただし、その情報は法国にも、王国にも、伝わっていません」

「なぜだい?」

「その騎士たちが瞬殺されたからです」

「じゃあ、あんたはどこからその情報を仕入れたんだい?」

「例によって――放屁商会です」


 大妖精ラナンシーがそれを聞いて不思議と納得すると、「なるほど。魔族のサラね。面倒なやつが上がってきたもんだよ」と呟いた。


 だから、リンムが「そのサラは強いのですか?」と尋ねると、


「知らないよ。戦ったことがないからね」


 そんなつっけんどんな答えが返ってきたわけだが、さすがにラナンシーもそれではリンムに悪いと思ったのか、真っ直ぐに向き直ると、


「たしか、サラの別名は――アスモデウス。あたしが生まれるよりも遥か以前、いにしえの時代に地下世界こと冥界にいたとかいう七十二柱の魔王の一人だね。まあ、魔王を名乗ったぐらいなのだから、それなりに強者だろうさ」



―――――



あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。


これにて女神クリーン。それに師匠こと大妖精ラナンシーに続いて、魔女モタ、人狼の執事アジーンと出てきました(ちらりとカミラも)。


はてさて全てを統べる王って誰なんだろうなー。というわけで、気になった方はよろしければ、『魔王スローライフを満喫する』をお読みくださいませ。


ちなみに、魔女モタの一番弟子ことチャルは、第80話『迷わずの森』に登場します。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る