第29話 誘拐事件に遭遇する

「さすがは神聖騎士団長……無駄な足掻きでしたよ」


 ウーゴもどきこと姉御なる人物はそう吐き捨てた。


 魔紋はすでに消えていた。そもそも、魔族は戦闘中など気分が高揚したときに魔紋が浮かぶとされている。


 しかも、それが体の高い位置にあるほど、力を有した個体となる。かつて魔王と謳われた強者たちはことごとく頭部に魔紋を持っていた――


「さて、ここで王国の頂点の一角には死んでいただきましょうか」


 姉御なる人物は剣先を女騎士スーシーの首筋に添えた。


義父とうさん……」


 スーシーは血を吐きつつも、リンム・ゼロガードに助けを求めた。最早、虫の息だ。


 ただし、リンムにその声は届かなかった。


 何より、今、スーシーを助けてやれる者は誰もいなかった。せいぜいスーシーのもとにやって来たのは、死神の鎌口だけだ。


 ここでスーシーの命は早くも潰えるのか――という刹那だった。


「そういえば……貴女はリンム・ゼロガードの血縁者でしたね」


 姉御なる人物はそうこぼした。


 もちろん、正確には血など繋がっていないが、盗賊の頭領ゲスデス・キンカスキーからは報告を受けていた。


 冴えないおっさんことリンムが女性二人を侍らせていた、と――そのうちの一人はなぜか妻を名乗っていた第七聖女ティナ・セプタオラクルだから、もう一人の娘とやらはこのスーシーで間違いないだろう。


「となると、この女……まだ使い道がありそうですね」


 姉御なる人物は実に嫌らしい笑みを浮かべた。


 アイテム袋から怪しげな壺を取り出して、ヒルに似た一匹の魔虫を指でつまんでみせる。


「今後、リンム・ゼロガードと戦う際に役に立ってもらいましょうか。あの男が噂通りのお人好しなら、何ならこの駒・・・だけで倒せるかもしれない」


 そう言って、姉御なる人物はスーシーの傷口に魔虫を擦り込んだ。


「ううっ!」


 スーシーは呻いたが、斬られた痛みでとうに意識が朦朧としている。


「それでは、近いうちにまたお会いしましょう。そのときは魔虫が育っている頃合いですかね。楽しみにしていますよ」

「…………」


 もっとも、スーシーはついに気を失ったようだ。


 姉御なる人物は「ふむん」と満足そうに息をつき、遠くにいる猟兵団の一員に視線をやった。


 その者は肯きを返してきた。どうやら聖女ティナを確保したようだ。そうとなれば、こんなところに長居は無用だ。


 こうして姉御なる人物は盗賊たちが待機しているはずの高原――ではなく、傭兵たちと共に『初心者の森』の方に向かったのだった。






「ふん、ふん、ふーん、鹿のふーん♪」


 その頃、リンム・ゼロガードは呑気に鼻歌をうたっていた……


 しかも、おっさんでなければ通じない、ずっと昔に吟遊詩人が流行らせた民謡だ。


 湯屋外の出来事は傭兵たちこと猟兵団によってシャットアウトされていたので、リンムたちの周辺では些細なことしか起きていなかった。


 そう。それは本当に他愛のないこと――


 まず、盗賊の頭領ゲスデス・キンカスキーがのぼせた。


 要人ご用達とはいえ、午前中の『花崗岩の湯』の水温は意外と熱かった。日中なので中々冷えないのだ。


 おかげで、多分に飲み過ぎたせいもあるのだが、呑兵衛のゲスデスは情けなくも千鳥足になって、湯から出て着替え場でばたりと倒れた。


 次に、そんなゲスデスを介抱してやろうと、猟兵団長シイト・テンイーガーがやれやれと立ち上がった。


 オーラ・コンナー水郷長が「しっし」と追い払うかのように邪険に扱ったわけだが……しばらくしてから「ん?」と眉をひそめて、わざわざ後を追って着替え場に入ると、


「おい! リンム! すぐに上がれ!」


 そんな大声が響いた。


 リンムが手拭いを腰に巻いてやって来ると、のぼせたゲスデスは縄で締め上げられていた。もっとも、これはオーラ水郷長の仕業ではないらしい。


「これは……どういうことかね?」

「知らん。仲間割れか……もしくは人身御供のつもりか。何にせよ、外の様子がおかしい。人の気配がなさすぎる」

「……たしかに。立哨している者たちの動きがまるで感じられないな。まさかスーシーたちを襲ったとかいう盗賊団が動いたのか? だとしたら、なぜこのいかにも盗賊らしい大男が縛られているんだ?」

「さっきも言ったろう。人身御供やもしれん。こいつはちんけな盗賊に違いないが、奴らの中には明らかな異物も混じっていた」


 オーラ水郷長はリンムに話しながらゲスデスを縄で引きずって、温泉の木柵を壊して女湯へと入った。


 もっとも、そこには悲鳴を上げるはずの聖女ティナの姿はなかった……


「明らかな異物とは?」

「帝国の犬ども――正確には猟兵団といって、第一から第三まである特殊機関のことだ。ここ数年、やけに王国の辺境に絡んできやがったんだが……事ここに至って、大きく動き出したようだな」

「まさか……お前さんが冒険者を辞めて、わざわざ地元に戻ってきたのも?」

「その通りだ。まあ、その話は長くなる。今は着替え場に入って確認するぞ」


 オーラ水郷長はそう言って、リンムと共に女性側の湯屋に入った。


 そのとたん、二人は血相を変えた。自警団の女性たちが全員斬られて倒れていたからだ。


 それにやはりと言うべきか、こちらにも聖女ティナの姿はなかった。身に着けていた冒険者風の衣服が幾つか残っているだけだ。


「ちい! まさかスーシー・フォーサイトともあろう者が付いていながら、悲鳴の一つも上げられないとはな!」


 オーラ水郷長からすれば、女騎士スーシーが聖女ティナのそばにいて、異変があったらすぐに知らせるという段取りでもって隣の湯に入っていた。


 王国四大騎士団の頂点の一角がそれすら出来ないとは夢にも思わず、ついスーシーのことを罵ってしまったわけだが――一方でリンムはというと、湯屋を出て、冷静にあたりを見回してから、すぐに細道で倒れているスーシーを見つけた。


「おい、スーシー! 大丈夫か?」


 そう声をかけて、リンムはアイテム袋から回復用のポーションを取り出す。


 すると、オーラ水郷長が「ん?」と首を傾げつつ独りちた――


「これは……どういう状況だ。なぜ、護衛のはずのスーシーがこんなところで倒れている?」


 オーラ水郷長の困惑も、もっともなことだ。


 聖女ティナが誘拐された現場は湯屋内の着替え場に違いない。残されていた衣服からもそれは明白だ。


 となると、女騎士スーシーが湯屋に続くこの細道で倒れているのはいかにも可笑しい……


 拐われたティナを追いかけて、その途中で隙をつかれて斬られたのか? ならば、異変を男湯に伝えなかった理由が分からない。


 だから、オーラ水郷長の独り言はつい大きくなった――


「さっぱり分からん。着替え場で自警団と一緒に斬られていたならまだ理解出来るが……なぜここで?」

「状況を整理しようか。ティナはおそらくスーシーと別れて、先に湯屋に入ったのだろうな。とはいっても、護衛のスーシーがティナと離れるなど、本来は考えづらい」

「つまり、よほど離れるに値する出来事が起こったってことか?」

「もしくは、離れても問題ないとみなせる人物がやって来たかだ」

「なるほど。認識阻害などで俺たちに成りすました人物にだまされたってところか?」

「いや、スーシーならば、ある程度の認識阻害などは見破れるはずだ。目端の利く娘だからな」

「…………」


 オーラ水郷長は無言になった。どのみち考えても答えなど出てこない。


 だから、その手を高く掲げて、いつぞやのように「出でよ、狂犬!」と声を上げた。すぐに二匹の子犬たちが現れる。その子犬たちにティナが残した衣服の匂いを嗅がせて追跡をさせた――


 もっとも、犬たちは二手に分かれてしまった。ムラヤダ水郷の上の高原方面と、ここからは離れた『初心者の森』の方向だ。


「ご丁寧に囮まで用意したってことか」


 オーラ水郷長は舌打ちしたが、すぐさま縄で引きずっていたゲスデスの頬を叩いた。


「おい、起きろ! 貴様らの計画をたっぷりと白状してもらうぞ!」


 いまだぼんやりとしていたゲスデスだったが、聖女ティナを拐った者が二手に別れたこと、さらには自分が猟兵団のシイトに縛られていたことを聞いて、自嘲気味に笑った。


「そうか……なるほど、そういうことかよ……道理で不味い酒のわりに酔いがはえーと思ったよ。一服盛られていたってことか」


 ゲスデスは「はあ」とため息をついた。


 その息はあまりに重く、また深かった。まるでこの一年間、腹に溜め込んで消化出来ずにいたもの全てを吐き出したかのようだ。


「白状してやってもいいが……条件がある。俺はどうなってもいい。だが、何も知らされず、今頃重いだけの麻袋を持って高原を駆け回っている仲間たちは……どうか見逃してやってほしい」


 ゲスデスが項垂れながらもそう言ってきたので、オーラ水郷長はリンムと目を合わせて「うむ」と肯いてから、


「つまり、高原が囮で、森が本命か。で、貴様が頭領でないとしたら、誰が頭を張っている?」

「姉御さ。名前は、フィフライアー」

「……ま、まさか!」

「そう。泣く子も黙る――リィリック・フィフライアーさ。裏社会の超有名人VIPだよ」


 そのとたん、オーラ水郷長は顔色を変えた。


「くそが! 最低最悪だ!」

「それほどの人物か?」


 リンムが尋ねると、オーラ水郷長は頭を掻きむしった。


「ああ。最低や最悪なんて言葉ではまだ生温い……リィリック・フィフライアーは公国潰しの張本人。西方紛争の発端を作った大悪党だ。大陸中のお尋ね者だよ」

「まさかと思うが……フィフライアーということは、イナカーンの街のギルマス、ウーゴ殿と何か関係が?」


 リンムが眉をひそめながら聞くと、オーラ水郷長はそれこそゲスデスみたいに息を吐き出した。


「双子の妹だ。もっとも、どういう理由かは知らないが――妹の方は人族をとっくに止めちまっているがな」



―――――



リンムが冒険者にもかかわらず、懸賞金の出ているお尋ね者を知らなかったのは、イナカーンの街ではウーゴがその情報をわざと隠していたからです。そこらへんの機微はいずれ書く予定です。


さて、鹿のふんの歌ですが、何がネタもとだっけと調べてみたら、『オレたちひょうきん族』内で吉永小百合が歌ったと出てきました……


すいません。この作者は一応十代の若手を自称しているので、さっぱり分かりませんでした……そのうち、ひょうきん懺悔室みたいに水を被せられそうだな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る