第22話 それぞれの思惑

「何やら騒々しいことだな」


 ダークエルフの錬成士チャルはそう言いながら、リンム・ゼロガードたちが詰めていた櫓に上がってきた。


「おや、商売はもう終わったのかね?」

「これだけ騒がしいと、売れるものも売れやしない。素材の買い出しに行こうにも、商人たちまで入口広場に見物に出てしまったほどだ」

「それだけ、このムラヤダ水郷が普段平和だということの裏返しじゃないか?」

「まあ、そういうことなんだろうな」


 チャルは小さく息をつくと、広場に視線をやった。その目つきがやや険しかったので、リンムはためしに尋ねてみることにした。


「そういえば……オーラ水郷長が苦手なのかね?」

「ほう。どうしてそう思った?」

「ムラヤダ水郷に着いたときも、櫓にいたオーラ水郷長に気づいて、そそくさと逃げるようにして郷に入っていったじゃないか。今も、広場にいるオーラ水郷長をやけに注視している」

「なるほどな。よく観察しているものだ……まあ、苦手というわけではないんだ。どちらかと言うと、同族嫌悪みたいなもんさ」

「同族嫌悪?」


 意外な言葉が出てきて、リンムはつい鸚鵡おうむ返しになった。


 まさかオーラ水郷長もダークエルフなのだろうか……それならばAランク冒険者にまで上り詰めたのも理解出来るが――さすがにその可能性はないとすぐ考え直した。


 そもそも、この大陸ではダークエルフは希少種で、チャルですら認識阻害を使って隠れ住んでいるぐらいだ。王国で一人しかいない冒険者の頂点に立って、しかも引退して郷のおさになるようなダークエルフが果たしているだろうか……


 すると、チャルは一応の答えを出してくれた。


「何にしても、鼻の利く奴は嫌いなんだ。ほら、見てみろ。今もまだ嗅いでいる」


 リンムもまたオーラ水郷長へと視線をやった。


 たしかにオーラ水郷長は何かの気配を感じ取ろうとしているようだ。それがいったい何なのか、リンムにはよく分からなかったが――その直後だ。


「おや? これは……どういうことだ?」


 リンムはふと違和感を覚えた。


 同時に、チャルが「ふふ」と、妖しく笑みを浮かべてみせる。


「さすがに気づいたか? 今回、私は干渉するつもりはないぞ。ただ、一つだけ、はっきりしていることがある。今、お前の視線の先にいた者は間違いなく――」






 オーラ・コンナー水郷長は目敏く広場全体に視線をやった。


 対峙したドウセ・カテナイネンはすでに狂犬たちのもふもふにやられて戦意喪失している。


 だが、問題はそこではない。ドウセは歴とした冒険者だ。とはいえ、西方紛争で荒れてしまった公国から王国に流れて来て、今でも冒険者を続けているのかは判断がつかない。もしかしたら、聖女一行を襲った盗賊団に身を落としている可能性だってある。


 ともあれ、結果的にこうしてドウセは噛ませ犬になった――


 いったい何の為に?


 この郷の自警団の対応を見たかったのか?


 いや、それは違う――昨日の夕方にやって来た冒険者たちの中にはいかにも荒くれみたいな連中もいたが、自警団では手に負えないレベルの者も混じっていた。


 オーラがわざわざ櫓に上がったのも、そんな怪しげな実力者たちを警戒したからだ。奴らの地力を考えれば、自警団など歯牙にもかけないはずで、いちいちこの郷の対応を事前に確認する必要性などない。


 となると、やはりオーラを引きずり出したかったのだろうか?


 実際に、ドウセは「やっと出てきやがったな」と言っていた。つまり、オーラを待ち構えていたわけだ。


 引退したAランク冒険者の現在の実力をわざわざ測りたかったのか。もっとも、それだとドウセでは力不足に過ぎる。オーラに当てるならば、もっと適任がいたはずだ……


 というところで、オーラはふいに青ざめた。


「しまった。そういうことか!」


 オーラはすぐに郷の入口へと振り向いた。


 だが、そこには立哨している二人の青年、テーレ・ビモネンとラージ・オモネン以外には他にいなかった。


 そもそも、ほとんどの者はオーラたちを囲むようにして、広場の奥側に移動している。


 だが、それでもオーラの鼻には嫌な臭いが漂ってきた。


「最低だな。こんちくしょう。こいつはもしや――魔族が・・・入り込んできたか」






 盗賊団の頭領ゲスデス・キンカスキーは湖のそばの飲み屋で安酒をあおっていた。


 今頃は部下のドウセが暴れて、オーラ水郷長と一悶着を起こしている最中だ。もっとも、相手が元Aランク冒険者となると、ドウセでは歯も立たないことだろう。


 なぜいちいちそんなことをさせるのかと、ゲスデスも最初は不審に思ったものだが、何にしても敬愛している姉御・・が指示したことなのだから間違いはないはずだ。そもそも、その目的は二つ――


 一つは、傭兵たちにオーラ水郷長の戦い方を見せること。


 ドウセ相手に本気を出すかどうかは分からないが、今後の計画を考えると、何の情報もないよりかは幾分かマシだ。


 そして、何よりもう一つは――


「おや、もう飲んでいるんですか? 貴方の悪いところは呑兵衛なところですね。お酒を止めたら、もう少しは強くなれますよ」


 すぐ背後でそんな淡々とした声がしたものだから、ゲスデスはギョっとして振り向いた。


 だが、そこには誰もいなかった。だから、「あれ? おかしいな」と、ゲスデスがじっと注視していたら、しだいに空気にモザイクがかかったようになって、襤褸ぼろのマントを纏った人物がその場に浮かび上がってきた――認識阻害がかかっていたのだ。


「おう、やっぱ姉御じゃねえか! やっと郷に入ったのか」

「ええ。櫓にずっと鼻の利く犬がいたので苦労しましたが、ドウセが上手く引き剥がしてくれたようですね」

「てえことは、ドウセの野郎もちっとは役に立ったんだな」

「捨て駒にするにはちょうどいい存在でした。今頃は自警団に捕まっている頃合いでしょうから、機を見て傭兵たちに殺させてあげてください。まあ、どのみちドウセには欺瞞情報しか与えていませんが」

「で、傭兵どもへの指示は姉御がするのか?」

「いえ、貴方がしてください。盗賊団の頭領は貴方なのですから」

「へいへい」


 ゲスデスはいかにも面倒臭そうに掌をひらひらと泳がせた。


 もっとも、ほんの一年前まで王国の片隅でしがない盗賊団をやっていたゲスデスたちを盛り立てて、ここまで育ててくれた恩義は感じていたので、その指示を無視する気はさらさらなかった。


 ただ、ゲスデスも気になったことがあったので、木杯をテーブルに置いてから尋ねることにした。


「ところで姉御よ。何でそんな仮面・・なんか付けているんだ?」

「ああ、これですか。ちょっと理由がありましてね」

「はあ、理由ねえ?」

「貴方の悪いところはそうやって詮索しがちなところですね。こないだも傭兵たちに敵意を向けられていませんでしたか?」

「悪かったよ、姉御。そんなつもりは欠片もないんだ」

「まあ、別に気にしませんよ。この仮面を付けているのは――ちょっとした知り合いに顔を見せたくないからです」


 それを聞いて、ゲスデスはつい眉をひそめた。


 姉御と慕うこの人物と知り合ってから早一年経つが、その交友関係も、過去も、何もかもよく知らなかった。


「へえ。姉御に知り合いがねえ」

「はい。今、この郷に二人・・ほどいましてね。認識阻害が見破られる可能性もあるので、こうして物理的に隠しているわけです」


 詮索好きなゲスデスはすぐに気づいた――


 それほどの実力者ならば一人は間違いなくオーラ水郷長だ。


 元Aランク冒険者といったいどういう関係だったのか。ゲスデスは興味津々だったが、それこそ聞いたらまた怒られるに違いないと思い直した。


 とはいえ、もう一人については皆目見当もつかなかったわけだが……


「まあ、いいさ。じゃあ、俺はそろそろ入口広場に行ってくるぜ」


 それだけ言って、ゲスデスは木杯片手に傭兵たちに会いに行ったのだった。






「いってらっしゃい。喧嘩はダメですよ」


 姉御と呼ばれた人物はゲスデスを見送った。


 そして、すぐに計画の変更を余儀なくされたことに苛立った。まさかあの・・リンム・ゼロガードがこの郷に来ているとは思いもしなかった。


 オーラ水郷長を暗殺して、ここを一時的な拠点にしようかと気楽に考えていたものだが、そうなればリンムとも戦う可能性が出てくる。それだけは現状、御免被りたかった。


 というのも、リンムの強さについては同僚・・から散々聞かされてきたからだ。


 西方紛争によって大陸西側にある公国が魔族の手に落ちたにもかかわらず、大陸南側の王国が安定しているのも、『初心者の森』をいまだに支配下に置けていないせいだ。


 そう言う意味では、現在、魔族の間で最も注視されている人族こそ――リンム・ゼロガードだった。


 あれがFランク冒険者だというのは、いささか皮肉に過ぎる……


「ここはじっと静かにやり過ごすべきでしょう。相手にしなければいいのです。当面の目的は、聖女の身柄の確保と、その為の拠点作りであって、強者を退けることではありません」


 姉御と呼ばれた人物はそう呟いて、ゲスデスの飲みかけの酒を瓶ごとあおったのだった。

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