第21話 狂犬

 女騎士スーシー・フォーサイトはごくりと喉を鳴らした。


 実のところ、オーラ・コンナー・ムラヤダ水郷長の力量を櫓の上だけでは推し測ることが出来なかった。


 そもそも、先ほどの話の通り、王都では入れ違いとなった格好だったので、名前や噂はよく耳にしたものの、本人に会うのはこれが初めてだった。


 それでも、二つ名の『天高く吠える狂犬』は引退した今でも有名で、いったいどれほど尖った人物なのかと想像したものだが――実際にまみえてみると、リンム・ゼロガード同様に温和な中年男性といった印象を受けた。


 たしかにリンムよりも二回りほど大きな巨躯を誇って、引退した今でもその筋肉は全く衰えておらず、対峙しただけで強い威圧感プレッシャーに晒されたのはさすが元Aランク冒険者だ。


 戦士か、武道家か、いずれにしても近接格闘系のスキルを伸ばしてきたに違いなく、その身のこなしの軽さから見ても、パワー体力タフネスだけでなく相当な速さスピードも兼ね備えたタイプだろう。


 何なら、あんなちんけな冒険者もどきではなく、スーシー自身が広場で対峙したいくらいだった。


 それだけに、スーシーはついついリンムに聞いてみたくなった――


「ねえ、義父とうさん?」

「何だね?」

「もし……だけど、義父さんとオーラ水郷長とが戦ったらどっちが勝つの?」

「当然、オーラ水郷長だ」


 リンムの即答にスーシーは小さく息を飲んだ。


 もっとも、この答えはある程度予期していた。そもそもリンムの自己評価の低さは小さな頃からよく知っていたからだ。明らかに他の冒険者よりも強そうなのに、薬草採取や森の調査ばかりでランクを上げるつもりがさらさらない……


 その剣技もとっくに王国最強の近衛騎士団長ジャスティ・ライトセイバーを超えている可能性があるのに、それを試そうとする野心さえない……


 だから、こういう聞き方ではダメだとスーシーは気づいて、話の角度を変えてみた。


「じゃあ、義父さんはなぜオーラ水郷長に勝てないの?」

「単純な話だよ。俺では斬れないからだ」

「……斬れないとは?」


 もしかしたらオーラ水郷長は『狂犬』という二つ名のわりには攻撃よりも守備が得意なタイプなのかなとスーシーは思いついた。スキルの『鋼化』などで何者も寄せ付けないということだろうか。


「文字通りの意味だよ。俺は絶対に斬ることが出来ない。おそらくスーシーでも無理だな。あれは人の心を持ち合わせている限り、手も足も出ない」

「――――っ!」


 それほどの実力者かと、スーシーは固唾を飲んだ。


 人の心が云々という点がいまいちよく分からなかったが、『狂犬』というだけあって、もしかしたら人外の域に踏み込まない限りは勝てないということか……


 そんなこんなでスーシーが考えあぐねていると、広場ではついに決闘が始まろうとしていた。


 いつの間にか、冒険者もどきとオーラ水郷長を囲むようにして、他の冒険者たち、野次馬、それに自警団が距離を置いて見守っている。


 どうやらその冒険者もどきもオーラ水郷長と同様に近接格闘系のようだ。拳武器以外に余計なものは持ち合わせていない。年齢はオーラ水郷長の一回りほど下、おそらく三十を超えたくらいか。スキンヘッドで隻眼――『狂犬』本人よりもいかにも狂犬らしい風貌だ。


 何にしても、拳同士の単純シンプルな格闘戦は剣や槍を主武器とする騎士団ではあまりやらないから、スーシーにとっては新鮮に見えた。


「ふん。やっと出てきやがったな。元Aランク冒険者のオーラ・コンナーよ」

「ほう? 俺のことを知っていて挑発したのか? わざわざ手間をかけたな」

「いいや。そうでもないぜ。オレは公国でBランク冒険者をやっていた、ドウセ・カテナイネン――二つ名は『地に低く呻る凶犬』! 忘れたとは言わせないぜ。テメエの無二の好敵手ライバルだ!」

「……そうか。で、誰だっけ?」

「そういうところだよ! テメエを超えて見返してやろうと思っていたのに、断りもなく勝手に引退しやがるわ、公国はあんな有様になるわで、何にしても今日、ここでテメエを倒して溜飲を下げてやる!」

「好きにしろ。では、さっさと始めるとするか」


 オーラ水郷長がつまらなそうに肩をすくめて、「来い、狂犬」と片手を天に掲げた瞬間だった――


 その場の空気が一気に変じたのだ。


 同時に、櫓上で見ていたリンムが呟いた。


「終わったな」


 隣にいたスーシーが「え?」と反応した直後だ。


 対峙していた冒険者もどきことドウセが仰向けに倒れていたのだ。


 その上体には、いつの間にか、まとわりつくようにして二匹の子犬がじゃれていた。オーラ水郷長が召喚したのだ。ドウセはその子犬たちに押し倒されていた。


「まさか! 野獣使いビーストテイマー?」


 スーシーが声を上げると、リンムは「うむ」と肯いた――


「ばう、ばう!」

「きゃんきゃん!」

「な、何だ……こいつらは……か、可愛い……ていうか、ごら! オーラ! 勝負し……あ、ダメ、そこ、もふもふ気持ちいいー」


 三十過ぎのおっさんがもふもふに屈して伏しているさまは……


 残念ながらあまり視界に入れたいものではなかった。やはり子犬とじゃれるのは少年か女性に限る。


 と、そんなふうにスーシーは思いながらも、先ほどのリンムの言葉をふと思い出した――「俺では絶対に斬れない」。なるほど、たしかにあれではスーシーも斬れないはずだ。


 というか、あの野獣はさりげなく『魅了』、『混乱』や『絶望』を振りまいている。元Aランク冒険者が使役しているわけだから、ただの子犬というわけでもなさそうだ。


 スーシーは「ふう」と、短く息をつきつつも、ちらっと隣に視線をやると、


「おじ様も負けないくらいに可愛いですわ」


 などと、しれっとリンムに絡んでいた聖女ティナを果たしてどうしてやろうかと思案に暮れるのだった。

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