第20話 内緒話をする
「なあ、リンムよ。とりあえず……婚約の件についてはあまり触れない方がいいのか?」
オーラ・コンナー・ムラヤダ水郷長は聖女ティナが妄想モードに入っているのを横目に、ぼそっとリンムに尋ねた。
「ああ、頼む。この件については後で何とかする」
「ねえ、
「そ、それは、あくまでも最終手段だ。そもそも俺は一応、彼女の護衛だぞ?」
「それもそうだったわね。失念していたわ。じゃあ、あとでチャルさんに聞いて、精神作用系の魔術で何とかならないか確認してみる」
「大丈夫か? 心身に悪影響が出そうな気もするが?」
「ちょっとぐらいパーになっても問題ないわよ。もともと昔からパーなところがある
「そ、そうか……では、頼んだぞ。少なくとも、イナカーンの街で嫁云々と喧伝されては非常に困る。それまでに何とかしたい」
リンムがそう結論付けて、困惑した表情を浮かべていたので、女騎士スーシーも「うーん」と呻るしかなかった。
記憶消去などと、散々にこき下ろしたばかりだが、大切な親友である聖女ティナの初恋だから応援したい気持ちは山々だった。
とはいえ、今回ばかりはその相手が悪すぎた。そもそも、スーシーにとってリンムは義父であり、剣の先生であり――何よりいまだに強く憧れる人物だ。
小さな頃から男の子たちに交じって育って、長じてからは男所帯の騎士団で過ごしてきたスーシーは同僚たちから、「見目はともかく、騎士の中で最も男臭い女団長」と評されて敬遠されてきた。
しかも、舐められないようにと、スーシーが団長になってからの神聖騎士団の
そんなこともあってか、小さなときに指導を受けたリンムに対する
「だから、ティナには悪いんだけど……
スーシーは誰にも聞かれないほどの声音でぼそりとこぼした。
「――――っ?」
刹那、リンムは背筋がぴしりと凍った気がした。
この櫓でもう一匹の女豹がついに目覚めてしまったとは露知らず、何にしてもリンムはオーラ水郷長の方に向いて話をもとに戻すことにした――
「婚約どうこうの話はいったん脇に置いて、今、俺とスーシーは聖女様の護衛をしているんだ」
「たった二人だけでか?」
オーラ水郷長が当然の疑問を発したので、今度はスーシーが代わりに応えた。
「いえ。実は、私の部下である神聖騎士たちもいたのですが、イナカーンの街に向かう途中で盗賊団らしき者たちに襲われて、分かれてしまったのです」
「盗賊だと?」
「はい。ただ、私とティナは離れた場所にいたので、遠目でよく分からなかったのですが……相手は二十名ほどの集団でした。部下は商隊に扮して十名――盗賊たちの半数ではありますが、後れを取るなど、決してあり得ないはずなのですが……」
すると、ティナがやっと妄想の世界から帰って来て、スーシーの話に加わった。
「スーシーは森から襲い掛かってきた魔獣を注視していたから気づかなかったのでしょうけど……その盗賊たちから少し離れたところに後詰のような人たちもいましたわ」
「え? 本当? 何人ぐらいいたの?」
「ちらっと見えただけだからさすがに正確じゃありませんが……十人ぐらいでしょうか」
それでも十人の神聖騎士に対して、盗賊たちは三十人ほど――
魔獣や魔物なども退ける神聖騎士たちの実力を考えれば、蹴散らすのは容易なはずだ。
それが出来なかったということは、やはりただの盗賊ではなかったのか……あるいは他に理由があったのか……
そんなことを考えつつも、オーラ水郷長はティナに物腰柔らかく尋ねた。
「そいつらの顔は見られましたか?」
「さすがに全員は……」
「幾人かは覚えていらっしゃいますか?」
「うーん……どうでしょうか」
「では、見れば思い出す可能性はございますか?」
「……遠くにいたので確かなことは答えられません。しかしながら、なぜ、それほどに幾度も確認するのですか?」
ティナ同様にリンムやスーシーも訝しげな表情を作ったので、オーラ水郷長はやれやれと肩をすくめてからリンムへと向き直った。
「実のところ、他にも訳ありな連中がうちの郷に来ているようでな」
それだけ言って、オーラ水郷長はムラヤダ水郷の入口広場に指をくいっとやった。
たしかにまだ午前中だというのに広場には冒険者たちが多くいた。もっとも、ムラヤダ水郷は温泉でも有名だから、観光客が多いのは特におかしなことではない。
ただ、王侯貴族にしろ、平民にしろ、観光に来た者はすぐにそれと分かる。よくリラックスしているし、何よりそのほとんどが軽装だ。そんな観光客と比して、冒険者たちは武器をしっかりと携帯して、いかにも油断なく過ごしている。
「なるほど。お前さんが珍しく櫓に上がっていた理由はこれか?」
「そういうことだ。連中の様子を観察したくてな」
「だが、郷に入る際に身分照会はしたんだろう?」
「もちろんしてあるさ。
「ああ。イナカーンの街にも幾人かいるからな」
「でもって、連中は王都で盗賊団退治の
「その依頼は正式なものだったのか?」
「残念ながら、この郷には冒険者ギルドがないからな。今、イナカーンの街まで伝令を飛ばして確認させている最中だ」
「ちなみに、退治にやって来た冒険者の人数は?」
リンムがそう尋ねると、オーラ水郷長はかえってにやりと笑ってみせた。
「ちょうど三十人だ」
「…………」
偶然にしては出来過ぎだ。
さすがにリンムもスーシーやティナに視線をやって、渋い表情になっていると、
「うわあああああ!」
と、眼下の入口広場から声が上がった。
どうやら広場にある飯屋で一悶着があったようだ。自警団の若者が突き飛ばされたのか、飯屋の入口から転げ出てきた。
「おいおい、だから言っているだろう? 俺は力自慢なんだ。少しの間、ここの用心棒をやってやるから、飯代くらいはまけろって。なあ?」
その飯屋からいかにも荒くれ者といった風貌な冒険者が一人だけ出てきた。
当然、自警団がすぐに集まってくるも、冒険者は自信満々といったふうで、武器には手をかけず、両腕を組んでにやにやと嫌らしい笑みを浮かべている。
「おいおい、喧嘩は両成敗だろう? 先に手を出してきたのはそっちだぜ。それとも何か? この郷では自警団が寄ってたかって相手をしてくれるってのか? いいぜ。来てみろや」
どうやら広場にいた幾人かの冒険者も加勢しそうな雰囲気だ。
だから、オーラ水郷長は「ふう」と小さく息をつくと、
「リンムたちはここで待っていろ。わざわざ連中から仕掛けてきたんだ。ここは乗ってやるのが上策というもんだろう?」
それだけ言って、『狂犬』の二つ名を誇るにしてはあまりにも静かに櫓から下りていったのだった。
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