第15話 強者(後半)

 さて、戦いの途中で余談となって恐縮だが、リンム・ゼロガードがまだ十代前半、剣の師匠について研磨していたときの話だ――


 師匠となった人物はリンムに両目を閉ざさせてから、「相手を捉えたと思ったら、剣を振れ」と、急に無茶振りをしてきた。


 もっとも、リンムからすれば、たとえ視界が閉ざされていても、小さな頃から森の中で培ってきた耳と鼻の良さ、それに肌の感覚ですぐに師匠を捉えられる自信があった。


 実際に、リンムは足音に加えて、微かな風の流れを感じ取ると、


「そこだ!」


 と、木剣を横薙ぎに払った。


 だが、すぐに背後から棒切れで臀部をぴしりと叩かれてしまった。


「――――っ!」


 同様に、リンムは幾度も師匠を追いつめたつもりだったが……小一時間ずっと叩かれ続ける羽目になった。


 リンムは驚くしかなかった。これまでずっと信じてきた五感がむしろリンムを裏切り続けたのだ――


人族は・・・相手を目で追いかけがちだ。あるいは耳に頼り、肌で感じて、何なら犬みたいに嗅ごうとさえする。だが、それではあたしら・・・・は決して捉えられない。なぜだか分かるかい?」

「いえ、師匠……分かりません」


 しばらくの間、暗闇の中で沈黙だけが流れた。


 もしかしたら師匠に呆れられたかと、リンムは焦ったものの、すぐそばから囁くように返事があった。


「その通りだ。文字通り、それこそが答えなのだ、リンム・ゼロガード――ろくに魔力マナを持たない人族の若者よ」

「…………」


 分からないことが答えとは、まるで頓智のようだったが……何にせよリンムは考え直すしかなかった。


 師匠は無愛想ではあったし、話下手でもあったが、無用なことは決して言わない性格だった。


 つまり、分からないのが答えということは、リンムにとって知らないこと、もしくは苦手なことと関係してくるのかもしれない……


 もっとも、未知をいきなり求めるのは、幾ら厳しい師匠といえども、さすがに無茶振りに過ぎる。


 となると、苦手なことか――そもそもリンムは剣士なので、魔術師や聖職者のように魔力を扱うのは得意ではない。彼らのように大気中の魔力をその身に上手く宿すことが出来ないからだ。


 一方で、リンムの師匠はというと、まさに魔力の塊・・・・のような存在だった。


 本人曰く、本来の職業は魔術師ではなく、海賊とのことだったが、たしかに広大な知識を持って、あらゆる武器に精通した本物の強者だった。


 逆に言うと、あまりに強すぎたからこそ、リンムはいまだに師匠の足もとにも及ばないと、低い自己評価に繋がってしまったわけなのだが……


 何にしても、リンムがまだ駆け出し冒険者だった頃に分不相応の依頼をこなそうとして、『妖精の森』で惑わされたときに助けてもらったのがきっかけで、半年ほど通いで稽古をつけてもらった。


 そのとき、リンムは五感に頼らず、暗く、無音で、臭いもなく、何ら肌で感じ取れない世界でやっと、師匠を見出すことが出来たときに初めて――


「よくやった、リンムよ。まだまだ弱っちいが、これからはあたしの代わりに、この森に出てきた黒い獣たちを狩りな。それが稽古をつけてやった分の代価だよ。まあ、あんたの生涯をかけて、せいぜい払うことだね」


 と、いわゆる免許皆伝を受けたのだ。


 その師匠からすれば、多分に面倒事をリンムに押し付けたかっただけなのかもしれないが……はてさて運命の悪戯とは面白いもので、こうしてこの大陸は一人の無名の英雄を得たのだった。






 今、リンムはあのときと似たような状況に置かれていた。


 両目を閉じて、耳と鼻に頼らず、皮膚感覚も捨て去って――この錬成室に充満している魔力マナの流れだけを捉えようとした。


 ダークエルフの錬成士チャルは亜人族なので魔核を持っているわけではない。だから、魔獣ほどには、その一挙手一投足が大気中の魔力を搔き乱してはいない……


 それでも、認識阻害の闇魔術を展開するとき、必ず魔力の制御が行われるはずだ。


 リンムはそれを見定めようとした。


 もちろん、チャルもリンムの雰囲気が変わったことにすぐに気づいた。


 そして、人知れず笑みを浮かべた――なるほど。滅多に人族を信用しない『放屁商会』が一目置いただけはあるな、と。


 このとき、チャルは初めてリンムの評価を数段上げた。とはいえ、簡単にその剣身に晒されるつもりもなかった。


 実のところ、チャルは事前にこの錬成室内で三つの認識阻害をかけていた。


 部屋にある幾つかの家具の配置を替えて相手を驚かせるものと、チャル自身の存在を消すもの、そして何より――とあるモノ・・・・・をチャルに見せかけるものだ。


 果たしてリンムに正解が見分けられるかどうか。チャル本人はというと、こっそりと背後からリンムに襲い掛かることにした。


 一方で、リンムは五感を閉じながらも、すぐ眼前から大きな魔力の揺らぎを感じ取っていた。


 先ほどまで散々、蜃気楼のように揺らぐチャルとなって、リンムを苦しめてきたモノがゆっくりと接近してくる。


 だから、リンムは「そこだ!」と一歩前へ踏み込んだ。


 蜃気楼のチャルによる突きを片手剣で受けずに――体を入れ替えるようにして素早くいなしてみせると、


「なるほど。やはり、これは偽物だな」


 リンムはそう看破した。


 亜人族ダークエルフにしては魔力の揺らぎが大き過ぎるのだ。


 そして、すぐに振り向く。リンムにいなされた蜃気楼と正面衝突をした――チャル本体に対して、剣を横薙ぎに払ってみせたのだ。


「どうだ!」

「……つうっ」


 直後、認識阻害は全て解けた。


 チャル自身は右腕に纏っていたリングで片手剣を防いでいた。


 また、蜃気楼はぽんと音を立てて霧散すると、そこに魔物であるヤモリが「キュイ」と一匹、躍り出てきた。


「ふう。よくやった。私の負けだよ。完敗だ」

「キュキュイ」


 リンムは「ほっ」と一息ついた。


 女騎士スーシーも、聖女ティナも、「やった!」と声を上げて喜んでくれた。もっとも、リンムには勝ち誇る気など微塵もなかった。


「いや、勝ったつもりには全くなれないな。そもそも、あなたは本気を出していなかった」

「ほう。どうしてそう思ったのだ?」

「あなたは魔術師なのだろう? 認識阻害以外の魔術をろくに使っていないではないか。これでは手加減されたようなものだ」

「そうひがんでくれるな。どのみちこの錬成室内ではろくに魔術は使えないよ。燃やすわけにも、濡らすわけにも、道具などを吹っ飛ばすわけにもいかないからな」

「まあ、それはそうなんだろうが……」


 リンムは言葉を濁したが、やはり自分よりも強い人物はたくさんいるのだなと、また無駄に思い込むのだった。

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