第13話 神話と伝説に触れる

「ほう……これはすごいものだな」


 洞窟を利用した邸宅は外見こそ自然そのものでごつごつとした岩戸だったが、招かれて入ってみると、その内装は王都の一流ホテルもかくやといったふうで、リンムたちは呆気にとられた。


「どうした? こちらへ来い。錬成室はこの先の地下だ。なあに、取って食いやしないさ」


 そう言われて螺旋階段を下りていくと、地下でありながらイナカーンの広場ほどもある部屋に出た。


 錬金釜や素材貯蔵棚など見慣れたものが並んでいる一方で、明らかに異質な炉、冷却塔や熱交換器、あるいは今も何かを錬成し続けている魔法陣の描かれた圧力容器などもあって、リンムはさすがに言葉を失った。


 リンムも趣味で錬成をやるのだが、このような機器は一度も使ったことはない。記された術式を見ても、何を精製・処理しているのかさっぱり分からない……


「まさか……『初心者の森』にこんな施設があったとはなあ」


 今のリンムに言えるのは、せいぜいその程度だった。


 もっとも、ダークエルフのチャルは「ふふ」と短く笑うと、ロングテーブルの上で寛いでいるヤモリたちを指先で撫でて可愛がってから、


「実は、これら施設のほとんどは、この子たちが土魔術などで造ってくれたものだよ。私の力ではない」

「ヤモリが? 本当に?」

「それにコウモリたちもだな。もちろん、この子たちはただのヤモリ、コウモリではないぞ」


 チャルにそう指摘されるまでもなく、リンムとてヤモリたちの強さはひしひしと感じ取っていた。


 先日の合成魔獣キメラの比ではない。たとえ一匹だけでも、倒せるかどうか分からないほどだ。しかも、それが幾匹もこの錬成室で群れているときたものだ。


「外見は単なるヤモリやコウモリにしか見えないのにな……まるで地竜や飛龍のような強烈な感覚プレッシャーを感じるよ」


 リンムはそうぼやくしかなかった。


 長らく『初心者の森』のぬしは湖畔の大蜥蜴だと思っていたので、まさに定説を覆された格好だ。


 もっとも、女騎士のスーシー・フォーサイトはというと、そんなヤモリたちのつぶらな瞳に惹かれたのか、指先でつんつんしながら「かわいい」と連呼している……


 ヤモリたちの強さに気づいているのか、いないのか……何にせよ王国屈指の騎士のだらけた姿にリンムは「はあ」と息をついた。


「そういえば、なぜ、あなたはこんなところに隠れ住んでいるんだ?」


 リンムが話の向きを変えると、チャルは貯蔵庫から赤い液体の入ったガラスの水差しデキャンタを取り出してきた。


 それを木製のグラスに注いで、リンムたちに提供する。最初は血かと驚いたが、どうやら新鮮なトマトジュースのようだ。


「身の上話をしだすと、まあ、長くなるわけだが……それでも聞きたいか?」

「構わない。教えてほしい」

「ふむん。私はもともと別の大陸に住んでいたんだ。この大陸にはエルフ種は全くと言っていいほど存在しないが、もといた場所では亜人族の中でも主流な種族だった」

「ん? ちょっと待ってほしい。別の大陸だと?」

「その通りだよ。この大陸のずっと東に『最果ての海域』と呼ばれる場所がある。そこからさらに北東に行ったところにある、ここよりも遥かに広大な世界・・さ」

「そうだったのか……いやはや、何だかにわかには信じられない話だな」


 リンムがそう言うのも無理はなかった。


 王国も、法国も、造船や航海術をほとんど有していない。そもそも海岸が絶壁になっている上に、鋸の歯のようなリアス式なので漁業があまり発展してこなかった。


 一方で、この大陸の東にあって、入植者たちが最初に築いた帝国はそうでもないらしいが……残念ながらリンムも一度しか訪ねたことがないのでさすがに詳しくは知らない。


 スーシーも、聖女ティナも、リンムと似たようなものらしく、チャルの身の上話には一言も発さず、聞き役に徹していた。


 しばらくの間、そんな未知かつ広大な世界の話を聞かされて、かえって圧倒的な雰囲気に飲まれたわけだが、リンムが「ふう」と一息ついて、トマトジュースを口に含むと、


「美味い!」


 思わず、言葉が漏れた。感嘆といってもいい。


 イナカーンは農作業でもっている街なので、当然トマトも採れるが、朝市で買ったぎたてでもこうは絞れないだろう。


 貯蔵庫のそばには木箱が幾つか置いてあって、そこには――『真祖トマト』と記されていた。


 この大陸では聞いたことがない銘柄だ。


 とはいえ、これほどの美味を誇るとなると、チャルが別の大陸からやって来たというのもあながち嘘ではないのかもしれないと、リンムも納得せざるを得なかった。


「つまり、あなたはその『最果ての海域』とやらを船で渡ってやって来たと? もしや……漂流でもしてしまったのかね?」

「まあ、漂流という意味では間違っていないかもな」

「そうか。大変だったんだな」

「いや。勘違いしないでほしいのだが、そもそも私は船でやって来たわけではない」

「……ん? 船でないだと?」

「そうだ。私は飛ばされて・・・・・きたのだ」


 チャルがそんな可笑しなことを言ったので、リンムも、スーシーも、ティナも、一様に理解が覚束ないといったふうに顔をしかめた。


「ふふ。まあ、そういう顔つきになるだろうな」

「もしや、俺たちを担いでいるのか?」

「いえ。お待ちください、おじ様。似たような事例を私は知っております」


 すると、これまで無言だったティナが初めて言葉を発した。


「その例は法国の聖典に記されていることなので、聖職者になる者は必ず学ぶわけですが、それは――」

「――女神クリーン様の降臨」


 ティナの言葉を切って、スーシーも応じてみせると、チャルはなぜか「ぷっ」と、急に吹き出した。


「いやはや、さすがに勘弁してほしいな。あの頭のおかし――いや、失礼。そういえば、君たちは一応、クリーンの敬虔な信徒に当たるわけだったな」

「まさかチャル様はクリーン様のことをご存じなのですか?」


 突然、ティナが前のめりで喰いついた。


 エルフ種は最も長寿を誇る亜人族として知られている。目の前のチャルが何歳なのかは分からないが、もしかしたら神話の時代から生きているのかもしれないと踏んだわけだ。


 法国の神学校で歴史や神学を教わってきたティナやスーシーからすれば、そんなチャルはまさに現人神で、文字通り生きた聖典だ。


 もっとも、当のチャルはというと、わざとらしく肩をすくめて「やれやれ」と呟くと、


「残念ながら、あまり面識はなかったから詳しいことは知らないな。まあ、私のお師匠様が彼女について愚痴を言っているのを度々聞いたことはあるがね」

「あなたのお師匠様?」


 今度はリンムが鸚鵡返しで尋ねた。


 すると、チャルはロングテーブルの上にリンムから受け取ったフォレストウルフの肝を丁寧に乗せてから、逆にリンムに聞き返した。


「放屁商会の連中からは何も聞かされていないのか?」

「ああ。そうだな……せいぜい話に出たのは、あなたがここに隠れ住んでいて、錬成を得意にしているということぐらいだ」

「そうか。じゃあ、放屁の意味も知らないのか?」

「いや、それについては聞いている。たしか、ハーフリングの伝説の魔女からあやかったものだとか」

「その魔女こそ、私のお師匠様だよ。というか、私は一番弟子なんだ」


 リンムからすると、意外なところで繋がったなとは思ったが、そうはいってもどこか雲でも掴むかのような話だった。


 法国が信奉する女神、伝説の魔女、それに長寿のダークエルフやハーフリング――百年も生きられない人族のリンムにとってみれば、何もかもが長大に過ぎて、全く実感が湧かなかった。それこそ、神話や伝承としか受け取れない話だ。


「で、話を戻して、私がどうやってこの大陸にやって来たのかというと、お師匠様に飛ばされてきたわけだよ」

「その……飛ばされた、とは?」

「『飛行』魔術の改良実験でね。成層圏まで打ち上げられて、途中で爆発――気づいたらここに不時着していた。この錬成室にある機器は全てそのときのロケットの廃材を再利用したものさ」

「…………」


 ご愁傷様と言うべきかどうか、リンムたちはまた言葉を失った。


 どうやらその伝説の魔女とやらは相当にやらかし癖があるらしい。放屁といい、飛行といい、他にも余罪でんせつがまだまだありそうだ……


「さて、昔話はこれでお終いにしようか。それよりも君は私にお願いがあって、わざわざここまで来たんだろう?」

「あ、ああ……その通りだ。パナケアの花びらを持ってきたので、これで万能薬を作ってほしいのだが……依頼料はいかほどだろうか?」

「お金は必要ないよ。肝を取って来てもらえたからね。それより……素材は花びらしかないのか?」

「ん? そうだが……もしや、他に必要なものがあったのか?」

「やれやれ。放屁商会も雑な仕事をしてくれたものだな」


 チャルは悪態をついた。もっとも、リンムは困り顔で顎に片手をやってから、


「いや、そうとも言い切れない……あなたのことを紹介してくれたのは、商会の護衛をしていただった。おそらく商人ではなく、冒険者だから素材のことまでは詳しく知らなかったのかもしれない」

「どっちでも同じことさ。雑な仕事には変わらない」

「では、他に必要な素材とは、いったい何なのだろうか?」

「この花びら以外には、ヤモリの尻尾、イモリの涙、コウモリの糞、地下洞窟の清水、土竜の血反吐、魔王の毛、それに妖精の羽だな」

「ずいぶんと多いな」


 尻尾とか、糞とか、血反吐とかを素材とした万能薬を果たして口にしたいかという問題以前に――


 どう考えても手に入れられそうにない素材が幾つかあった。そもそも、ヤモリやイモリとて一般的な爬虫類を差しているのか、この錬成室で寛いでいる強者たちなのか分からない。


 もし後者ならそれこそ竜でも相手にした方がまだマシだ……


「まいったな。これでは人生をかけて収集しなくてはいけないようだ。簡単には出来そうにないな」

「当然だ。万能薬だからな。そんなに楽に錬成出来て堪るか」

「まあ、そういうことか……」


 リンムが「はあ」とため息をつくと、横合いから女騎士スーシーが質問をした。


「ところで、本物の・・・万能薬とはいったいどういったものなのですか?」

「おや、スーシーが知らないとは意外だな」


 リンムが茶化すと、スーシーはやや首を傾げてみせる。


「有名だから名前だけは知っているんだけど……王都でも現物を見たことがないから、どれほどのものか知らないのよ」

「王都にないのか? 俺はてっきり王都の有名な薬師なら錬成出来ると思っていたのだが?」

「正確に言うと、万能薬の失敗作・・・は幾つか市場にも出回っているわ。それでも上級ポーションよりも高い効用があるから、騎士団で重宝している。でも、成功例を見たことは一度もないの」


 すると、聖女ティナが頭を縦に一度だけ振ってから言った。


「当然です。万能薬は国宝ですもの。法国では宝物庫に大切に保管されているほどです。また、その効用も『不死をも治す』と謳われています」

「「…………」」


 リンムとスーシーは揃って無言になった。


 そんな国宝レベルのものを錬成出来る術士がしれっと眼前にいるのかと、二人ともやや遠い目になったわけだ。


 もっとも、当のチャルはというと、涼しい顔をして言ってのけた。


「実は、今、ここには万能薬の素材のほとんどが揃っている」

「ほ、ほう」

「何なら提供してやってもいいぞ」


 うれしい提案だったが、さすがにリンムも眉をひそめるしかなかった。


「当然、今度ばかりは無料ただというわけではないんだろう?」

「ふふ。別に無料でも構わんが……人族では無料より怖いものもないんだろう? ちなみに現状、私が持っていない素材は、妖精の羽だけだ。そこで一つ、交換条件といこうじゃないか」


 また交換条件か。と、リンムは口を真一文字に引き結んで構えたが、そんなリンムの首肯を待つまでもなく、チャルは軽やかな口ぶりで続けた。


「『妖精の森』に行って、とある人物に手紙を渡してほしいのだ。そのついでに妖精の羽も手に入れて来ればいい。一石二鳥とはまさにこのことだろう?」

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