第10話 再会

 法国の第七聖女、ティナ・セプタオラクルは、もとは王国の・・・貴族令嬢だった。


 しかも、祭祀祭礼を司るセプタオラクル侯爵家の三女として生を受け、本来なら蝶よ花よと誉めそやされて、今頃は王国の第四王子と政略結婚していたはずだ。


 ところが、よりにもよって社交界デビューとなった日に、


「私、第四王子、フリン・ファースティルは――ティナ・セプタオラクル侯爵令嬢との婚約を破棄するものとする!」


 そんな常軌を逸した宣誓によって、確約された未来が一方的に解消させられてしまった。


 色ボケした第四王子がティナよりも豊満かつ妖艶な男爵令嬢にうつつを抜かして、侯爵家との約束を反故にしたのだ。


 もっとも、これにはティナにも責任がないとは言い切れない……


 もともとどこぞの悪役令嬢も真っ青な勝ち気な性格に加えて、歯に衣を着せぬ発言や武芸をよく嗜んでいたこともあって、小さな頃から第四王子とは喧嘩ばかりしてきた。


 しかも、ティナの方が第四王子を散々凹々ぼこぼこにしてきた間柄だ……


「ふん。聖典よりも剣を持つのが好きな女に用などない!」


 というわけで、見事に初めての社交界で逆に傷モノにされたティナだったわけだが、これでは他の貴族家に嫁がせるわけにもいかないと――結局、法国の神学校に留学させられることになった。


「かえって清々したわ。こうなったらここで騎士道を学んで、帰国したら神聖騎士団にでも入って、色欲王子のあそこをちょん切って女神クリーン様のもとに捧げてやる」


 と、ティナは鼻息荒く、神学校に向かったわけだが……


 意外なことに、ティナには好きだった武芸よりも、あまり興味のなかった法術によほど才能があったらしい。


 そもそも、ほぼ同時期に留学してきた平民のスーシー・フォーサイトの剣技を間近で見て、すぐに自らの技量が劣っていることを痛感させられた。


「ふん。あのスーシーってと並び立つには……仕方がないわ。法術に磨きをかけるしかない!」


 こうしてティナは勝手にスーシーをライバル視して……しばらくするとティナの過去など全く気にしないスーシーとはむしろ無二の親友となって……


 何にしてもティナはというと、そんなスーシーに対してずっと、後ろめたさ・・・・・を抱き続けることとなった。


 王国の神聖騎士団長と法国の第七聖女――


 どちらも比肩するには十分な肩書だが、スーシーは神聖騎士になるとすぐに魔獣討伐などの実績を積み上げていった。その一方で、ティナは聖女としてたまに王国や帝国の祭祀祭礼に顔を出す程度でしかない。


「私には……経験も、成果も、何もかも足りていない」


 法国の聖女として王国辺境への訪問などという雑務に飛びついたのは、実のところ、とある密命を受けたからだ――『初心者の森』に奈落・・があるかどうか調査せよ、と。


 本当に奈落があるならば、そこはすでに魔獣の巣窟になり果てていて、最悪の場合、そんな魔獣を使役する魔族が存在する可能性だってある。そもそも、奈落の調査は聖女でなくても問題ないが、奈落を封じることが出来るのは聖女だけだ。


 つまり、今回の調査任務には奈落を秘密裏に封じ込めることも含まれているわけだ。


「大丈夫。問題ないわ。私なら――やれる!」


 そんなふうにして息巻いて辺境への旅に出たティナだったわけだが、いきなり盗賊たちに急襲されて、森に分け入ったら狼の魔獣の群れに出くわした。


 かつては武芸をよく嗜んでいたが、聖女になってからこっちは運動不足な上に、慣れない冒険者の格好をしていたこともあって、思っていた以上に動くことが出来ず、


「キャっ!」


 と、樹の根っこにつまずいてしまった。


「ティナ! 危ない!」


 同時に、スーシーの叫びがティナの耳に届いた。


 眼前には大きく口を開けて、今にもティナを貪ろうとする狼の魔獣が一匹いる。


 事ここに至って、ティナは後悔するしかなかった。手柄が欲しくて、自分の実力以上の任務を受けてしまった……


 もっとも、ここでティナだけがやられるなら別にいい。


 自業自得だ。潔く死を選ぼう。それぐらいの気概はティナも持ち合わせている。


 ただ、今、スーシーは自らの危険を顧みず、ティナを守ろうと駆けつけようとしてくれている。


 護衛対象だから?


 ――違う。


 かけがえのない親友だから?


 ――それだけじゃない。


 出会ったときから誰彼と差別しない、高潔な人格の持ち主だから?


 ――ティナはこくりと肯いた。まさにそうだ。その通りなのだ。


 スーシーに対してずっと後ろめたさを感じたのは、あまりにも眩かったせいだ。ティナよりもよほど聖女らしいたたずまいに嫉妬してきた。


 だからこそ――


「――ダメだ」


 そう。このままではいけない。


 ティナだけでなく、スーシーまでもが魔獣の餌食になってしまう。


 刹那。ティナは腰に帯びていた短剣ナイフを手にすると、それを自らの喉もとに突き立てようとした。


「スーシー……お願い。貴女だけは必ず生き残って」

「ティナ!」

「さよなら……短い間だったけど、楽しい旅だった」


 が。


 その瞬間だ。ヒュン、と。


 横合いから棒切れが飛んできて、牙を剥き出しに襲ってきた黒狼にぶち当たった。


「キャウン!」


 という鳴き声のわりにさしてダメージは受けていないようだったが、それでも突然の不意打ちに黒狼たちは一斉に警戒した。


「やれやれだ。まさかこんなに黒いのがたくさんいるとはな。ハーフリングのが言っていた通りじゃないか。早めに駆除しないと、森がおかしくなってしまう」


 そう言って、繁みを掻き分けて出てきたのは――


 ティナからすると、いかにも冴えないおっさんだった。貧相な軽装備から見るに、ランクのあまり高くない冒険者だろう。当然、魔獣のことも知らないはずだ。


 だから、ティナは大声を発した。


「今すぐ逃げてください! ここは危険で――」

「もしかして……義父とうさん?」


 そんなティナの警告と、スーシーの戸惑いは同時だった。


「まさか……君は……スーシーなのか?」

「ええ、義父さん! 久しぶり……孤児院で育ててもらった、スーシー・フォーサイトよ」

「いやあ、大きくなったなあ。見違えたぞ。昔は鶏ガラみたいな子供だったというのに。こんなに女性らしくなって……そうか。俺も年を取るわけだな」

「義父さんも見ない間に……何だか顔に皺が増えたね。あと、目の隈と……頭も何だかちょっと……」

「はは。素直におっさんになったと言ってくれていいんだぞ」


 そんな呑気な会話を交わしながら近づく二人に対して、当然のことながら、黒狼が二匹、一気に襲い掛かった。


「危な――」


 ティナがまた声を上げようとするも――


 狼の魔獣二匹は飛びかかろうとした瞬間に、リンムによって魔核諸共、一刀両断にされていた。


 結果、二匹とも、もやのように宙で消滅していったわけだが……


「……へ?」


 と、ティナは呆けた声を上げるしかなかった。


 剣筋が見えないどころか、リンムが抜いた刹那すら見切ることが出来なかった。実際に、リンムはいまだに手に片手剣さえ持っていない。恐ろしいまでの居合だ。


 当然、驚いたのはティナだけではなかった。スーシーもその速さに目を大きく見開いていたし、何より黒狼たちは数歩退いて、明らかにうろたえていた。


 もっとも、当のリンムはというと、呑気そのものだった――


「それにしても立派になったなあ。あれからもう十年か。騎士様になるなんて大出世だよな」

「あ、ありがとう……義父さん。でも、全ては義父さん……いえ、先生が基本をみっちりと教えてくれたおかげよ」

「おや、まだ先生と仰いでくれるか。うれしいじゃないか。だが、それは違うぞ、スーシー。全ては君が村から出て、しっかりと努力したからだ。胸を張って誇りなさい」

「…………は、はい!」

「それはそうと、君はなぜ冒険者の格好なんてしているんだ?」


 リンムの問いかけでやっとスーシーも今の状況を再確認したのか、


「そうでした……今はこれら魔獣の退治が先決なの」

「魔獣? ああ、この黒いやつらのことか。それならば――」


 ここにきて、スーシーも、ティナも、初めてリンムが腰に帯びていた片手剣に手をやった姿勢を見た。


 だが、次の瞬間、またもや唖然とするしかなかった。


 というのも、全ての狼の魔獣が一瞬で斬られていたからだ。距離もあったはずなのに。複数体いたはずなのに――リンムはというと、その場から一歩も動かず、空を斬るだけで敵を一掃していた。凄まじいまでの剣技だ。


「…………」

「…………」

「さて、これで片付いたかな。あ、そうだった。俺は依頼クエストの最中だったんだよ。なあ、スーシー。久しぶりの再会早々で悪いのだが、先にイナカーンに行って、休んでいてくれないか。俺はフォレストウルフをあと一匹、討伐しなくてはいけなくてね」


 リンムはそう言うと、耳にそっと手を当てた。


「おっ! どうやらこちらの様子を探っていた個体が幾匹かいるようだな。何とか今日中に依頼をこなせそうだぞ」


 魔獣を複数体同時に撃破するといった、英雄もかくやという偉業をまるで何とも思っていないかのようなリンムの様子に対して――


 当然のことながら、ティナも、スーシーも、しばらくの間、ぽかんと大きく開いた口が塞がらなかったのだった。

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