第9話 依頼をこなす

「可笑しなことだって?」

「ほいな。妖精さんがそう言っていたのです」

「まさか! 妖精に会ったのか?」

「このイナカーンの街に来る前に、『初心者の森』付近で一度きりですねー。小さくて可愛かったですよ」


 ハーフリングの少女はそう言って、指を一本だけ横にひらひらと振ってみせた。


 ちなみに、『初心者の森』に出てくる妖精は魔力マナの塊のような存在で、出会った者にアドバイスをくれることもあれば、悪戯で惑わしたり、迷わせたりもする。


 本来は湖畔とは異なる方向にある『妖精の森』を住処にしているのだが、その付近に認識阻害などをかけて誰も入れなくしているので、近年で訪れた者は一人もいない。


 ただ、伝承などは幾つも残っていて、森で迷子になってしまった子供を助けてくれる逸話には事欠かない。


 とはいえ、妖精たちは自身にも認識阻害をかけているのか、熟練の魔術師や高位の聖職者ぐらいしか、人族では本来、まともに視認することが出来ない。


 その一方で、亜人族は長く生きているだけあって魔力の制御に長けている者も多いので、今回のハーフリングの少女のように目撃することが多々あるらしい。


 何にせよ、妖精が『初心者の森』にまでわざわざ出張ってくるときは、森に異変が生じていることが多いので、Fランク冒険者のリンム・ゼロガードも身を引き締めるしかなかった。


「そういえば、君に一つだけ、聞きたいことがあるんだが?」

「ほいほい、何ですかー?」

「なぜ、君たちは『放屁商会』なんて名乗っているんだ?」

「もしかして、あてらの看板にケチをつける気ですかー?」

「いやいや、そういうつもりじゃないんだ。ただの興味本位の質問だよ」


 リンムは慌てて、両手をぶんぶんと振ったが、ハーフリングの少女は「ふんす」と腕を組むと、またさっきのように無邪気な笑みを漏らして、


「まあ、たしかにー。変わっている看板かもしれないのです」

「一度聞いたら忘れられないのは間違いないよな」

「もちろん、それも狙っていますよ。でも、あてら、ハーフリングにとって放屁というのは特別なことなのです」

「は? 放屁が……特別?」


 さすがにリンムは首を傾げたが、ハーフリングの少女は滔々と語り出した。


「かつてハーフリングから魔女が一人出たのです。しかも、その魔女は全世界を統べる王の良き友人として、数々の偉業を成し遂げたと言われています。いわゆる『魔女伝説』というやつですねー」

「へえ。ハーフリングの魔女かあ。どこかで耳にしたことがあるような……ないような……」

「もうずうーっと昔の話ですよ。それこそこの大陸に人族が入植する前の伝承ですねー。で、その魔女が得意としていたのが放屁――より正確に言うと、特性オリジナルの闇魔術というやつで、幾人もの強者のおけつを破壊してきたらしいのです」

「…………」


 凄いのか、そうでないのか、いまいち判断しづらい話を聞かされて、リンムもやや天を仰いだ。


「なるほどな。つまり、その伝説の魔女にあやかった看板だと?」

「そういうことすなー」

「ところで、君の他に街にやって来たハーフリングたちはどこに行ったんだ? 朝市で声をかけようとしたのだが、もう店が畳まれた後だったんだよ」

「あー。それなら、昼前にこの地方の色んな箇所に散らばったはずですよ。あてらハーフリングは何より旅が好きですから。森、湖畔、海や穀倉地帯と、ここらへんは何もかもだだっ広いですしねー」

「情報収集も兼ねているというわけか」

「まあ、そこらへんは――うふふ。企業秘密ってやつなのです」






 ――と、そんな会話を思い出しつつ、リンム・ゼロガードは昼過ぎに『初心者の森』に分け入った。


 放屁といい、妖精といい、はたまたダークエルフといい、今回の私用の依頼プライベート・クエストには変わった点が多かったわけだが、何にしてもやること自体はいつもとさほど変わらない――


 野獣のフォレストウルフを倒して、その新鮮な肝を指定された箇所に持っていくだけだ。


 ちなみに、フォレストウルフの群れ・・の討伐依頼は本来ならばFランク冒険者のリンムでは受けられない。特に複数体が相手となると、冒険者ギルドはEランク以上のパーティーに仕事を優先して割り振る。


 それでも、リンムはこの森の野獣ならば、猪とも、熊とも、何なら湖畔の大蜥蜴とも戦ったことがあった。とある事情・・・・・で戦わざるを得なかったわけだが、それ以降はのっぴきならない理由でもない限り、基本的には逃げることにしている。


 そもそも、リンム自身、戦うことを好まないし、それに何より、リンムは自分が弱いことをよく自覚している。以前、ギルマスのウーゴ・フィフライアーに指摘されたように自己評価が低いわけではなく――本物の強者・・・・・を知っているからだ。


「さて、群れから離れた個体がいてくれるといいのだが……」


 リンムはそう呟いて、木陰に隠れて耳をすました。まだ周囲には狼どころか、野獣も一匹とていないようだ。


 フォレストウルフは森に長く住みつくことで、木の実や草花も食べられるように進化した種らしく、たまに夜中に田畑に出て来ては穀物を荒らしていくこともある。一方で、発情期の雄は群れから抜けて個体で狩りをして、獲物を雌に見せつけることで求愛するようで、リンムが狙うのは当然、こうした一匹狼になる。


 もちろん、リンムもさし・・で戦うつもりはない。罠を使って倒すつもりだ。その罠にも幾つか種類はあるのだが、今回は新鮮な肝を指定されているので最も簡単な毒殺が出来ない……


 だから、樹の根もとを掘って、底に複数のやじり短剣ナイフを仕込み、その上に枝や草を被せて隠して、葉っぱを詰めた麻袋を置いてフォレストウルフが好む花の香を振りかけてから、リンムは樹上に登ってじっと息をひそめた。


「早速……匂いにつられて一匹来たようだな」


 刹那、リンムは息を殺した。


 目もつぶって、フォレストウルフの足音だけに集中する。どうやら隠れているリンムには気づかずに、罠の上までやって来てくれたようだ。


「キャン!」


 フォレストウルフが穴に落下したと同時に――


 リンムは樹上から飛び降りて、フォレストウルフの首もとを片手剣で突き刺した。さすがの手際の良さだ。個体の討伐ならFランクでも幾度か受けてきたのでこなれたものだった。


「よし。これで一匹か。調子がいいな。なるべく日が傾くまでには終わらせたいのだが……」


 リンムはそう呟いて、しばらくして別の狩場で二匹目も順調に仕留めたわけだが……この日は残念ながら三匹目がなかなか見つからなかった。


 そうして長い間、樹上で耳をすませて、フォレストウルフの足音を探っていたら、


「おや? 何だ、この足音は?」


 リンムは眉をひそめた。


 狼らしき複数の足音に紛れて、人がどたばたと駆けてくる音が聞こえてきたのだ。


「まさか……フォレストウルフの群れに誰かが襲われているのか?」


 リンムからすると、群れを相手にするのは分が悪いので、はてさてどうするべきかとわずかに迷ってしまったが――


「キャっ!」


 と。


 そのとき、女性の悲鳴が聞こえてきた。


「ちい! 仕方あるまい」


 リンムは樹上から下りて、声の方に駆けていった。


 もちろん、このときリンムは知らなかった――この出会いがリンムの人生どころか、王国と法国だけでなく、大陸全土の命運さえも大きく変えていくことになるなど。

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