森の奥にある洞窟編

第8話 おっさんはハーフリングと出会う

 聖女一行が襲撃を受けるよりも、時間は半日ほど遡る――


 辺境の街イナカーン付近の『初心者の森』で、孤児のプランクの騒ぎがあった翌日、その早朝のことだ。


「いやあ、こんな朝早くから盛況だなあ」


 Fランク冒険者のリンム・ゼロガードは街の中央広場でやっている朝市に顔を出していた。


 昨晩、冒険者ギルドのギルマスことウーゴ・フィフライアーから万能薬を作る為の伝手としてハーフリングの商隊について教えてもらったばかりだ。


 この街は小さく、商業ギルドがないので、旅商人は町長に許可を貰って広場で商売を始める。とはいえ、イナカーンの街は平原と森の広がる大陸南方――広大な穀倉地帯の端っこにあるので、住民の多くは農業を営んでいる。つまり、他の街よりも朝が早いのだ。


 だから、他所では昼頃からやっと動き始める鍛冶屋、薬屋や飯屋でも、ここイナカーンでは朝のうちから働き出して、住民たちの農具の手入れ、虫除けや仕込みなどに精を出す。


 同様に、そのことを知っている旅商人たちも負けじと、日が出始めるとすぐに中央広場で商品を並べて、市場は活況になっていくわけだが……


「おや、そこにいるのはリンム坊や・・じゃないか。すまんが、薬屋までおぶってくれんかね?」


 朝市でリンムを見かけた老婆はそう言って、杖を引きずりながらよろよろと寄りかかってきた。


「婆さん。また腰痛がひどいのか? 言ってくれれば代わりに買って来てやったのに」

「少しは動かんとね。そうでもせんと、体も悪くなる一方さ」

「そうは言っても無理はいけないよ。ほら、早く乗っかりな」


 リンムはそう言って、しゃがみこんでから老婆に背中を差し出した。


 この老婆はもともと街の宿屋を長らく切り盛りして、娘夫婦に譲ってからむしろ体にガタがくるようになった。年々痩せこけて、骨ばかりになっていく姿に、リンムも背負いながら「軽くなったもんだなあ」と、わずかに感傷が過ったものだが、


「ほら、婆さん。薬屋に着いたよ。何なら帰りもおぶっていこうか?」

「いや、いいよ。ゆっくりと一日かけて、帰るとするさ」

「本当に無理だけはするなよ。何かあったら声をかけてくれよな」

「ありがとさん。あんたみたいな若者・・がいてくれて、本当に助かるよ。ほら、これは飴ちゃんね。お食べ」


 老婆が薬屋に入っていく後姿を見送りながら、リンムは「ふう」と小さく息をついて、片頬をぽりぽりと掻くと、


「婆さんにとっては、俺はいつまで経っても坊やなんだろうな。飴をもらう歳でもないんだが……」


 そうぼやいて、また中央広場に足を向けた。


 すると、遠くに駆け出し冒険者の若者が見えてきて――


「あれ? リンムさんじゃないですか?」

「ん? おう、おはようさん。これから冒険者ギルドに行って、新しい依頼クエストでもこなすのか?」

「いえ。昨日の続きで、毒消しになる花の採取に行く予定です。集めきれなかったんですよ」

「なら、『妖精の森』の入口付近まで足を伸ばすといい。この時季なら大樹の根本によく咲いているはずだ。地図でいうと……だいたいこの辺りだな」

「なるほど。ありがとうございます!」


 とか。あるいは、大通りで鍛冶屋の店主とすれ違いざま――


「おう! リンム!」

「おやっさん、おはよう」

「なあ、冒険者ギルドに行くならウーゴの旦那にこの片手剣を持っていってくれねえか? 昨晩、鍛え終わったばかりなんだ」

「構わないよ。渡すだけでいいのか?」

「感想も聞いてくれると助かるな。頼まれてくれるか? 今度、無料ただ短剣ナイフでも研いでやるからさ」

「分かったよ」


 とか。はたまた、中央広場に近道しようと裏路地に入ったとたん――


「「「リンムおじさん見っけ!」」」

「おわ! いきなり蹴るな!」

「へへん、逃げろー!」「こっちは突撃ーっ!」「じゃあ、リンムおじさんの注意を引き付けろー!」

「俺は森の野獣じゃないんだぞ!」

「やっべ。怒った?」「やっぱ回避ーっ!」「じゃあ、撤退ーっ!」

「待てー!」


 とか。まあ、そんなこんなでリンムの午前中は無駄に過ぎていった……


 朝市で店を出しているわけでもないのにまさに千客万来だ。これではいつまで経っても目的のハーフリングの旅商人がさっぱり見つけられない。


 仕方がないので、広場で知り合いの女性冒険者に声をかけるも――


「なあ、このあたりでハーフリングの出店を知らないか?」

「それなら、さっきまでちょうどそこの角で店を開いていたはずよ……」

「……いないな」

「どうやら早々に畳んだようね。品数も少なかったし、今日はとりあえず簡単な市場調査だけしたんじゃないかしら」

「やれやれ。ついてないな。少しばかり来るのが遅れたか」


 リンムは「はあ」とため息をこぼすしかなかった。


 とりあえずは少し早い昼飯を取って、日課となっている採取をしに森に出掛けようかと考え直した――そのときだ。リンムはふいに横合いから視線を感じた。


「ほうほう。いいですねー。気配を消していたのに、この人混みであて・・に気づくとはなかなかだなあ」


 そこにはハーフリングが一人だけ突っ立っていた。どこかリスに似て、くりくりとした瞳が印象的な栗毛の少女だ。


 もっとも、旅商人というより格好は冒険者そのものだった。しかも隙が全くない。相当な手練れに違いない。もしかしたら、商人の護衛でこの街に一緒にやって来たのかもしれない。


 ちなみに、ハーフリングとは亜人族の獣人に当たる。ドワーフ並みに背が低いわりに、すばしっこくて器用で、また種族的な性質なのか気分屋ということもあって、そのほとんどが一か所に定住せずに旅に出る傾向が強い。


 また、エルフやダークエルフほどの長寿を誇るわけではないが、それでも人族の倍以上は生きるので、たとえ見た目が小さく、少女のようであっても、実際にはとうに成人していることも多い。


 そんなハーフリングの少女が、「くん、くん」と、鼻をひくひく動かしながら、リンムに近づいてきた。


「いいですねー。いいですよー。これは中々にいいですなあ」


 何が良いのか、リンムにはさっぱりと分からなかったが……


「いやあ、辺境のイナカーンの街でこれほどの冒険者に出会えるとは思っていなかったのです」

「そう言ってくれるのはうれしいが……もしかして君は『放屁商会』の関係者かな?」

「おやおや! あてらのことを知っているんすかー?」

「実は、探していたんだよ」


 リンムはそう言って、やっとこさ万能薬の件を切り出した。そして、パナケアの花も取り出してみせる。


 すると、ハーフリングの少女は「ふふーん」と、短い尾をばさばさと横に揺らすと、いかにも得意そうな表情を浮かべた。


「もちろん、伝手なら知っているのですよ」

「本当か? どこにいるんだい?」

「ダメダメ。簡単には教えられないですよー。情報だって、ただじゃあないですからねえ」

「ふむん。では、幾らになるんだ?」

「おにいさん、焦っちゃダメですよ。お金じゃなく、交換条件といきませんか?」

「交換条件?」

「実は、あての知り合いにダークエルフの女性がいて、『初心者の森』の中に住んでいるのです」

「ダークエルフ? 森に住んでいるだと?」


 リンムは眉をひそめてから顎に片手をやった。


 森のことについてはイナカーンで誰よりも詳しいと自負しているが、当然のことながらダークエルフが住んでいるなど、眉唾でしかなかった……


 そもそも、エルフやダークエルフは希少種で、リンムとて前者、それも一人にしか出会ったことがない。


 が。


「まあ、認識阻害の闇魔術をかけて森の奥に居を構えているはずなので、早々簡単には会えないはずですよー」


 ハーフリングの少女はそう説明して、胸もとから小さな鈴を取り出した。


「地図に印を記すので、その場所でこのマジックアイテムの鈴を鳴らすのです。それが合図になるのです」

「認識阻害が解けるということか?」

「いんや。ダークエルフの女性に気づいてもらえるだけなのですよ。解くかどうかはあちらさん次第……ってわけですが、そこで一つだけ、あてから依頼クエストをお願いしたいのですなー」


 ここまできて、リンムはやっと交換条件という話の筋が見えてきた。


「『初心者の森』に生息しているフォレストウルフの新鮮な肝を三つ仕入れて、その日のうちにダークエルフの女性のもとに持っていってほしいのですよ」

「なるほど。鈴を鳴らして、仕入れた現物を見せれば、認識阻害を解いてくれるという仕組みかね」

「話が早くて助かりますなー」

「俺なんかに依頼していいのか?」

「いやあ、昨日からこの街の冒険者を幾人か見繕ってきたんですけど、おにいさんがベストですわ」

「そうはいっても、フォレストウルフの肝の納品ぐらいなら、この街の冒険者でも難なくこなせるはずだが?」


 リンムがそう疑問を呈すると、ハーフリングの少女はにこりと笑みだけを返してきた。


 冒険者ギルドに支払う仲介料が惜しいのか、はたまた何か他に言えない事情があるのか……いずれにしても万能薬の伝手が出来ると考えれば、今ここで依頼を受けるべきだろう。


「分かったよ。その依頼をやろうじゃないか」

「そうこなくちゃなのです。ちなみに、おにいさんが求めている情報ですけど――そのダークエルフの女性なら万能薬の製薬も出来るはずですよ」

「なるほど。そういうことか」

「ほいな。では、契約成立ってことでいいですな?」

「ああ。早速、『初心者の森』に向かって、フォレストウルフを討伐するとしようか」


 リンムがそう応じると、ハーフリングの少女は急に笑みをかき消した。


 そして、これまでとは異なる口ぶりで、淡々とこう告げてきたのだった。


「そうそう、一応気をつけてください。今、『初心者の森』は――ちょいとばかし可笑しな事態になっていますから」

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