第7話 聖女と女騎士は逃亡する

 辺境の街イナカーンで騒動のあった翌日、その夕方頃のことだ。


 王国の神聖騎士団長スーシー・フォーサイトは、法国の第七聖女ティナ・セプタオラクルの手を引いて、たった二人きりで『初心者の森』を突っ切って駆けていた――


 当然のことながら、聖女ティナには女騎士スーシー以外にも、複数の神聖騎士たちが護衛についていた。


 ただし、今回の聖女ティナの王国訪問はあくまで非公式ということで、騎士たちは少数精鋭、また移動中は小さな商隊に化けてもいた。


 さらに、当の聖女ティナと女騎士スーシーはというと、むしろその商隊を護衛する冒険者に扮して、斥候役として百メートルほど先行する形を取っていた。


 はてさて、聖女ティナを護衛しなくてはいけないのに、なぜそんな回りくどいことをしていたのか――


 というと、その理由は単純で、要は聖女ティナにいいように振り回されてしまったのだ。


 実際に、これら扮装や先行も聖女ティナの発案で、せっかくのお忍びなのだから、厳つい騎士たちに囲まれているより、親友と二人きりでいたいというわがままに他ならなかった……


 とはいえ、たしかに騎士たちよりも団長スーシー単独の方が強いし、同性かつ友人なので安心だし、また逆に護衛する側からしたら、これ以上余計な要求を押しつけられたくもなかったので、結局のところ、スーシーも仕方なく応じざるを得なかった。


 さて、そんなお転婆な聖女ティナを守る女騎士スーシーについて――かつてリンム・ゼロガードは『鶏ガラみたいに痩せ細った少年のようだ』と評していたが、今では凛として気品に溢れる、立派な淑女に成長している。


 冒険者を装う為に小汚ない服装をしていても、その美しさは全く損なわれていない。


 それに短かった黒髪も長く伸びて、冒険者風に後ろで一つにまとめている。孤児院出身だが、どこかの貴族令嬢と言われても納得出来るほど、その一挙手一投足が優雅で軽やかだ。


 ただ、スーシーの場合、不思議なことに、どこか自身の魅力に抗っているようにも見える――


 せっかくの白磁のような肌の滑らかさ、唇の甘い膨らみや桃色に火照った頬など素材の良さを、騎士団長たる威厳と風格でもって抑え込んだ印象を受けるのだ。


 そういう意味では、さながら禁欲的でしとやかな修道女のようにも見受けられる。


 その一方で、本来ならば自身に厳しくあるべき聖女ティナはというと……これまた面白いことに、どこぞの悪役令嬢みたいだった。


 肩のあたりで切った短い金髪、すっと筋の通った鼻に、好奇心と猜疑心の入り混じった意志の強そうな碧眼――一見するとまさに金持ちのはねっかえり娘だ。


 道行く者にティナとスーシーのどちらが聖女かと問えば、十中八九、後者だと答えるに決まっている。それほどにティナは機嫌の悪い猫のようなツンと澄ました顔をしていた。


 いったいぜんたい、ティナは何に対してそこまで苛立っているのだろうか――


 自らの発案とはいえ、小汚い格好に扮装したせいか……


 それとも、今回のお忍びにスーシーだけでなく、供回りの騎士たちまでぞろぞろと付いてきたからか……


 はたまた、他に何かしらの秘事を胸のうちに抱えていて、そのことを思うと、どうにも気が重くなってしまうのか……


 何にしても、そんな二人が先行する形で、ここまではさして問題も起こらず、王都から穏やかな田舎道を着実に進んできたわけだが――


 どうやら聖女ティナのわがままが仇となってしまったようだ。


 というのも、後続の商隊本体が盗賊団に襲われてしまったのだ……


「金目のものを出せやあああ!」

「女は引っ捕らえろ! 奴隷にするぞ!」

「これで一年は働かずに洞窟に引きこもって暮らせるぜえええ!」

「くそ! おかしい……こいつら、戦い慣れてやがる。ただの商隊じゃねえ!」


 襲った盗賊たちにしても、もう少しよく観察していれば、この商隊がどこかおかしいと気づいたはずなのだが……所詮、辺境で荒稼ぎする者たちだから慎重さに欠けたのか、あるいはこれまた何かしら事情があったのか。


 いずれにしても王国屈指の強さを誇る騎士たちに対して、盗賊たちは無謀にも攻撃を仕掛けてきた。


「スーシー! 後ろが騒がしいようですが?」

「ティナ様。何ら問題はございません。盗賊がたとえ数百人規模で襲い掛かってきたとしても、私の部下たちはびくともいたしません」

「そうですか。それを聞いて安心しました……ところで、スーシー?」

「はい。何でございますか?」

「何度言わせるのですか。二人きりなのですから、様付けは必要ありません。あと、敬語も禁止!」

「ですが……ここは田舎道といってもすぐそばには田畑もございます。どこで農夫たちが聞き耳を立てているか、分かったものではありません」

「むー」

「…………」

「むむむー」

「はいはい。分かりましたよ、ティナ。あと、ちょっとだけいいかしら?」

「急にどうしたのですか?」

「私の背後に隠れていて。どうも盗賊たちよりも、よほど厄介なモノが森の方から出てきたみたい」


 そう言って、女騎士スーシーは聖女ティナを背にして片手剣を抜いた。というのも、森の茂みから狼に似た黒い野獣が三体も飛び出てきたのだ。


 もちろん、スーシーも、ティナも、それが魔獣・・だと知っていた。四大騎士団では『第一種』と分類している最弱の・・・黒狼だ。


 ちなみに前日のうちにリンムが倒したのが『第三種』相当で、いわゆる災害級――たった一匹で街や領土に多大な被害を与えると類別出来る。


 それに比すれば、これら黒狼はせいぜい危険級。湖畔の主こと大蜥蜴より強いくらいで、この程度の魔獣ならBランク冒険者のパーティーでも十分に対処出来るし、スーシー単独でも撃退可能だ。


 だが、今、スーシーはティナを背に匿っていた。


 はてさて、このままじりじりと後退して商隊と合流するか。それとも、広い田舎道ではなく、遮るものの多い森の中でティナを守りながら戦うか――スーシーは少しだけ考えあぐねたものの、


「ティナ! こっち! 私と一緒に来て!」


 女騎士スーシーは聖女ティナの手を引いて、後者を選択した。


 配下の精鋭たちが盗賊団をまだ蹴散らしていなかったのが気になったからだ。もしかしたら、こちらが商隊でないのと同様に、相手もただの盗賊ではないのかもしれない……


 何にしても、黒狼をすぐに一掃して部下たちに加勢した方が良いと判断して、スーシーはティナと共に『初心者の森』に分け入った。


「ちい! しまった!」


 だが、女騎士スーシーはすぐに自らの判断が誤っていたことに舌打ちした。


 なぜなら、そこにはさらなる黒狼の群れが隠れ潜んでいたからだ。幾ら『第一種』指定で弱いとはいっても、数の暴力で襲い掛かられてはスーシーとて堪ったものじゃない……


「こんなに魔獣が湧いて出てくるなんて――」


 女騎士スーシーに手を引かれて走りながら、聖女ティナも嘆息するしかなかった。


 これではまるで魔獣の大量発生スタンピードだ。本来ならば四大騎士団を正式に動員すべき事態に違いない。


 もっとも、スーシーも、ティナも――実のところ、この程度のことは予想していた。


 そもそも、今回、ティナが非公式にイナカーンの街にやって来たのも、王国と法国とがついに重い腰を上げて、元近衛騎士団副団長ウーゴ・フィフライアーの報告を真剣に受け止めたからだ。


 さながら実験動物のように掛け合わされて、しだいに凶悪さが増していった魔獣――


 そこには当然、それらを嬉々として掛け合わせている者の存在も示唆されていた。


「ねえ、スーシー。どうやらあの報告は正しかったようですね」

「実際に、私も小さな頃にこの森で魔獣を見かけたことがあったの。そのときは魔獣なんて存在もよく知らなかったし……それに義父とうさんが瞬殺してくれたのだけど――」

「お義父さまというと……今回護衛の依頼を出した冒険者の方のことですね」

「ええ、その通りよ。私の剣の先生でもあるわ。とても強いのよ」


 そう言って、走りながらも女騎士スーシーはどこか遠い目をした。


「とりあえず、私とティナはこのまま森を突き抜けて、イナカーンの街を目指しましょう。義父さんか、あるいはギルドマスターのウーゴ殿に合流出来れば、この数の魔獣でも何とかなるはず」

「はい。その上で、奈落・・を早く見つけて、封じなくてはいけません」


 聖女ティナは顔を曇らせつつも、覚悟をもってそう告げた。


 今回、第七聖女の非公式な訪問はただの外遊でも、もしくは気まぐれによる観光でもなかった。実は、『初心者の森』の最奥にあるかもしれない奈落――いわゆる魔族・・の隠れ家を封じる為のものだったのだ。


 が。


「キャっ!」


 聖女ティナは樹の根に足を引っ掛けて、派手に転倒してしまった。


 そのティナを守るべく、女騎士スーシーは前に立ち塞がったわけだが――


「ガルウウウ!」


 と。


 二人の周りには獲物に確実に止めを刺そうと、十匹以上にも膨れ上がった黒狼の魔獣たちが取り囲んでいたのだった。



―――――



ここまでお読みくださってありがとうございました。次話から新編突入となります。


何より、☆100達成、感謝感激です! 次編も何卒、よろしくお願いいたします。

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