第5話 英雄

 スグデス・ヤーナヤーツは傲慢な性格だが、無能な冒険者では決してない。


 実際に、スグデスの見立ては当たっていた――もし魔獣が放置されていたなら、この長閑のどかな地方はあっという間に壊滅して、王国は多大な損害を被っていただろう。


 それほどに魔獣とは危険な存在で、王国民に知らしめようものなら混乱しか招かないこともあって、ずっと隠蔽されてきた。


 王国で魔獣の存在を知っているのは、一部の王侯貴族、それに四大騎士団と、あとはその討伐に関わったことのあるBランク以上の冒険者のみだ。


 その結果として、二つの事実が誰に知られることもなく、この森では起こっていた――


 一つは、よりにもよって『初心者の森』と謳われたこの場所で、実は魔獣が定期的に発生していたという事実。


 そして、もう一つは、そんな凶悪な魔獣をこれまたよりにもよってFランク冒険者が全て駆除して、その富も名誉も求めずにいたという真実・・だ。


「もう夜も遅いからな。皆がプランクのことを心配して待っているので、すぐに終わらせてもらうぞ」


 そのFランク冒険者の名は――リンム・ゼロガード。


 本来ならBランク以上の冒険者がパーティーを組んでも討伐することが困難な魔獣を単独ソロで撃退することの出来る、王国屈指の英雄、もとい無名のおっさんだ。


 右手に持っているのは、街で買った二束三文の片手剣に過ぎないはずなのに、今はなぜか聖剣よりもよほど煌びやかに輝いている。月明かりがリンムのおでこに反射して、剣身にその光が帯びているのだ。


「――――ッ!」


 一方で、このときリンムと対峙していた魔獣はというと、実のところ、混乱に陥っていた。


 たとえるならば、唐突に巨大な隕石が宙から降ってきたようなものだ。


 避けたくとも最早どうしようもなく、一切の抵抗すら出来ない――確実な死だけがゆっくりと近づいてくる。そんな恐怖に襲われていた。


 それほどにリンムの存在は眩く、また強大に見えていた。さながら女神の遣わした勇者・・のようだった。


 もっとも、残念ながらこの地には勇者の伝承は存在しないし、そもそもこの物語は勇者と魔王の話でもない――


 つまり、これは今まで誰にも語られずにきた、しがないおっさん、もとい辺境の街の英雄の物語だ。


「グルアアアア――ッ!」


 何にせよ、魔獣はついに追い詰められたことで、やっと本来持っていた獣の本能そのままに牙を剥いた。


 が。


 勝負はほんの一瞬だった。


 リンムは剣を横薙ぎにして、ゆっくりと数歩だけ進んだ。


 まず、横に一閃。次いで、平行に数閃が並ぶと、すぐに縦にも無数に斬りつけられて、魔獣は塵芥ちりあくたの如く霧散していった。


 魔核の確認など、どうでもいいといったふうな圧倒的な手数の剣戟――


 リンムはまるでそこらの野兎でも仕留めたかのように、「ふう」と小さく息をついてから片手剣を鞘に収めた。


 そして、再度、湖畔の花畑で寝かせつけていたプランクのもとに走り寄ると、その小さな体を抱き上げた。


「ん?」


 そのとき、リンムはふいに気づいた。


 プランクの右手には、パナケアの花が数輪ほど握られていたのだ。


「ありがとう、プランク。これもきっと――女神クリーン・・・・様の導きの賜物だな」


 リンムは笑みを浮かべて、数百年も昔にこの地に降臨したと謳われる原始の聖女にして、現在では神格化されて最も民草に親しまれている女性に対して、感謝の言葉を捧げたのだった。






 一方、その頃、スグデス・ヤーナヤーツは、どた、どたと、森の中を駆けていた。


 火事場の馬鹿力という言葉があるが、生き残れる微かな希望が出てきたことで、スグデスは必死になって走っていた。


 もっとも、さすがに血を流し過ぎたこともあってか、スグデスは目眩に襲われて、そばの樹に寄りかかると、「はあ、はあ」と息を整えた。


 視界がどこか歪んでいた。そのせいで先ほどの出来事がまるで悪い夢でも見ていたかのように感じられた――


 何しろ、Fランク冒険者に過ぎないリンムが魔獣を難なく退けたのだ。


 ただ、スグデスも元は二つ名持ちのBランク冒険者だっただけあって、先ほどのリンムの活躍が偶然ではないことを頭ではきちんと理解していた。


 そもそも、スグデスはこの街に来てからというもの、ずっとリンムに違和感を覚え続けてきたのだ。


 たいていの下級の冒険者はスグデスの巨躯に加えて、スキル『威嚇』で簡単に大人しくなるのに対して、これまでリンムは微動だにしたことがなかった。


 それに対してフン・ゴールデンフィッシュなどは、「鈍いやつっスねー」と呆れかえっていたわけだが、今になってスグデスはやっと気づいた――


 リンム・ゼロガードはスグデスよりも遥かに格上で、Aランクに相当してもいい冒険者なのだ、と。


 いや、もしかしたら稀少なAランクの中でも、トップランカーたる英雄級でもおかしくはない実力を秘めている、とも。


 が。


「ちくしょう! なぜ、あいつなんだ! オレじゃねえんだよおおお!」


 頭では理解しているつもりでも、心では拒んでいた。


 スグデスとて若かりし頃はその頂きに手をかけたいと願った野心的な冒険者だった。


 だから、このジレンマはただの醜い嫉妬に過ぎなかった。これまで蔑んできたおっさんが隠れた英雄だったなんて信じたくもなかった。


 果たして街に無事に戻れたとして、いったいどんな顔をして相まみえればいいというのか。


「……ん? ちょい待てよ」


 そこでスグデスはわずかに眉をひそめた。


 不可解な事実に気づいたからだ。スグデスでもこれまで違和感を覚えていたぐらいだ。だったら、あの人物・・・・が感づいていないはずがない――


 直後だ。


「ふふ。さすがに元は二つ名持ち。もっと愚鈍だと思っていたのですが」


 そんな冷たい声音でスグデスは咄嗟に振り向いた。


「な、なぜ……あんたがこんなところに?」

「当然、探しに来たのですよ」

「……あの子供ガキのことか。あんたが出てくるほどのもんじゃねえだろ?」

「残念ながら、そちらは関係ありません。もっと別のものを探していたのです」

「は? 別のものだと?」

「ええ」


 そう短く返答すると、その者はにこりと笑ってみせた。


 スグデスはぞっとするしかなかった。


 かつての魔獣討伐失敗でランクを落とされてからこっち、薄汚い裏稼業にも手を染めてきたわけだが、そんな血生臭い社会で幾度となく見てきたからだ――


 人を人とも思わない、人格の破綻した殺人鬼サイコパスたちの微笑みを。


「いったい……あんたは……何を探していたっていうんだ?」


 だから、スグデスは背負っている巨斧に手をかけつつも、じりじりと後退を始めた。


 すると、その者は腰に帯びていた片手剣に手を伸ばして、ゆっくりと一歩だけ進み出てきた。


「素材ですよ」

「は? 素材……だあ?」

「ちょうど目の前にいたので手間が省けました」

「――――」


 刹那。


 スグデスの四肢は切り飛ばされていた。


 そして、絶叫を上げようかという瞬間に頭が胴体から分かたれた。


 リンムの剣戟も凄まじかったが、所詮は田舎剣士の我流でしかなかった。こちらは王国の現王を守護する騎士のみに伝わる正統な剣技で、惚れ惚れするほどに美しかった。


 何より、その美しさこそ、スグデスの双眸に映った最期のものとなった――


「では、素材はこちら・・・でよろしいでしょうか?」


 その者はスグデスを切り捨てると、背後の木陰に潜んでいた別の人物に声をかけた。


「助かる。依頼クエスト料は幾らほどだ?」

無料ただで構いませんよ。あくまでもついででしたから」

人族の間・・・・では、ただより怖いものはないと言うではないか? まあ、今は持ち合わせがないので、あとで何か報酬を渡すとしよう」

「畏まりました」


 スグデスを殺した者はそう短く応じて、そこから足早に街の方に戻っていった。


 残された人物はというと、スグデスのバラバラになった遺体の一部を掴み、禍々しいほどの魔力マナでもって、その本質を反転させた――


 呪い・・だ。


 光は闇に。正は邪に。人は魔物に。


 こうしてスグデスの肉体は魔に連なる眷族の素材にされたのだった。

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