第3話 いきなり出番がなくなる
森の中を大股で闊歩する足音が
「あの
「そしたら、あっしらの身代わりにして、その間にパナケアの花びらを採取しちまおうってこってスよね?」
「当然だ。飲み屋のオヤジ、ツケを払わなけりゃあ、もう飲ませねえときたもんだ」
「パナケアの花びらでも叩きつけてやれば、しばらくは困りやせんね」
「おうよ!」
Dランク冒険者のスグデス・ヤーナヤーツとフン・ゴールデンフィッシュは「ははは」と笑い合った。
そろそろ夕日も傾いてきて、森は暗くなってきた。この森にはさほど強い野獣は出てこないとはいえ、水場である湖畔に近づくにつれ、危険な生物の生息域に入る。
本来なら斥候系のスキル『索敵』が必要で、なおかつこの森の地理などに詳しい
実際に、巨漢のスグデスは背中に巨斧を担いだままにしているし、盗賊系のスキルを有して『索敵』も出来るフンも大して警戒する素振りを見せていない――
「まさに炭鉱のカナリアってやつだな。あの
「しかも、通った箇所も草木が掻き分けられているもんで、湖までの道のりも分かって一石二鳥っスね」
「こんな楽に進めるってんなら、もっと早く
「何なら、孤児院の子供たちを誘拐して、全員にカナリアでもやらせてみるっスか?」
「で、全て採取したら、この街から高飛びか? 悪かねえ考えだなあ」
スグデスとフンはまた顔を見合わせてにやにやとした。
とはいえ、この森の入口で孤児院の少年ことプランクと出くわしたのは単なる偶然だった。
最初はプランクが小遣い稼ぎに採取した薬草などを根こそぎ奪ってやろうと、大人げなく二人で脅しつけた。だが、プランクが亀のように丸まって薬草籠を守りながら、
「これでリンムおじさんを治すんだ! 絶対に渡すもんか!」
と、強がったものだから、スグデスが「治すだあ? あの野郎、別に怪我なんてしてねえだろ?」と聞き返すと、プランクはリンムの腰痛、肘の関節痛、頭頂部の後退、さらに加齢による体臭に加えて、ずっと彼女がいないこと、最近独り言がやたら増えたことなど、リンムが聞いたら暗澹たる気分になりそうな弱みを漏らしまくった……
当然、スグデスとフンは腹を抱えてひとしきり笑ったわけだが、
「馬鹿じゃねえか。そんなもんは薬草や毒消し草じゃあ治らねえよ」
「せいぜい、万能薬になるパナケアの花びらでも数枚ほどありゃあ、話は別なんでしょうけどねえ」
と言うと、プランクは「パナケア?」と聞き返して、しばらくの間、ぼんやりと宙を見つめた。
孤児院で同い年の少女クインビに以前、リンムを治してあげるにはどうすればいいかと相談したときに、パナケアの花びらで作る万能薬なら良く効くのではないかと結論付けたことがあったからだ。
プランクも子供ながらに、リンムが冒険者としての稼ぎを孤児院の為に積み立ててくれていることを知っていたし、じゃれて髪を掻き毟ったときにそこが無毛地帯になってしまったことも気にしていたし、いつかはパナケアの花びらを採って恩返ししてあげようと、街の冒険者たちに聞きまわって情報を集めてきた。
「今が……そのときなのかもしれない」
こうしてフンの口から出た、パナケアという言葉をきっかけにして――
プランクは何か閃いたかのように決断して、湖畔があるという場所に駆け出していったわけだ。
もちろん、スグデスも、フンも、「はあ?」と顔をしかめたが、
「おい。まさか、あの
「どうします? 危ねえから連れ戻してやりますか?」
「いや、待て。オレに考えがある。後を追うぞ」
こうして二人とも助けることはせず、プランクの足取りだけを追った。
最初は子供の足だと馬鹿にしていたが、意外とプランクはすばしっこかった。
そもそも、この辺境の森は別名『初心者の森』と呼ばれて、駆け出し冒険者が経験を積むにはもってこいとされる、比較的安全な場所だ。
おかげで、踏破された道が出来ているし、またプランク自身も薬草採取を幾度かこなしていたこともあって、獣道にもよく気づくようだった。
どうやらプランク本人は気づいていないだけで、幼いながらすでに『狩人』としての素質が芽生えているらしい。
「しっかし、スグデスの旦那――」
「ん? 何だ?」
「ちょっとばかし、おかしくはありやせんか?」
「そうかあ?」
「ええ……獣たちが全くと言っていいほど、いやしませんぜ」
フンはそう指摘して、頬をぽりぽりと掻きながら初めて周囲を気にしだした。
さすがに暗くなってきたので、一応はスキルの『索敵』で森の中の気配を探ってみたのだが、周囲に獣が全く潜んでいなかったのだ。
幾らこの『初心者の森』が駆け出し冒険者に適した場所だとしても、水場の湖畔近くには毒蛇もいるし、この森の主でもある大蜥蜴も生息している。
それに当然、狼、猪や熊などもいる。特に熊は夜に襲ってくることが多いので、最も注意が必要だ。
が。
「おいおい、もう湖畔に着いちまったぜ」
「拍子抜けっスね。もしかして今日は女神様にでも愛されているんスかね?」
フンはそう言うと、さして信心深いわけでもないのに、両手を胸のあたりで組んで祈りを捧げた。
「それより、
「スグデスの旦那! あそこっスよ!
フンが指差した場所にはたしかにパナケアと思しき花が咲き乱れていた。
ただ、遠目からではどれが毒蛇の好むサルースなのかまでは分からない。パナケアの方が希少なはずだから、どのみち近づいて選別して採取する必要がある。
もっとも、スグデスも、フンも、すぐに眉をひそめた。花の群生地の中にプランクが倒れていたからだ。
毒蛇にでも噛まれたのだろうか。だとしたら、迂闊に近づくのは危険だ――
「おい、フン!」
スグデスは『索敵』はどうなっているのかと尋ねようとした。
だが、フンは頭をぶんぶんと横に振ってみせる。なぜか震えが止まらないようで、どこか動揺している様子だ。
「分からねえっス、旦那……ここには蛇の地を這いずる音も、大蜥蜴の呼吸も……あるいは虫の鳴き声や鳥の羽ばたく音さえも……何もかも一切が聞こえてこねえっス」
「てことは、いないってことじゃねえか。今日はどうやら本当についているな」
「そうじゃないんスよ! 気配がないどころか……無音なんです! 全く何も感じ取れないんですよ! こりゃあヤバいっス! さっさとここからずらかった方が――」
直後だ。
スグデスの眼前でフンの頭部だけが消えた。
「……は?」
さながら闇に飲み込まれたかのようだった。
スグデスは唖然として、後ろに倒れていくフンの首無し死体をじっと見つめた。
体が硬直してしまって、スグデスほどの冒険者でも、すぐに背中の巨斧に手を伸ばすことが出来なかった。
しかも、いつの間にか、眼前にはあまりにも危険な獣がいた――狼のような頭部で、猪のような牙を持ち、熊のような体格で、大蜥蜴のような尻尾を生やして木にぶら下がって、その獣はというと、禍々しいほどのドス黒い
ここにきてスグデスはやっと気づいた。スグデスたちは森に分け入った直後から、むしろプランクを囮にして、罠に嵌められていたのだ。
スグデスは巨斧を両手で持つと、「うおおおお!」と己を奮い立たせた。
Bランク冒険者以上の
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