宇宙から帰ってきた男

アラームが鳴り響く。


アラームが鳴り響く。


アラームが鳴り響く。


男はゆっくりと身体を起こし、目を擦りながらカーテンを開けた。

陽の光を浴びて、今日も生きている喜びを実感する。


「嗚呼、この普通の日常が、こんなにも有難いものだったなんて」


テレビをつけてみると、ちょうど男の事がニュースになっていた。


「行方不明になっていたA氏が地球に生還しました。宇宙船事故から1カ月が経過し、捜索も打ち切られておりましたが、奇跡の生還です」


そう、男は宇宙から帰還したばかりであった。世の中の関心は男に注がれ、誰しもが好奇の眼差しを向け、男がその経験を語り出すのを待っていた。


一夜にして世間の関心の的になったわけだが、男にはまだその実感は無かった。


「本当に帰ってこれたんだな。しかし、助かったのは私1人だけだ。安心はしているが、喜ぶ気分にもなれない」


その時、台所から男を呼ぶ声がした。

妻の声だ。


「あなた、朝食の準備が出来ていますよ」


「ありがとう。今行くよ」


男は深く考えない事にした。まずは普通の日常に戻ることが優先というわけだ。



それから数日、男はニュースの取材やテレビ出演に追われていた。自身の冒険録を語れば良いのだが、1点大きな問題があった。


男には、どうやって助かったのか全く記憶が無かったのだ。


「それが、、気付いたら地球に到着していましてね。全く記憶が無いもので、、きっと無我夢中だったんでしょうね」


などと、適当なことを言ってインタビューを乗り切っていた。世間の期待した答えは得られず、次第に男は忘れられていった。


一方で、男の記憶は戻る事は無く、謎は解決しなかった。いや、むしろ悪化していったのだ。


ある日のこと、妻とディナーに出かけた時のこと、たわいない話をしながら食事を楽しんでいたところ、突然、男の携帯のアラームが鳴った。


次の瞬間、不意に目の前が真っ暗になった。

何も見えない。身体を動かすこともできない。心拍数が上がっていく。アラームだけが聞こえる。

男は何も出来ず、ただ耐えるしかなかった。


そして、ふと気付くと男は車を運転していた。


「え!いったい何が起こったんだ!? 」


すると助手席にいた妻が


「あなた、どうしたの?さっきから様子がおかしいわよ。食事の途中から急に黙り込んだかと思ったら、突然大きな声を上げて」

と言った。

男はしばらくの間の記憶が無くなっていた。


こんなことが頻繁に起こるようになったのだ。

いや、記憶を無くすだけならまだしも、その間の行動までエスカレートしていった。

それは昼夜関係なく襲っきた。


ある時は、気がつくと全く知らない場所に立っていたこともある。


ある時は、大事にとっておいたワインを飲んでしまっていたこともあった。


ある時は、高級時計を買ってしまっていた事もあった。


ある時は、最新型のスポーツカーを契約しようとしていた。


次第に、男は自身の行動を制御できなくなっていくのを感じ恐怖した。そこで、助けを求めて精神科医を訪ねた。


「自分が何者かに乗っ取られていくような気分です。

そして、その原因は宇宙にあるような気がするのです。

宇宙で起こったこと、、何か重要な事を忘れている気がするんです」


医者は諭すようにゆっくりとした口調で

「落ち着いてください。あなたは非常に強いストレスを受けてきた訳ですから、少し精神が疲弊しているだけです。精神安定剤を処方しますので、これで少し様子を見ましょう」


「はあ。そういうものでしょうか」


男は納得出来ないと思いながらも帰路に着いた。

電車に揺られながら自身に起こったことを考える。


「もし、自分がこのまま自我を失ってしまったらどうしよう」


「まさか、宇宙で良からぬものに寄生でもされたのではあるまいか」



その時、当然大きな地震が起こった。

周囲の人々の携帯電話からアラーム音が鳴り響く。そこいら一帯がアラーム音だらけになった。

男は深い闇に堕ちていくのを感じた。


アラームが鳴り響く。


アラームが鳴り響く。


アラームが鳴り響く。


アラームが鳴り響く。


男は目を覚ました。

周囲を見渡してみたが、そこには暗闇が広がっているだけだった。


男は小さな宇宙船の脱出ポッドに乗って宇宙空間を漂っている。遭難してどれだけの時間が経ったかも、もう覚えてなどいない。救助の見込みなど無い。


男は地球に帰ることを夢見ながら、もう一度目を閉じた。


「もしも地球に帰れたら美味しいものが食べたいな」

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