第6話 一方その頃フィリップは

「どうなっているんだ!!!」


 フィリップがクリスティーナに婚約破棄を言い渡してひと月が経過した。

 いつも側でニコニコしているだけでお飾りのようだった元婚約者を排除し、悠々自適な生活が手に入ると思っていたのだが…


 クリスティーナが出ていった翌日、階段から転んで足を負傷してしまい、全治2週間の怪我をしてしまった。

 クリスティーナが出ていった一週間後、所有していた炭鉱で事故があり、幸い怪我人は居なかったものの、炭鉱が一夜で崩落してしまった。

 クリスティーナが出ていった二週間後、信頼して経理を任せていた臣下が横領に手を染め、莫大な資金を持って雲隠れしていたことが発覚した。

 クリスティーナが出ていった三週間後、これまで成功に成功を収めていた宝石商であったが、クリスティーナと別れてすぐに結んだ大型の取引で仕入れた宝石のほとんどが贋作であると判明した。


 そして、クリスティーナが出ていった一ヶ月後の今日。目の前で山になっている紙の束は、損害賠償請求書や、事業をするにあたって借り入れた負債の山である。フィリップが落ち目と見るや、これまで快く融資をしてくれていた資産家や貴族達は、手のひらを返したように冷たくなり、貸した金を返せと毎日請求書を送ってくるようになったのだ。


「くそっ!!どうなっているんだ!!!」


 フィリップは再び叫ぶと、ドンッと力任せに机を叩いた。その拍子に、紙の山が雪崩のように崩れてしまった。


 おかしい。事業を始めてずっと失敗知らずだったではないか。


 フィリップは机に手をつき頭を抱えた。


 クリスティーナが側に居た頃はそれはそれは笑ってしまうほどにあらゆる歯車がうまく噛み合い、順調に回っていた。だが、クリスティーナがフィリップの元を去ってからというものの、大事な歯車が抜け落ちてしまったかのように、全てが崩れ去ってしまっていた。


 なぜだ…俺は自分の力だけで財を築いてきたんだ。傾きかけていた実家を立て直し、社交界でも話題の的だった。金が手に入ると、安直な女達はすぐにフィリップの元へと集まってきた。クリスティーナという婚約者はいたが、正式に結婚するまでは手も繋がないと言われていたフィリップは、年相応の異性への興味や欲求を近付いてきた令嬢で晴らしていた。そのことに気づいていたクリスティーナは初めは慎むようにと釘を刺してきたが、次第に呆れ顔で何も言わなくなっていった。

 そんな令嬢達も、今ではもうフィリップの元に近づこうともしない。腫れ物を触るように扱われ、コソコソと陰口を言われる始末である。

 一番頼りにしていた臣下にも裏切られ、金を持ち逃げされてしまった。もうフィリップが信じられるものはほとんど無いに等しかった。



『さようならフィリップ様…ああ、何があっても後から文句は仰らないでくださいね?どんなに乞われましても復縁も致しませんので。どうかお一人の力でせいぜい頑張ってくださいな』



 こんな状況になって、今更思い出すのは別れ際のクリスティーナの言葉。

 ああ、今思うと君はいつも正しかった。クリスティーナは何もしないでただ側に居たお飾りな令嬢なんかじゃない。

 俺がそうさせていた・・・・・・・・・んだ。



 炭鉱に手をつける時も、

「恐れながらフィリップ様。しっかりと地盤調査はなされたのですか?この辺りは地盤が緩いと聞き及んでおります。作業員の安全のためにも調査すべきですわ。万一のことがございましたら…」

「問題ない。この山は昔からよく訪れているし大きな自然災害にも動じないことは実体験から証明済だ」

「ですが、きちんと専門機関による調査をしないことには…」

「くどいぞ!俺のやることに口出しをするな!」


 臣下に経理を一任する時も、

「フィリップ様。きちんと経理の資格を有した第三者を登用すべきかと。身内でしたら甘えや緩みが生じやすく、後々のトラブルになりかねないかと思いますわ」

「お前は俺の臣下が信用ならないと言うのか!!失礼なやつだな!!黙っていろ!!」


 宝石の商談の時も、

「貴族の間では身に着ける宝石は家柄や身分の高さを示すものでもありますわ。だからこそ本物であり上質なものが求められます。万一偽物だということがあれば、フィリップ様の信用は一気に落ちてしまいます。必ず全て鑑定士に依頼の上、鑑定書を作成すべきかと…」

「そんな面倒で時間がかかることをしていたら、売り時を逃してしまうかもしれないだろう。それに俺のこの目が真贋を見抜けないとでも言うのか?お前は黙って俺の側に居るだけでいいんだ。いちいち俺のやることに口を出すな!」


 事業が軌道に乗り始めた時も、

「フィリップ様。いくら表面上は成功を収めているように見えても、その成功を支える一つ一つの柱に綻びがあると、その地盤はふとしたきっかけであっけなく崩れ去ってしまうものなのです。ですので、慢心せずに真摯に事業に向き合う必要がございます。ご自身の力だけでの成功だと過信せず、もっと周りにも目を向けて…」

「ふんっ、何を偉そうに。成功を収める俺が羨ましいのか?自分は何も出来ないお飾りだからといってひがむのは醜いぞクリスティーナ」

「……………はぁ、わかりましたわ。もうこれ以上何も言うことはありませんわ。言われた通り”お飾り令嬢”に徹するとします」

「はんっ、自分でそう称するとは世話がない奴だ」


 その頃から、クリスティーナが口うるさく俺のすることに口出ししてくることは無くなった。クリスティーナに言われるまでもなく、俺の事業はうまく行っていた。行っていると思っていた。


 元々爵位が上の伯爵家令嬢であるクリスティーナ。

 初めは身分不相応だと婚約に反対の声が多く上がっていたが、クリスティーナは俺が話す事業計画や実家を復興させる夢を語ると、目を輝かせて楽しそうだと笑ってくれた。俺はその笑顔に一目惚れして、彼女なら俺についてきてくれると思い、すぐに婚約を申し込んだ。伯爵家からは渋る声が上がっていたが、クリスティーナが面白そうだからと話を受けてくれたと聞いた時には天にも昇る気持ちになった。

 クリスティーナにふさわしい男になるべく、俺なりにがむしゃらにやってきたつもりだった。だが、事業がすぐに軌道に乗り、甘い蜜を吸ってしまった俺は、初心を忘れて自分の力をひたすら慢心してしまった。

 だからこそクリスティーナの助言や提言が鬱陶しく感じた。俺は一人でなんでもできるのだと。


「俺はどうすればいいんだ、クリスティーナ…」


 フィリップは机上に散らばる負債や請求書の紙をぐしゃりと握りしめた。

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