§5-17. ふたりのお願い


 他の生徒たちがいる場合ならあまり想像もしたくないが、こうして何度か顔を付き合わせている放送局員のみんなにとっては然程驚くことではないらしい。そういう風に見て捉えてくれるのはこの上なくありがたいのだが、ただひとつだけ問題はあった。


「あ、そうそう。イロオトコくん」


「……」


さくらおか高校名うてのイロオトコであらせられるなんりょうせいくん?」


 その枕詞がついているだけにヒジョーに反応したくないのですが。


「……何でしょう」


「自覚はあるんだぁ」


「あのね」


 思わず丁寧な物言いをどこかに捨て去ってしまった。


「名前を呼ばれたらさすがに答えないわけにはいかないじゃないですか」


「だねえ。狙ったからねえ」


「知ってましたけどねえ」


 そもそもつれがわ先輩の物言いはこの半年くらいでよくわかってきているつもりだ。正真正銘根っからののイジリ好き。その相手は年齢を一切問わない。わりといつもターゲットになるのは俺かもしくは喜連川先輩と同学年のたつ先輩だが、基本的には誰に対しても適度にイジリの姿勢は忘れない。


 その内容も嫌味なモノでは一切無いのでキレイに笑い飛ばせるタイプなのだが、何だか最近はとくにアタリが厳しい気がしている。たぶん、気のせいではないはずだ。


 だからこそ俺も、わりと適当な返事を返しがちなのだが。


「それにしても、イイ娘たちだよね」


「……ですね」


 若干、言いづらいが。少なくとも悪い子たちではない。良い子か悪い子かで括ろうとすれば、圧倒的に『良い子』だ。


「なるほどね」


「え?」


「いやいや」


「いやいやいや」


 気になるでしょうよ、そんな言い方は。


「何ですか、もう」


「気にしない、気にしない。……あ、ホラ。ふたりともキミの指令を待ってるよ?」


 先輩に言われるがまま振り向けば、休憩なんかする気もないふたりが俺の後ろでキラキラとした目を向けてくれていた。



 


     〇




「おつかれさまでーす」


「じゃーねー!」


「体育祭後は体調崩しがちだから気を付けてねー」


 別れの挨拶を口々に、それぞれが各々の帰路に就く。


 時刻は午後5時半を回ったあたり。予定より30分ほど早く片付けが終わったので、単純に解散時刻もそれに伴って早くなったという話。


 みんなが早く帰りたいという気持ちからかそれ相応にがんばった結果ではある。それは間違いない。ただ、局員が想定していなかったふたりのおかげで幾分かの分担が出来るようになり、その結果さらに帰宅時間を早められたというのも間違いない事実だった。


 俺は両サイドをマナちゃんとまみちゃんにしっかりと固められた状態だった。何かを察したかのように離れていったみんなは、空気を読んだのかあるいは読まなかったのか。放送局員だけでやる体育祭の打ち上げは再来週以降――各クラスでの打ち上げが終わった後で実施予定なので、この後どこかに集まり直すという予定はない。だから各自自由となったわけだが。


「さて、……とっ」


「またですかい、マナさん」


「……じゃあ、私も」


「まみさん、あなたもですかい」


 よくわからない口調になるのも、きっと無理からぬことだと思う。両サイドを固められている状態が、両腕を固められた状態になった。それだけのことかもしれないが、諸々の感覚が無駄に研ぎ澄まされてしまって仕方が無い。他にはもう誰もいないと思われるので、変な心配は必要なさそうだが――。


「ところで、なんだけど。リョウくん」


「ん?」


 明らかに何か言いたそうなマナちゃん。素直に先を促してあげる。


「もうひとつ……って言うのかわかんないけど、リョウくんにお願いがあるんだ」


 ――お願いと来たか。


「短距離走で決勝に残れたあたしと、……ね?」


「うん。長距離の方で結構良い成績だった私には」


 しっかりとした熱気を帯びた視線を感じる。


 右からと左から。このふたつを同時に視界に捉えることは出来ていないはずなのに、俺の五感はしっかりとふたりからの視線を同時に感じていた。


「お願いが」「あります」


 腕を抱く力がぎゅっと強くなった。


「何なりとお申し付けくださいませ」


 恭しく言ってみる。


 実際、このふたりの活躍は我らが1年8組のポイントレースでは非常に大きい部分だった。ご褒美のひとつやふたつあるべきだろう。


「……って言っても、限界はあるよ? その、経済的な意味とかいろいろとさ」


 でも俺は生憎オトナじゃないので、逃げの一手は忘れない。そりゃあ、打ち上げ2回分となれば頼りない財布が殊更にペラペラになってしまう。――そういえば放送コンテストのご褒美めいたモノはまだもらってなかった気がするので、それをネタに交渉すればあるいは……?


「今日は、いっしょに帰ってほしいんだ」


「うん。それが私たちからのお願い」


 ――え。


「んー、っと? 何て言うか、その……、それだけで良いの?」


「うん」


「できたら、だけどね」


「そりゃ、全然構わないけど……」


 もっと具体的なモノがほしいとか、体育祭準備や練習が本格化する前にふたりのお母さんたちと行った食事とか、そういう雰囲気だと想っていたのだが。


 正直、これは完全に予想外だった。


「ホント!?」


「うん、ふたりが問題無いなら大丈夫」


「ありがとね、遼成くんっ」「リョウくんありがとー!」


 歓喜の言葉は別々なのに、ふたりの声が重なって綺麗に跳ねた。


「じゃあ、このまま帰りましょー!」


「うふふ。……おーっ!」


 元気だなぁ。片付け作業も俺たち以上に率先してやっていたと思うのだが。


 ――と、そんなことを思いながら生徒玄関を出たところで。


「……あれ?」


「ん? リョウくんどした?」


「いや……」


 違和感に気付く。


「クルマじゃないの? って思って」


 いつもなら少なくとも愛花さんか小夜子さんのどちらかのクルマが校門付近に着けていたはずなのだが、その姿形が今日はどこにもない。


「実は……ね、まなちゃん」


「うん。『今日はリョウくんと帰りたいから』って行って、来ないでもらった」


「え、マジで……?」


 そうなると、俺には『ふたりを無事にご自宅まで送り届ける』というミッションが課せられるわけで。


「まぁ、その。ふたりの家の場所はインプット出来てるから……」


「ああ、えーっとね。私の家までいっしょに帰ってくれれば大丈夫だよ」


「え? じゃあマナちゃんは?」


「あたしはそこからマミちゃんママのクルマで送ってもらう予定~」


「あー、なるほど……」


 ――いや、これは『なるほど』で納得していいのか?


 疑問は尽きない。全く尽きる気配はないのだが、それでも俺の両脇でこんなにも楽しそうな顔をされるとそんなことを言い出す気なんて物の見事に削がれていく。いくらなんでもそんな風に水を差す度胸なんて無い。


「とにかく、あたしたちは! リョウくんといっしょに帰りたいの!」


「わ、わかった……! わかったからそこまで叫ばないで」


 熱意が隠りすぎた結果、しっかりと熱気を溢れさせているマナちゃんを軽く宥めておく。やっぱり少しくらいは水指しておいた方が良かったのでは。


「でも、その……大丈夫なの?」


「何が?」


「前も言ったような気がしなくもないけど……」


 一応は気にする。学校生活の中で見せられている光景が既にどこかへリークされてやいないかという不安を実は常時抱えていたのだが、先日神野先生から裏話としてこっそり聞かされた話でその件についてはもう考えないことにしている。


 問題は学校外での行動だ。


 今の世の中、『眼』なんてモノはどこにでもある。何せふたりは芸能人。もし撮られたときにはどうするのかなんて心配は、きっと棄ててはいけないはずだ。


 俺なんかがふたりに余計な迷惑をかけるわけにはいかないのだ。


 せめてみやもりさんとか喜連川先輩とか同じくらいの年代の女子がいれば幾分かその印象はお咎めのないものになってくれるのだろうけど、生憎みんなは既にいなくなっている。


「あー……」


 そんなことを薄いオブラート3枚くらいに包んで言ってみた結果、マナちゃんから返ってきた声はこんな感じだった。


「まぁ、大丈夫だよ。……うん、たぶん」


「たぶんて」


 俺の不安は全然解消されないんだけど。


「大丈夫! ……うん!」


 まみちゃんもちょっとだけ力強い感じで言うけれど、その間のせいであんまり意味はない。


「もー! カタいことは言いっこなしだよ、リョウくん!」


「ほら、あんまり遅くなると遼成くんのママだって心配するでしょ?」


「たしかにそうだけど……ってちょっ!?」


「ほらほら、いっしょに帰りましょー!」


「そんなに気にするんだったら、速くアンド早く帰るのがいちばんだよ」


「あと、『木を隠すなら森の中』っていうし、敢えて人混み入っちゃえば仲良し3人組にしか見えないって! だからリョウくんのそれは要らない心配! たぶん!」


「だから、その『たぶん』が余計なんだってば!」


 ――ああ、もうイイや。


 そこまで言うのならば、きっと大丈夫だろう。


 若干振り返ってみた桜ヶ丘高校の校舎は、夕陽に照らされていつも以上にキラキラと光っているように見えた。


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