§5-5. 「あーん」合戦、勃発
差し出されたるは
話のきっかけを作ったのは我が友人の
――いや、感心している暇はないんだけれども。
冷静に、目の前の状況を出来る限り高速で、整理していく。
目の前には油淋鶏。
差し出してくれているのはマナちゃん。
とってもステキな笑顔が本当に目の前で輝きを放っている。
「あーんっ!」
若干、
そういうことなんだろう、けども。
「あのー……」
「リョウくーん、はやくー。早くしないと落っこちちゃうよー?」
そんなことを言うマナちゃんは、口調こそ急かすようだがその笑みにはまだまだ余裕があるように見える。その余裕がどこから来ているのかは、俺には全く見当が付かない。
「いや、あの……」
「はやくー」
ダメだ、たぶん聞く耳は持ってないと思う。
「ちょっと
そんなタイミングで、やや後方から援護射撃が届いてきた。もちろんその主はまみちゃん。わりとマナちゃんを
「だって、ずーっと我慢してたんだもん。良いじゃん別にぃ」
ちょっと甘えたような声で反論するマナちゃん。
「え? どゆこと?」
「そんなの、学校でもやりたかったからに決まってるでしょ」
さも当然と言わんばかりにハッキリとマナちゃんは言い切った。
――うん、そこを自制してくれて本当に感謝するよ。ホントに実行してたら俺はきっと昼休みの間、ずっと校内を追いかけ回される羽目になったと思うから。
いや、ちょっと待て。
マナちゃんがブレーキを壊した場合には、どんなことが待ち受けているのだろうか。
考えるだけでも――いや、そりゃまぁ、ちょっとは期待しなくはないけれども。だって一応男子だし。現実ではラブコメ展開があり得ないなんて、どこかのエラい人が決めたわけじゃないんだし。
「ほらほらー。早くしないと落っこちちゃうってばー」
ずずいと箸を差し出すマナちゃん。しっかりと箸先でホールドされたお肉は落ちる気配なんてないけれども。
「もったいないよー? おいしいよー?」
どんどん近寄ってくるマナちゃんと、油淋鶏。
魅惑的な香り。
もちろん、断る理由なんてないけれど。むしろ断ったら、その後が心配になる。
ごくり――と喉が鳴る。
意を決して口を開ける。
エサを待つ小鳥のように、油淋鶏を待つ。
食欲をそそる良い香りが最接近してきた瞬間。
「ん!」
「んむっ!?」
「ッ!?」
三者三様の、声にもなっていないような音が、それぞれの喉から出て行った。
一気に近付いた、マナちゃんの顔。
タイミングを計ったようにこちらに顔を寄せたらしい。
本当に、心臓が胸骨を突き破って飛び出るかと思った。
「おいし?」
俺は、細かく頷くだけ。
油淋鶏の辛味も酸味もイマイチよく感じられないのは、脳が違う香りを認識しているせいだろうか。
びっくりした。本当にびっくりした。
マナちゃんの顔なんて見られるはずがなかった。
ドラマか何かでこんなシーンの撮影があるのか、なんてことも脳裏を過る。完全に余計なことを考えてしまうのは、どういう防衛本能なのだろうか。
もちろんあんなことを言われての『あーん』という流れなのだから、少しばかりの独占欲のようなモノだって湧いてきてしまう。とはいえ、それはあくまでも俺が持っている傲慢さがもたらしたモノなのだろう。
噛みしめて、飲み込む。ようやくここに来て味が解るようになってきた感じもする。どれだけ緊張と動揺をしていたんだ、俺は。自分に少しばかり呆れるくらいだった。
何だか、ふたりだけの世界――みたいな。完全にマナちゃんの世界に取り込まれてしまったような、そんな感じ。
小さくこっそり深呼吸して、ようやく周りを見る余裕も出てきた気がする。
マナちゃんは、どうやら満足そうに自分の皿と向き合っているようだが――どうなんだろう。直前とは打って変わってこっちに顔を向けてくれていないので、表情が確認できない。
ならばまみちゃんは――と思えば、彼女も彼女でこちらを向いていなかった。少し何かを考えている、あるいは思い詰めているようにも見えるし、少しばかり怒っているようにも見える。俺くらいのレベルではまだ簡単に心の内を把握することはできない。
「お待たせー、追加分持ってきたわよー」
「さぁさぁ、召し上がれー……?」
箸が1本、手から滑り落ちた。
これまたタイミングを見計らったように、大皿を2枚ずつ持ってきたママさんズ。
楽しそうに戻ってきたものの、何かを察したように語尾にキレがない。
「あれれ、どしたー? もう満腹?」
「いえ、そんなことは」
――いや、ちょっとあるけど。腹6分目くらいまでは余裕で達してきたけど。
「愛瞳は? まだイケるでしょ?」
「え!?」
マナちゃんの声が華麗に裏返った。
「……何? どぉしたのアンタ。リョウくんの前だからって遠慮してるの?」
「そ、そぉんなこと無いよ?」
「うん、知ってるー。アンタってそもそも、そういうタイプじゃないしね」
「ヒドくない!? それ、
「乙女の前に私の娘なので」
高御堂母娘が、先日も見せてくれたようなテンポの良い言い合いをしているウラで、こっそりと俺は落としてしまった箸を拾おうとする。が、わずかのタイミングで小夜子さんの手が先に届いた。
「あ、遼成くん待って。箸洗ってきてあげるから」
「い、いえ! 自分で洗ってきますから!」
「そーお?」
勢いに任せて席を立ち、拾ってもらった箸を小夜子さんから受け取って、俺はキッチンへと向かった。
こっそり水くらいは飲んでもイイだろう。あの場でも落ち着けるくらいのレベルに早くなりたいと思った。
〇
おなかいっぱいになっても問題なので、小さなコップ1杯に留めた水。それでどうにか足りてくれたので良かった。
一安心しながら再度食卓に着くのだが、若干空気がカタいような気がした。誰がとか、何がとか。そういう具体的な話ではなく、ただ何となくそう感じただけなのだが。
何だろう。――あまりイイ予感はしてこないのだけれども。
とにもかくにもせっかくまた追加してもらったのだからしっかりとご馳走になろうと思うのは、きっと悪いことでは無いはずだった。環境保全のためにも、食事を廃棄するのは極力止めましょうという話だし。
そんなこんなで、またしばらく経った頃合い。
今度はデザートがあるからということで、またママさんズが席を立った。
――キッチンへと向かう流れで、不意に小夜子さんがまなちゃんの肩をそっと叩き、愛花さんは何やらグッと力強く親指を立てて行ったのが気になった。
「あの……」
そこからほとんど間は無かった。おかげで心の準備は中途半端だ。
いや、ほら。『絶対に、また何かが起きるんだろうな』とは思ったけれども。
だけどもう少し心の準備をしてからの方が、嬉しかったかなぁ、なんて思うのは俺のワガママでしょうか。罰当たりなのでしょうか。
「なんでしょか」
そのせいでカタコトになる俺。
まみちゃんと目が合う。
明らかに緊張気味の笑み。
そして、――またしても差し出される箸。とりから。
「えーっと、その……」
こちらまで緊張感に支配されてくる。
黙って、その時を待つ。
「……あーん」
――そう来たかぁ。
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