§4-10. 『生徒との恋 part.2』は故意


 少々の休憩を終え代わりの飲み物を持ってきたところで演習問題の解答再開。


 今日もこの前と同じくマナちゃんを理系科目に慣れさせることを重点的にやっていこうということで、問題集をごりごりと解いていく方式を採っている。


 本人は苦手だ好きじゃないなどと言い放つものの、それでもやはりあたまはいいのか、解き方のコツのようなものを丁寧に伝えればマナちゃんのシャーペンはサクサクと快調に動いている。もちろん誰かが誰かの助け船を出せるようにはしていたのだが、思った以上に静か。俺もまみちゃんも自分の問題にかなり集中できていた。


 とても順調そうに見えていた――のだが。


「ん? マナちゃん?」


 何故か、マナちゃんが俺をじっと見つめていた。


 何となく動いているペンの音が少ないような気がしたときに不意に顔を上げたら視線が合ったという流れ。いつからそうしていたのか。


 もしかしたら、俺が完全に下を向いていたせいで話を切り出せなかったのかもしれない。いや、でもマナちゃんに限ってそんなことあるのか?――などと、もしかしたらちょっとだけ失礼なことを思いながら訊いてみた。


「ううん、何でもない……んだけどー」


 彼女は含みのあるような言い方をした。


「あれ? どしたの?」


 まみちゃんもそれに気付いて、問題の丸付けを終えたところで一旦ペンを置いた。


「何でもないっちゃあ何でもないんだけどー」


「訊きたいことがあったら答えるよ? 出来る範囲で、だけど」


「そーお? 応えてくれるの?」


「ん? ……うん」


 何となく不穏な香りがする訊き方。


 一応は頷くが、ちょっと間が出来たのはたぶん仕方ないことだ。


「何でも?」


「……出来る範囲でね」


「じゃあ、たぶんだいじょうぶだ」


 そう言ったマナちゃんは、何故かまみちゃんの隣に急接近。


「え? 私?」


「そう、マミちゃん」


 しかし、マナちゃんの手に問題集もペンもない。そのまま何やら耳打ちをしはじめた。


 何だ。何を話しているんだろう。


 時折俺の方にもチラチラ視線を送ってくるのだが、そのタイミングがふたりで概ね一致するから、やっぱり何となく香ばしいかおりが漂ってきそうな予感はある。


 あれはたぶん、勉強のことじゃない。


 だって、本当に質問をしているのなら、耳打ちをする必要はない。


 だって、本当に質問をしているのなら、まみちゃんの顔が赤くなってくることなんてない。


 あえて気にしないようにするために問題集に向かおうとしてみる。努力はしてみる。がんばれば俺の耳にも届きそうなくらいの声だが、聞こえないことにしておくのが礼儀だろうとは思ってやってみたが、やっぱりムダだった。そちらの声に集中しないようにすればするほど、耳がそちらを向いてしまうような感覚だった。


 ――気になるでしょ、さすがに。


「……えーっと」


 そうこうしている内に話を始めたのは、まみちゃんの方だった。


「ほらほら~」


 明らかに楽しそうなのはマナちゃん。何かをそそのかしたらしいが――。


「早く行かないと、またあたしが行っちゃうけど……良いの?」


「……っ」


 最後に少しだけトーンが変わり、まみちゃんが思わずと言った感じで息を呑んだ。


 そのままの流れでごくりと彼女の喉が鳴る。


 まみちゃんは意を決したようにこちらに向き直って――。


「あっ」


 ――これ以上ないくらいに声が裏返った。


「はい、NG。やりなおしー」


 撮影監督マナちゃんは厳しかった。


「ううー……」


「唸ってもダメー。はい、しっかり!」


 姉妹っぽく見えるときがあっても大抵はマナちゃんが妹で、まみちゃんは姉に見えることが多い。今は明らかに逆だった。


 一旦、大きく深呼吸。こちらもそれに併せてこっそり息を吐く。カラダの中の淀みを捨て去るように素早く、気取られないように。


「あ、あのね。りょうせいくん」


「はい」


 いや、違う。真っ向から迎え撃つみたいな感じにするつもりはなかったのに。


 アレだ。サッカーをやっていたときに、相手チームの選手とたいしたときの心境を作ってしまったせいだ。間違い、間違い。


「……どしたの?」


 極力柔らかく、優しく。――難しいな。出来ているのだろうか。


「えっと、ね。遼成くんって、理系科目得意だよね?」


「ン? ……んー、まぁまぁ。不得意ではないくらいだとは思うけど……」


 思っていた切り口じゃないところから攻められて、こちらの声も裏返ってしまう。


「……ンンッ?」


 そして、久しく出したことのない高音が俺の喉から飛び出した。


 ――え。


 えーっと、その――さんや。


 どうしてそんなに俺に引っ付くので?


 ゼロ距離以外の何物でもないのですけど。


「……ココの問題がね、その、……ちょっと。訊きたいな、って」


 台詞がたどたどしく聞こえる。


 やや見下ろしたすぐのところにあるまみちゃんの耳は、真っ赤だった。


 よく『女優はカメラ回っていると汗かかない』なんて逸話を聞くし、そういうチャレンジ企画を番宣番組でやっている光景も見たことはある。


 もちろん、照れの演技で赤くなることもあるだろう。


 でも、さすがにこれは演技でもなんでもない。


 リアリティだと思いたい。


 ――たとえ、俺の斜向かいでマナちゃんが監督っぽい雰囲気を醸し出しながら、うんうんと満足そうに頷いていたとしても。


 困惑するままにマナちゃんを見つめれば、『ん?』とこの上ない可愛さで首を傾げたのちに、この上ないあざとさでほくそ笑んだ。


 っていうか、やはりキミが犯人か。キミがこうしろと言ったね? 状況としてそれ以外にありえないけどさ。


「えーっと……」


「あー! それ、あたしも訊きたかったところー!」


 何とかイイ感じの解説をヒネリだそうとしたところで、逆サイドからマナちゃんが勢いよく突っ込んできた。


(ぬぉわっ)


 文字起こしすればとんでもないマヌケ声だ。実際に声に出さなかった自分をちょっとだけ褒めたくなる。


 どうしてふたりともきちっと細いのに、きちっと女の子っぽい感触なんですカ。


 妙に脳細胞がフル回転を始める。もはや回転しすぎてオーバーヒートしそうだ。


 そのせいなのか、問題の解説とは全然違う方向性のひらめきが脳裏を過る。


(あ……)


 思い出すのは前回、マナちゃんの家での勉強会。やたらと密着度高く俺に質問をしてきた彼女は、その後でまみちゃんを意味ありげに見つめていたような気もする。


 まさか、そういう狙いがあったのだろうか。


 それで今日、特段何も行動を起こさない彼女を焚き付けて、この状況を作って――。


(だけど……)


 それにどんな意味があるというのか。


 少なくともふたりともが俺のことを憎くは思っていないことはわかる――というか、それはさすがに自己評価が低すぎるか。いくら何でも憎く思っているヤツとなんていっしょにテスト勉強をしようなんて思うはずがない。挙げ句、そんな風に思っているようなヤツを――しかも異性を、家に上げようなんて思わないだろう。


 何だコレは。


 まさか――これが『モテ期』とかいうヤツなのだろうか。


 でも、俺的認定を受けたモテ期は、幼稚園生だった頃のマナちゃんとまみちゃんに依るもので、今回も同じ人からということになってしまう。この場合はノーカウントになるのだろうか――。


(いやいや、そんなバカな)


 若干暴走気味だった思考が、脳内にいる誰かによって水をぶちまけられたように冷静になっていく。


 そんな都合の良い解釈が許されるような関係では、もはや無いはずだ。


 オトナの世界を渡り歩いた彼女たちにとっては、幼少期をいっしょに過ごした人間との時間はさながらオアシスのようなものだろう。


 ふたりのお母さんも言っていたじゃないか。俺のおかげで楽しそうにしている、と。


 あれはつまり、大人だらけの空間に疲れて果ててしまいそうだったふたりが、ようやく高校生らしさ――というかむしろ子供らしさを取り戻しているということなのだろう。


 だからきっと、ではない。


 勘違いをしてはいけない。


 少しならばもしかしたら許されるかもしれないが、勘違いをしすぎるような真似は絶対にしてはいけない。そんな真似をしてしまえばきっと、ふたりと、ふたりを支えている人たちに対する裏切りになる。


 オトナの世界で生きるふたりには、俺とは違う責任がすでにある。


 大好きなふたりを裏切ってしまうわけにはいかないのだ。


 そして、何よりも。


(これがもしモテ期だったら、俺、死ぬじゃん)


 ふたり分もカウントしたら、モテ期が4回になるじゃんか。


 ――だからそういう意味でも俺は、勘違いだけはしちゃいけないんだ。


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