§4-8. 予想外の感謝


 到着した場所は、俺が思っていた場所とはかなり違っていた。


「何だか意外そうな顔してるね、りょうせいくん」


「えーっと、……はい。途中までは幼稚園があった方に向かっていたので、何とも思っていなかったんですけど」


「そっか。遼成くんが知ってるわけなかったかー」


 まみちゃんが当時、さんといっしょに徒歩通園をしていたということは覚えていた。だから実家の場所も幼稚園の近辺だろうと思っていた。


 だけどそれは、あくまでもよつはしさんの家がまだそこにあるという前提条件を満たしていなくてはならなかった。


首都圏むこうの方でお仕事が増えてきたタイミングで、丁度良く……と言って良いのかはわからないけど、みんなで向こうに引っ越すのがベストみたいな感じになったの。それでこっちにあった家は引き払っちゃったってわけ」


「なるほど」


 今俺の目の前にあるのは、その幼稚園の最寄り駅に隣接するタワーマンションのエントランス。最近出来たという話のこの建物は、数ヶ月前にテレビコマーシャルが打たれていた記憶もぼんやりとある。

 もちろん自分にとっては興味も関心もないし、関係のあるモノだとも思っていなかったのだが、まさかこんなカタチで関係性を持つことになるなんて思わなかった。


「で、今は私とでふたり暮らし」


「だから、お仕事の都合でお父さんは向こうに残ってるんだよ」


 なかなか変わった事情があるらしい。一般的な家庭だとあまりお目にかかれないパターンのような気がする。


「単身赴任ってことかな」


「それは……ちょっと微妙な言い方かもね」


「ん? ……あ、たしかにそうか」


 一般的な『単身赴任』のイメージは転勤になったときにひとりでその場所に行くことだが、この場合は転勤でもなければ家族を残して勤務地へ行っているわけでもない。住んでいる場所から離れたところに来ているのは、このふたりの方だ。そう考えると、何とも表現しづらい話だった。


「そういうこと。だから、安心してね?」


「……ナニガデショウカ」


 似たようなことをたかどう家でも言われたような気がするが、この人たちは俺に何を求めているのだろう。俺はどんな返答を期待されているのだろう。――とくに考えない方がいいのかもしれない。


「立ち話も何だし、早く入りましょう。お勉強するんでしょう?」


「ですね」


「じゃあ、どうぞこちらへ」


 まみちゃんと小夜子さんの案内の下、マナちゃんは揚々と、俺はどちらかといえば恐る恐る、後を付いていった。




     〇




 ものすごく静かでものすごく速いエレベーターに乗って数十秒。


 LEDの表示板には回数表示としてはまるで見たことのない数字が現れたが、そのまま見なかったことにする。3度見くらいは余裕でしてしまったけれど、そのまま見なかったことにする。


 ここより階層の多い建物なんて、星宮には他にどれだけあるのかという話だった。


「ひろーーーーーーい!」


 家主たちにどうぞと言われるよりも早いか、室内に駆け出していったマナちゃんは開口一番叫んだ。


 ふつうのマンションならば今の声量なら余裕で壁ドン・床ドン・天井ドンのドンドンオンパレードで即座に『フルコンボだドン』となりそうな話だったが、恐らくここなら大丈夫そうだ。きっと遠くの家で騒ぐ子供の声くらいには小さく聞こえる気がする。


まなちゃんテンション高すぎ……」


「まぁまぁ、元気な子はカワイイから良いじゃないの」


「お母さんって基本的に愛瞳ちゃんに甘いよね」


「え? 別に愛瞳ちゃんだけにじゃないけど?」


「……はいはい、遼成くんにもね?」


「大正解」


「……へ? にょわ!?」


 いきなり水を向けられたと思ったら、突然ほわっとした感覚に包まれて変な声が出た。


 原因は当然というか、小夜子さん。いきなり俺の真後ろに陣取ったかと思ったら、そのまま頬を揉まれた。


「若い子の素肌、良いわぁ……」


 何か怪しいこと言い始めてません!?


「遼成くんって、ニキビ対策とかそういうスキンケアって結構してるの?」


「そんな、最近は全然……。中学のとき、ちょっとだけ洗顔フォーム変えたりとかしましたけど」


「じゃあ、食事とかお母さま気を遣ってくれてるのかな?」


「それはあると思います」


 サッカー少年のころもそうだが、今はさらに気を遣ってくれているとは思う。


「素晴らしいわ。……頬擦りしてもイイ?」


「へ?」


「お母さん……?」


 ゆらぁり。まみちゃんから少し攻撃的なオーラのようなモノが見えた気がした。


「ウソウソ、冗談冗談」


 小夜子さんもそれが見えたのか、俺の頬からすぐに手を離した――のだが、そのままその手はまみちゃんの肩へと向かっていく。何をされるのかと怯えたまみちゃんは身体を捻ってその手を躱そうとするが一瞬で捕獲される。


「安心しなさいって……」


 そう言いながら何やらまみちゃんにしか聞こえない声量で耳打ち。


 ――直ぐさま真っ赤になるまみちゃん。


「ちょ……っと! 何言ってるの!?」


「照れない照れない。全くウブすぎるのも困るわね……。役でそういうのがあるかもしれないでしょ?」


「それとこれとは違うでしょ!?」


 しっかりと余裕を見せる小夜子さんに対して、いつもの少し大人びた感じなどどこかへ飛ばされたように焦りまくるまみちゃん。マジで、一体に母親に何を吹き込まれたのやら。


「ねーねー! マミちゃんの部屋ってどこー?」


「あ、こっちこっち! ……もう! お母さんはちょっと反省してね!?」


 母兼マネージャーにそう言い捨てたまみちゃんは、完全に放置されていたことを良いことに適当にお部屋探訪をしていたかもしれないマナちゃんのところへと向かっていく。


 やれやれ――と小さく呟いた小夜子さんはどうするのかと思えば、俺の方へと向き直った。


「ごめんね、あんな子で。……聞いたよー? 遼成くんって学級副委員長もやってて、放送局にも入ってて、賞も取ってて。放送局の見学とかも手配してくれたんでしょ?」


「ええ、まぁ……。そんな大したことしてないです」


 そこまで話されていたのかと内心驚く。むしろ、ほとんど全部じゃないだろうか。


「遼成くんに迷惑かけてない?」


「いやいや、そんな。全然そんなことないです。俺が言って良いのかわかんないですけど、すごくオトナっぽいというか、何というか。しっかりしてます。エラそうな言い方ですけど」


「舞美花が?」


「ええ」


 訊き返されるとは思っていなかったので一瞬差し込まれたような感じになる。


「……うふふ」


「?」


 小夜子さんは何故か笑った。包容力のある笑みだった。


「あー、そっかそっか。なるほどね、そういうことね」


「……えーっと。何がでしょうか」


 ひとり納得感を得ている小夜子さん。俺は当然置いてけぼり。


「ううん、大丈夫。遼成くんは気にしないで。貴方はそのままで大丈夫だから」


「……はぁ」


 気の抜けた返事をしてしまった。でも仕方ない。何故だかさっぱり解らないのだから。


「こっちに来てよかったのね、って再確認できてよかったわ。愛瞳ちゃんもそうだけど、……ありがとうね遼成くん」


 訳の分からぬまま感謝されてしまう。ただ、訊き返そうにもあまりにも満足そうな小夜子さんの笑みにその質問は引っ込んで、俺が触れないところにある棚の奥深くに行ってしまったような感じだ。


「そうだ。今飲み物とか渡すから、お部屋に持って行ってね」


「はい、お安い御用です」


「じゃあまずこっちに」


 俺は小夜子さんの案内でキッチンへ向かい、飲み物と軽食の準備を手伝う。その途中でまみちゃんとマナちゃんもこっちに来てくれたので、まみちゃんの自室へは彼女の案内で行くことになった。


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