§4-7. 嵐のようなお出迎え・リフレイン


 日曜日、地下鉄駅前。


 これだけだと昨日とあまり違わない光景かもしれないが、それよりもさらに人通りが少ないエリアに俺は立っていた。ここが今日の待ち合わせ場所だった。


 有りがたいことにここはしっかりと日陰になっている。昨日の反省点ということではないようだが、ふたりが配慮してくれたのはあるらしい。


 ただし、残暑は昨日よりも酷暑の様相。念のため冷やしたペットボトルの飲み物を1本家の冷蔵庫からくすねてきていて、それを首に当てたりしている。そこそこの効果はある気はするが、最近流行のネッククーラーが欲しくなった。


 ちなみに今日も放送局の活動終了後だ。制服を脱ぎ捨て、シャワーも昨日よりしっかりと浴びた。俺自身の反省項目と言って良いかもしれない。


「……お」


 一瞬だけぼんやりとしかけたところで、目の前に1台の車が到着。今度は丸っこいかわいらしい車だった。


 助手席を見れば、そこに居たのはまみちゃん。すぐさま窓が開いて笑顔がにっこりとのぞいている。


「お待たせりょうせいくん。今日も暑かったでしょ?」


「それなりにね。でも、今日はしっかり武器があるから」


 武器とは何だと疑問に思う前に汗がいたペットボトルを見せる。なるほどね、と彼女は納得してくれた。


「じゃあ、また後ろにどーぞ」


「お邪魔しますー」


「リョウくん、おはー」


「おはー……ってお昼過ぎだけどね」


 アレか。業界挨拶的なアレか。どの時間帯だろうと『おはようございます』と挨拶するという話は俺でも噂で聞いたことがある。


「えーっと、……お邪魔します。なん遼成です」


 さて。ここはやはりしっかりとした名乗りが必要だろう。


 何せ運転席に座る女性は、物凄く真っ直ぐな眼差しで俺を見つめている。


 別に恐怖心を煽ってくるような感じではなくて、むしろ物凄く温和な雰囲気。昨日会ったマナちゃんのお母さんとはある意味正反対な――と言ったら失礼なのかもしれないが、あくまでも朗らかでアクティブな印象が全面に来ているだけだ――印象を与えられた。


「……ああっ、ごめんなさいね。カワイイなぁって思って見てただけだから」


「あっ、はい……」


 俺のどこらへんが琴線に触れたのやら。それはともかく。


「遼成くんだなぁ、って。私が一方的に知っているだけなのにね」


「あ、いえ、そんな。全然、何も問題ないです」


 ――そういうことですか。要するに昨日と同じパターンなわけですか。


「……ということは」


「ええ、の母、よつはしです」


「ぅぇ」


 何だかとんでもないパワーワードが紛れ込んでいたのは気のせいか。気のせいであってほしいところだったが、何となくそうではない気がする。というか、紛れもない現実な気がする。


 いや、ここはしっかりと確認しておこう。


「マネージャー兼なんですか……?」


「うん。そうだけど……あれ? 私、何か遼成くんに怯えられてる?」


「……ぶっ」


 確定。


 恐れおののく俺。その様子を見て噴き出すマナちゃん。


 いやさ。そりゃあ同姓なら良いかもしれないけども。


「大丈夫だから、遼成くんそんなに怯えないで。オバチャン泣いちゃうから」


「オバチャン……」


 そんな単語、これっぽっちも似合いません。


 落ち着いた感じの女優さんにも見える雰囲気はきっと、四橋舞美花という女優の将来像にいちばん近い存在だろう。そんな考えに思い至るには容易い。


「その……、いろいろな意味で大丈夫なのかな、って思いまして……」


「んーと……? ああ、そっか。そういうことね?」


 理解してもらえたかもしれない。


 もしもどこぞのカメラに抜かれたとか、そういう話になったときとか、当然心配にもなってしまうのだが。


「気にしない、気にしない。だって、マネージャーわたしだから」


 それは――俺からは何とも返しづらいのですが。


「私、元々この子が生まれる前からこの仕事してたクチでね」


「芸能事務所でマネージャーを?」


「そうそう。で、一旦専業主婦やってたんだけど、この子がこういう仕事始めることになって、私も良いタイミングで復帰したっていう感じ」


 なるほど。


「そうなんですね。てっきり女優をしてたのかと」


「いやぁだ、ちょっと! 遼成くん上手すぎない?」


 あははと笑いながら、手を叩くまみちゃんママ。


 ――ん? 手を叩く?


「お、お母さん!? せめて片手はハンドル握ってて!」


 娘のお叱りが飛んだ。


 もしかしたら、案外タレント活動をしている娘の母親というモノは、存外似たところがあるのかもしれない。サンプル数が少ないから、正しいという保証はないけれど。




    〇




「ところで……」


「ん? 何?」


 バックミラー越しに一瞬だけ視線が合った。


「ああ。私のことは小夜子さんとかって呼んでくれれば良いのよ?」


 名前ですか。


 ――うーん。


 代替案に良いのが全然思い当たらないのだが、それは何となく気恥ずかしいというか。昔だったら『ナントカちゃんのオバサン』とかで済ませたのだろうけど、それもピンと来ないところがある。


「さよちゃんでもいいよ?」


「あはは……」


「あ、流したなぁ?」


 だって、それはさすがに恥ずかしいを通り越して、何かが崩壊しそうですし。


「あ。そういえばあたし、リョウくんに伝え忘れてたことがあってー」


「え?」


 一瞬だけ腕同士が触れる。そう言ったのは隣に座るマナちゃんだった。 


「今の流れで思い出したんだけどね。ウチのお母さんも、リョウくんに名前で呼ばれたがってたよ?」


「……へ」


 昨日、マナちゃんの家での勉強会。トイレに立ったあとでちょっとお話をさせてもらったときを思い返してみるが、そういえばとくにマナちゃんママを呼ぶようなシチュエーションにはならなかった気がする。


「『まなさん』って?」


「うん、そう。『おばさん』とかって呼ばれるのはちょっとイヤだし、って言ってた」


「それわかるわぁ。授業参観か何かのときに、男の子のお母さんが『ナントカくんのオバサン』って言われてて、私勝手にちょっとグサッと来てたから」


 あ、危ない。昔の感じで言わなくて良かった。ナイス回避、俺。


「でも、名前覚えててくれてたんだね。お母さんに教えてあげよっと。喜ぶぞー」


 早速と言った感じでスマホを操作するマナちゃん。ニュース速報レベルの早さ。


「ちなみにだけど、『おかあさんでも良いけどね』とも言ってた」


「あ~、それ私も言われたいわ~」


 そっちは、ちょっとピンと来ない。


 疑問に思っている顔がミラー越しに見えたのだろう。くすっと小さく笑った小夜子さんはそのまま俺に言ってくる。


「イイ響きでしょ、『おかあさん』」


「え、ホントですか?」


 オバサンと大差無さそうな気もするのだが、その違いはどこにあるのか。


「……ねえ、お母さん」


「ん?」


 まみちゃんが小夜子さんに訊ねるが、その反応からは嬉しそうな感じはまるで伝わってこない。今し方言ってたことと違うような気がするのだけど。


「それってもしかして、要するに『お義母かあさん』ってこと?」


「そりゃそーでしょ。あなたに言われるのと遼成くんに言われるとは全然違うわよ」


 ――あ、何か察した。察してしまったぞ、俺。


 まみちゃんの言い方――アクセントの置き方で、漢字での書き方も察してしまった。


 これはデジャヴュ。


 また騒がしい流れになっていきそうな予感がする。


「あ」


 そんな流れにあわよくば水を差してくれそうな声が真横から聞こえた。――いや、勢い付かせる方向の水差しになる恐れもあるのだけれど。


「どしたの?」


 スマホを見つめるマナちゃんに、恐る恐る訊いてみる。


「『ライバル出現!』だって」


「な、何が?」


「ん? 今、『マミちゃんママもおかあさんって呼ばれたがってる』って書いたから」


「あー、なるほどねー。やっぱりそうなのねー」


 にんまりとするマナちゃん。納得する小夜子さん」


「……ふぅ」


 観念する俺。


 そして、何故か無言なままのまみちゃん。


 カオスになった車内。


 今日は一体この後どうなるのだろう――なんていう心配を余所に、小夜子さんの運転してくれる車は何だかんだで目的地へと進んでいった。


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