§4-VI. 「『生徒との禁断の恋』、してみる?」


「ふう……」


 用が済んで一息。


 ――あ、いや、決していわゆる賢者タイム的なモノでは無い。


 いろいろと愛花さんからイジられたり訊かれたりイジられたりしただけだ。


 自分としてはとくにからかわれる要素を持ち合わせているつもりは無いのだが、どうにも愛花さんには何かが刺さったらしく、とにかくカワイイカワイイと言って聞かない。


 嬉しくないわけではないが、何より恥ずかしさが容赦なく襲ってくる。だが跳ね除ける術は持っていないし、そもそもそこまでの嫌悪感もない。ちょっと顔が熱くなるだけだ。


 とにかく、マナちゃんのお母さんらしいな、という感想に落ち着けられる時間だった。


 最後に感謝の言葉を背中に貼り付けられながら部屋へと戻る。


「お待たせー……ん?」


「……あ、おかえりー」


「おかえりなさい」


 ふたりは妙に顔を付き合わせて何かを話していたらしい。機密性は高い家ではあるようだが、それにしても話し声は聞こえなかった。わりと時間も経っていたし、てっきりさっきのお菓子をつまみながら休憩がてら話しているだろうと思っていたのだが。


 よく見ればお菓子はまだ手を付けられていなかった。


「食べてても良かったのに」


「いやぁ、やっぱりセンセイより先にいただくわけには」


「何か言ってる」


「あー、ひどーい。せっかく聞き分けの良い生徒を演じてたのに」


まなちゃん、『演じてた』って言ったら意味なくない?」


「いいのいいの。演じてたんだから」


 どうやらこういうノリをするための相談をしていたわけではないらしい。もしそうならマナちゃんとまみちゃんでもう少し意思疎通が取れた発言が出てくる気がした。演じていた系のネタとして展開させるのも、このふたりなら軽く出来てしまいそうでもあったからだ。


「たとえばさ、聞き分けの良い学年でも指折りの優等生な生徒が、実は先生のアレを狙ってる――みたいな話って結構ドラマとかでもあるでしょ? それをやってみただけって話」


「アレって、……命とか?」


「いきなり思い付くのがそれなんだ、遼成くん」


「ああ、いや……」


「ミステリ要素の入った小説とか好きでしょ?」


「うん、けっこう」


「だよねー」


 一瞬まみちゃんにヒかれたかと思ったけれど、小説トークでどうにか持ち直せたらしい。よかった。


 なぜそんな発想が出てきたかと言えば、さっきの例とはちょっと違ったアプローチで、実は教師側が生徒に狙われたいと思っている話があったのを思い出したからだ。


 とはいえ――、最初に思い付いたモノは、本当は違う。それはさすがに正虎とふたりでぐだぐだしゃべってるときくらいに、もしかしたら不意に言ってしまっても大丈夫かというくらいのレベルのモノ。とてもじゃないが、男ひとりの環境で口走れる内容ではないので自重――。


「それもあるしー、禁断の恋的なヤツもあるよねー」


「あぁ、そっちの方が健全……でもないわ。そんなことなかった」


 俺が間違って言おうとしたのよりはだが、だからといって比較するモノでもなかった。


 これ以上は何かを口走ってしまいかねない。見ればお盆の上で冷たいお茶のグラスが汗がいていた。渇いた喉を潤しながら、もしかしたら外の暑さで茹だってしまった脳みそが考える良からぬ思考もキンキンにして胃の中に流し込んだ方がいいだろう。


「お茶いただくね」


「……うふふ」


「ふぅ。……ん?」


 さっきまで見ていたような笑顔。


 ――ああ、なるほど。何か考えがありそうなときのマナちゃんの表情は、完全にお母さん譲りだったのか。把握、完全に理解した。


「何かあった?」


「ねえねえ、リョウくん」


「……ん?」


 ちょっと声が震えた。何となく、予感はしている。次に来るの心当たりがある。


「『生徒との禁断の恋』、してみる?」


 ――――!


 来ました。そうくると思ってました。


 嬉しい。それは否定しない。否定するなんて失礼なことはできない。演技だとしてもちょっと嬉しく思ったって良いじゃないか。一部は危ういところはあるけれど、精神的には健康的な高校生男子だから。


 だけど、その一方で何となく懐かしい感じもするのは、きっと幼稚園の頃を思い出しているからだろう。


 何をするにしても大抵マナちゃんがリードしてくれていた。別に当時の俺が引っ込み思案だったわけではない。これでも結構擦り傷切り傷の多い子供時代だったわけで、走り回るのは好きだったし、その頃から遊びのはんちゅうは出なかったけれどサッカーボールもよく蹴っていた。


 とにかく、高御堂愛瞳という少女が、俺以上にアグレッシブだったからだ。


 ――さて。


「んー……」


 そんなノスタルジックな思考に沈んでいる暇はない。


 明らかに返答待ちの彼女に対してちょっと反撃をしてみても良いんじゃないかと思った俺は、演習問題のラスト1問を解く以上に脳みそフル回転。


「……して、いいの?」


 結果、ちょっと乗っかってみた。もちろん悪乗りではある。


 できる限りの『いい声』を作って、しっかりとマナちゃんの目を見つめ――るのは明らかに恥ずかしいし、『いい声』を作れなくなっても嫌なので、目線は外すという情けない自己防衛。


 さぁ、効果の程は――?


「……はぅ」


 お?


 力のない声が聞こえたと思ったが、その瞬間マナちゃんは何かを思い出したようにグラスを手に取りお茶を一気飲み。その勢いが衰えないままにお菓子にも手を付ける。


 よくわからない。食欲でも刺激できたのだろうか。


 まみちゃんといっしょに様子を見ていたが、ひとしきりもぐもぐしたのちマナちゃんは自分のグラスをまた見た。きれいさっぱり、何も入っていない。そりゃそうだ、今し方一気飲みしたばかりだし。


 予め潤しておいた分では水気が足りなかったのか、どうやらお茶を求めているらしい。


 不意な流れで俺にぶつかるマナちゃんの視線。


 そのまま少し下に推移。


 その先には、俺のグラス。


 ――あれ?


「……あっ、愛瞳ちゃん、これ! これあげる!」


「……っ!」


 自分のグラスを勢いよく差し出すまみちゃん。よく溢れなかったな、中身。


 一瞬気圧されたマナちゃんは、それでもしっかりそれを半分くらい飲んで、ようやく落ち着いたらしい。


「ズルいなぁ、リョウくん」


 そうして、そんなセリフを俺に寄越してきた。


 何がですか――と言いたくもなったが、悪ノリをした引け目もある。


「ごめんね、悪ノリした」


 正直に言うのが正解だろうか。ウソを吐くよりは良いだろう。


「……お茶のお代わり、もらってくるね」


 そう言い残し、マナちゃんはちょっと慌てて部屋を出て行った。脛をテーブルにぶつけなくて良かった。


「ズルいよ。……ホントに」


 マナちゃんが自室を出て行った直後、まみちゃんはそう小さく呟いて軽く閉められた扉から目を背けた。




    〇





 時刻は18時を回りそうなくらい。


 勉強会自体は17時くらいまでやっていた――つもり。いや、ウソ。ある程度目標のラインには到達したあたりで駄弁りタイムが始まったから、勉強自体は16時くらいで終わっていたかもしれない。


 でも、大丈夫。すごく満足感があるから。


 ふたりをそれぞれのお家に送っていくということで、ウチのお母さんの運転で丁度リョウくんを彼の自宅前で降ろしたところだった。 


「さっきアナタ、『ふーん、ここがリョウくんのお家なんだー……』とか思ってたでしょ」


 リョウくんとお別れしてすぐ、お母さんがこんなことを訊いてきた。


「うん? ……んー、いや、何となく覚えてた」


「あ、そう?」


 お母さんは知らなかったはずだけど、あたしは記憶の片隅にあった。何せ1年間、幼稚園から帰る車中から見ていた光景だったから。リョウくんの案内で進む車から見える景色でだんだんと思い出せてくるから、ちょっと不思議な感覚だった。


「私は知らなかったなー」


「マミちゃん、バスじゃなかったんだもんね」


「あー、そっか。幼稚園の側って言ってたね」


 そこからマミちゃんの家までは思い出話。意外と細かい所まで記憶に残っているものもあったりするから驚く。何かしらの刺激で記憶が呼び起こされることがあるとはどこかで聞いた覚えがあったが、まさか自分にも――もしかしたらマミちゃんにも――当てはまっているとは思わなかった。


「うふふ……」


 ひとしきりマミちゃんと盛り上がっていたタイミングで、お母さんは何やら含みのある笑いを浮かべていた。


「ん? どしたの?」


「いやぁ……。ふたりとも、すごく楽しそうね、って思って」


「え? だって、楽しいもん。ね、マミちゃん?」


「うん」


「なら良かったわ」


 こんなに楽しいことなんて、きっと他にはない。


 それはきっとマミちゃんも同じで、恐らくは――。


「……感謝しなくちゃ、ね」


「…………そだね」


 折良く、車が止まった。



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