§1-6: 訳ありのブルジョワジー


 今日の放送局の活動が終わったのは午後4時。いつもならこの時間から放課後という頃合いなのでわりと違和感はあるが、そもそも今日は放課後の始まりが昼くらいだから仕方の無いところだった。


 他の部活動はまだまだ活動時間のようで、校舎内や敷地内には生徒の姿が多い。


 そして――。


「見られてるねえ……」


「ええ、まぁ」


 チラチラと周囲を見ながらつれがわ先輩が言う。


「有名税とかいう言葉は嫌いだが……、今の難波くんを見てるとまさにこれが『有名税』ってヤツなのかな」


「それは、……どうなんですかね」


 たつ先輩も苦笑いを浮かべるが、その辺について俺にはどうこう言う資格は無い気がする。


 ただ明らかにこれは運が悪かったと言えるのは、活動を終えて放送室エリアから出たところを体育会系っぽい上級生の男子に見られたことだった。その中のひとりに、俺が誰であってどういう人間なのかを知っているのが居て、それを周りに告げたくらいから、俺に対する風向きが狂った。


 そこからは悪夢。ウワサがウワサを呼んだ結果、俺はまたしてもとげとげとした視線のむしろの上に正座をさせられているような状態になっていた。


「さすがに刺してくるようなことは無いと思うけど……」


「いや、……どうかな」


「人聞きの悪いこと言わない」


 先輩らは半分くらい冗談めかして言うが、もう半分では忠告の意味を持たせていることはわかっていた。生憎だが、全員が全員お利口さんばかりの学校では無い。中には良からぬ者も紛れ込んでいることは否定できない。視線のいくつかにヤバさを含んでいるモノは確認済みだ。それがどういう毛色のヤバさなのかは、果たして俺が知るべきことなのだろうか。


「どうするの?」


「……タクシー呼びます」


「お、ブルジョワ」


「仕方ないんですよ」


 事情が事情だ。それに、が発生したときのためにいつでもクルマを呼べるようにしておけとは、色々な人から常々言われている。


「オレらはタクシー来るのを待ってればいいのかな?」


「助かります」


 話が早い。


「待ってる代わりに、相乗りしてもオッケー?」


「……イイでしょうっ」


「お、マジで?」


「みなさんは最寄り駅まで、って感じになりますけど」


「むしろ全然おっけー」


 その後、5分もせずにやってきたタクシーに乗り込む。先輩ふたりは学校最寄りのさくらおか駅で降りて行き、俺は自宅近くまで直行。敢えてそのまま家まで乗ったのは当然自宅まで付けられないようにするためだ。


 直接的に危害を加えられたわけではないのだが、とはいえ学校側に何かしらの通達を出してもいいのかもしれない。もちろん考えすぎという感じは否めない。だけれど実際、編入してきたふたりに何かがあってからでは学校側としてもマズいはずだ。


 幸いにして、良からぬ視線がここまでやってくることは無かった。




        〇




「ただいまー」


「おかえりー」


 同じ様なトーンで返事が飛んでくる。母は丁度晩ご飯の下拵えを始めたくらいのようで、BGM代わりにタブレットで流している映画はまだ序盤も序盤だった。キッチンに持ってこられるモノではあるが、余程のことがない限りレシピを表示させてもらえないタブレットの心境は如何に。


「意外と早かったね」


「まぁ、タクシー使ってきたから」


「大丈夫だった?」


「問題なし」


「そ」


 別な方面では問題が起きそうだったが。未然に防いだので『問題なし』でイイだろう。とりあえず制服を脱ぐ前に何か飲みたい。学校内でそこそこ飲み物は飲んでいたはずだが、帰路での妙な緊張感のせいか喉がカラカラだった。


「……あ。だったら、ちょっと買い物頼まれてくれる?」


「え」


 キッチンに足を踏み入れた瞬間、そんなことを言われる。思わずそのまま回れ右をしようとしたが、勢いよく肩を掴まれた。


 ――もう片方の手には、キラリと光る


「頼まれてくれる?」


「ハイっ」


「あら、ごめんなさい。そんなつもりは」


 それはただの脅しなんですよ、母上。




 そんなわざとらしくあからさまな脅迫とともに渡されたメモをポケットに突っ込んで、俺はいつものスーパーにやってきた。地下鉄駅とは地下通路で繋がっているので利便性は高いが、それだけにこの時間帯は当然混雑している。もう少し遠いところにある郊外型のショッピングモールであれば徐々に混まなくなってくるが、自転車くらいしか移動手段がない高校生ガキンチョには厳しい。


 だから俺に行かせたんだな、と思わなくも無い。今更だ。誰だって混雑は嫌いだし、ウチの母の場合はその傾向がかなり強いというだけのことなのだ。


 こっちも勝手知ったるナントヤラだ。注文のリストをざっと見て、だいたいのルート設定を脳内で完了。いちばん効率的に、かつ人混みを極力回避できるルートの探索は、恐らく下手なナビゲートシステムより早いと思う。こういうことは経験が何よりも重要なのだ。


「ま、そういう経験値までデータとして持たれたら敵うわけないんだけども……」


 そんな独り言をこっそりとぶちまけながら店内を進んでいく。母から渡された財布以外にも自分の財布も持ってきている。こっそりお菓子のひとつくらい買ってもバチは当たらないだろう――なんてことも思いながら。


 仕事終わりとか、あるいは俺と同じように学校帰りとか、そんなタイミングで寄る人が多くなって来始めようかという時間帯。何度か見たことのあるような人もいる。ちなみに、惣菜コーナーの担当になっているおばさまとはすっかり顔なじみだったりする――というか、何なら俺の幼少期くらいから知っている人もいる。困ったもんだ。


「あ! おーい、リョウくーん!」


「え? あ、ホントだー」


 ほら、今またこうして――…………。


 呼びかけ、られ、て――――?


「ん?」


 いや、明らかに今の声はおばさまのそれじゃない。ぶっちゃけたことを言うならば、もっと若い世代の――まさしく『女子』の声で――。


「部活、終わってたんだねー」


りょうせいくんもお買い物?」


「……ぅぇ?」


 振り向きざま、変な声が出た。声帯から漏れ出たと言っても良さそうな音。


 あっさりとした再会を果たしたその相手は、たかどうまなよつはしのふたりだった。


「……どしたの? なんか、狐につままれたような顔って感じ」


「いやぁ、そりゃあ……ねえ」


 言葉がまるで出てこない。至急台本かカンペを持ってきて欲しいと思った。


 ふたりとも一旦自宅へ戻った後らしく、今は私服姿だった。


 マナちゃんは白Tシャツにウエストリボンワイドパンツを合わせた爽やかな出で立ち。空の青さも引き立て役になりそうな装いだ。


 まみちゃんはボーダーのカットソーにゆったりとしたデニムパンツを合わせていて、またちょっと違った雰囲気の爽やかさがある。


 何というか、ドキッとしてしまう。


 さらに言えば、やはりふたりが放っている一般人とは違うオーラのようなモノに気付く人もいるらしく、何人かは通り過ぎざまにこちらを凝視していたりする。


 どうなんだろう、その辺り。何か配慮とかした方が良いのだろうか。


「とりあえず、それぞれ買うモノあるし……」


 動揺を取り繕うように俺は言う。そもそも陳列棚を近くにして立ち止まっているのもお客の邪魔になる。乳製品のエリアは丁度よく人が少ない。ここに居続けるのはさすがに身体が冷えてきそうだが、一時的に待避するくらいならいいだろう。


「あ、たしかにそうだね。邪魔になっちゃう」


「じゃあ、いっしょに……」


 そう言って、ふたりとも俺の両サイドを確保。


 あれ、そういう流れですか。薄らと期待していなくはなかったけれど。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る