§1-5: 放課後、いつもの光景


 校舎最上階である5階。生徒玄関に直接つながるセンターホールを特等席の位置で眺めることができるこの場所には、校内放送などを行うメインブースがある。要するにここが我々放送局の根城である。


 放送ブースの手前にはわりと広い空間がある。だいたいはこの部屋で練習や打ち合わせそしたり、あるいはダラダラとお菓子を食べたりしている。今日はすでに何人かの姿があった。


「こんにちはーっス」


「おおっ、ウワサをすれば!」


「……ッス」


 どう考えてもロクなウワサじゃないんだろうなぁ、と少し胃のあたりがキリついた気がしたが、気にしすぎてもこれまたロクなことにはならないのだろう。

 諦めて俺はお決まりになっている自分の席について、先ほど購買で買ってきたお茶を飲むことにした。


 俺が入るなり早速声をかけてきたのは、1学年上のたつそうろう先輩。放送局で制作するラジオドラマには欠かせない存在。合唱部との兼部をしているが、今日はこっちに来てくれたらしい。


「合唱部の合宿、お疲れさまです」


「いやいや、難波なんばくんよ。……オレのことはどーだってイイでしょ」


「……はぁ」


 何となく芝居がかった物言いをしてくるときは、やっぱりロクな場合じゃない。


「2年の間でもすっかり広まっているよ? 『全国区にその美声を轟かせた難波りょうせいなる高校1年生が、夏休み明けて早々に美人をふたりもはべらせていた』……という話がね」


「……イヤなウワサだ」


 物凄く曲解されている気しかしない。しかもその状態で『すっかり広まっている』なんて、地獄以外の何物でもなかった。


 ゲンナリしてため息をついていると、俺の肩をぽんぽんと叩いてくれる人。まるで慰めてくれているかのような――――。


「まぁまぁ、そう気を落とさないで。ね? オンナの敵さん?」


 ――あ、違う。これ、全然慰めとかじゃないわ。目が割と据わっている。同じく2年生のつれがわ先輩的には認められない事案らしい。そりゃあ『侍らせる』なんて言葉で話が広まっていてそれを真に受けたんだとしたら、そういう感情に至っても仕方ない――いや、そこで俺が折れたらダメだろう。


「大丈夫だって、難波くん」


「ん?」


 ちょっと懐かしい声が聞こえてきたと思えば、3年生の先輩――元局長であるじょうさくら先輩だった。夏休み明け1発目ということで遊びに来てくれたらしい。手には購買で買ってきたばかりのスナック菓子と飲み物があった。


「何がです? 九条先輩」


「そのウワサ、3年の間でもすっかり広まっているから」


「……それ、全っ然安心材料じゃないです。むしろめちゃめちゃに懸念材料です」


 もしかしたら俺も、今後夜道には充分すぎるほどに気を張らなければいけない立場になったのかもしれない。


 とりあえず身内の皆々様には、事実の誤認を解いてもらなわなければいけない。何かやましいことでもって侍らせているわけではないとか、短いながらも仲が良かった時期があったこととか、その辺の事情を説明する。

「いや、違うんですよ」から切り出した結果、最初の内は明らかに尋問のような雰囲気だったが、それは俺のミスなので反省。


「幼なじみか、なるほどねえ……」


 放送局内からえんの視線は消えた。これで納得してもらえなかったら、俺は残りの高校生活を針の筵で過ごすようなモノになるところだった。危ない、危ない。


「さらに質問が出てきたんだけど、イイかい?」


「……何でしょう」


 機嫌は良くなったようだが、まだどこかに黒い何かを携えているような気しかしない辰巳先輩が言う。


「アイドルと女優を幼なじみに持つには、一体どういう前世を過ごしたらいいんだ? 参考までに教えてくれないか?」


「……」


 ――知らんがな、そんなん。無茶言わんといてください。


 有名なアスリートだったかアーティストだったかは忘れたが、その人が幼なじみと結婚を発表したときには、お相手の人はどんな徳を積んできたんだろうとかネットで言われていたような気がするが、それと同系統の質問をまさか自分がされるとは思っても見なかった。


「……ちなみに、仮に俺がそれを知ってたとして、それを教えたとして、辰巳先輩はどうするつもりなんです?」


「当然、徳を積んで転生する予定サ」


「ンなこと、よくそんな爽やかに言い切れるね」


 俺より早く的確に完全に呆れたようにツッコミを飛ばしてくれたのは喜連川先輩だった。『敵』とまで言い放ってくださった喜連川先輩だったが、こちらも一応の納得はしてくれていた。俺の周りはそこまで敵だらけではないらしい。


「でも、少なくとも今の難波くんは一躍時の人ってことだよねえ」


 そう言って笑うのは九条先輩。大きく頷いたのは喜連川先輩だった。


「ですねえ。下級生の話で持ちきりになるなんて初めてですよ」


「え、マジですか」


「まぁ、当然男子連中の間で、とくに濃厚に」


「うへえ……」


 その内容なんて、確実にねたそねみに類するアレじゃあないか。


「ひとまずボディーガードを雇うのをオススメするよ」


「……え、そのレベルですか?」


「そのレベルじゃない?」


 冗談半分かと思いきや、喜連川先輩からのまさかのおう返しに本気度合いを悟る。


「オレでも雇うか?」


「遠慮しておきます」


「もったいないなぁ」


「辰巳先輩って腕っ節に自信ありました?」


「うーん……、無いねっ!」


「無い自信だけはある、と」


 まどろっこしい。


「基礎体力にはそこそこ自信あるけど、対戦となったら話は別だねえ」


「いや、イイです。一応自分の身は自分で守りますから」


「お、男らしい。格闘技に明るいの?」


「いえ、真っ先に金的を狙って……」


「あぁ……」


「何でそこで残念そうな顔するんですか」


 止めてください、喜連川先輩。そんな哀れむような目で俺を見ないでください。その視線を受けて喜ぶのは辰巳先輩とかごく一部だけですから。


「いやぁ……。だってさぁ、そんな自信満々な言い方されたら、あの迷探偵みたいな一本背負いのひとつでも喰らわせられるのかなぁとか思っちゃうでしょ」


「無茶言わないでくださいってば」


 あまり公にしていることではないが、こちらにもわりとのっぴきならない事情はあるのだ。


「いざとなったら、運動神経のカタマリみたいなヤツがクラスに居るんで、そいつを頼りますよ。そいつの方が……まだ信用できるんで」


「なーる?」


 チラッとだけ辰巳先輩に視線を送る。喜連川先輩もその視線をしっかりと察してくれた。視線の先の人は何やらスマホを取り出して、ニタニタ笑い始めてくれたおかげで全く気付いていなかった。ラッキーである。


「あぁ、そうそう」


 お菓子の差し入れを持ってきた九条先輩に椅子を持ってきたところで、その九条先輩が俺を見て何かを思い出したらしい。ここからは死角になっているところに何かを隠していたのか、その辺りをゴソゴソし始めた。


「ホントは休みのときに渡したかったんだけど、難波くんがいなかったり私が夏季講習行ってたりですれ違っちゃってて渡せなかったんだよね」


 九条先輩がそう言いながら持ってきてくれたのは、お菓子とのど飴と書籍がいくつか。


「『おめでとう』のお菓子と、『美声を大事にね』ののど飴と、『これからもがんばってね』の参考書。これ、引退した3年生から」


「え、マ、マジですかっ」


 なんというサプライズ。全くそんな話は聞いていなかったので、ただただ驚くしかなかった。


 本当は全員でここに来て盛大に祝いたかったそうだが、生憎他の先輩方は別の用事があったとのことで、九条先輩が代表して渡してくれたということだ。


「……ということで、ミッション・コンプリートな私はここらで退散なのだー」


「え、もうちょっとゆっくりしていってくれても」


「いやいや、受験生大変。これからの時期ますます大変」


「じゃあ……、これだけでも!」


 さっき買ってきたばかりのミネラルウォーターを渡す。まだわりと冷えていた。


「そんな! 悪いって」


「勉強中にでも飲んでください。俺はこっちいただきますから」


 机の上に置かれた大量の食べ物と飲み物を指せば、先輩も何とか納得してくれたらしい。時間も押しているようなので、俺がどうにか先輩を押し切ったとも言えそうだ。


 安心して先輩を送り出したところで、何となく感じる視線。


 その送り主は喜連川先輩。


「……ごめん、難波くん。やっぱり私は、キミが『女子を侍らせていた』説の方を信用しそうだよ」


「何でですか!」


 風評被害もいい加減にしてほしかった。



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