3

「それではアリサ様、また近いうちに」


 それから何度かギル様との逢瀬を重ねた。

 真面目で誠実、それでいて面白い人だという最初の印象が変わることは無く、彼となら結婚しても何も問題なさそうだと思うようになっていた。

 彼の方もそう思ってくれているのだろう、明日お父様が最終確認にいらっしゃるのがその証拠だ。

 そこでわたしも首を縦に振れば婚約は決定。15歳になったと同時に国王様の前で誓いを立て、式なりなんなりして夫婦になる。

 でも少し胸につかえるものを感じる、それはきっと私が持っていい感情じゃない。


「お嬢様、就寝前の紅茶をお持ち致しました」


 ノックの音と共にセシリーの声が聞こえる。チラッと時計を見る。もうこんな時間だったんですね……色々考えすぎました。

「どうぞ、待ってました」そう答えると、扉が開き彼女が入ってくる。

 そうしていつものように、紅茶の準備をする。とは言ってもわたしの部屋にはキッチンが付いているわけでは無いので作ってきたものを注いで終わりなのだが。


 そうして毎日のように見ている彼女の所作に、今日もわたしは見惚れる。


 セシリーはいつも通りだ。いつも通りじゃ無かったのはギル様に初めて会った時だけ。

 その日以降、いつも通りの職務にいつも通りの態度、何もかもいつも通りを演じようとしていた。

 だからわたしもいつも通りに勤めようとした、この気持ちを表に出さないように。


「明日は旦那様が帰ってこられますね」

「そうね、わたしがもうちょっと大人になれば、代わりに各地回れるようになるからお父様も家に帰ってきやすくなるのだけどね」

「そうなったらお嬢様が屋敷に帰ってこなくなりそうですね」

「ふふっ、そうなってもあなたはわたしの側にいてくれるんでしょ?」


「そうですね」と少し寂しそうに笑う。

 ……いつも通りならテンション高く『もちろんです!どこまでもお付き合いします!』っていうところでしょう?


「旦那様の御用ってなんなんでしょう、朝のうちには屋敷に戻られるらしいので大事な用な気もしますが」

「多分ですけれど、婚約の最終確認だと思いますよ。もう一月も経ってますから」

「……あぁなるほど。ギルバート様、お会いした時はいつも楽しそうにしてますし、お嬢様が大丈夫と答えればトントン拍子に進みそうですね」


 いつも通りを装って雑談をしていると準備が整ったみたいだ。わたしの前にソーサーとカップが置かれる。

 セシリーの紅茶を飲んで眠るとスッキリ眠れるんですよね。彼女のわたしを思う気持ち、それに包まれて眠れるから。

 そして紅茶を手に取り一口飲む。


『なんであんな男にお嬢様を取られなきゃならないの!わたしの方がずっとずっと前からお嬢様の事を愛しているのに!憎い……何もしていないのにお嬢様を自由にできるあいつが憎い……。殺してやる……』


 わたしの心が、セシリーの悪意に包まれる。

 カップとソーサーが地面に触れ割れる音が遠くに聞こえる。

 セシリーに声をかけられるがそれも遠くの出来事に聞こえる。

 彼女のこんな悪意に触れるのは初めてだった。いつも明るくて誰にでも優しい人、その深い裏の部分に初めて触れた。


『お嬢様もお嬢様でいっつもデレデレして!わたしがこんなにも思っているのに……!もうこのまま押し倒して、あなたに忘れられない傷をつけてやる……。アリサはいつだって思い出すんだ、わたしに傷つけられたことを。それってもうアリサがわたしの物になったみたいでいいですよね……ふふっ』

「セシリー、あなた……」


 わたしの肩を抱き、心配するセシリーに視線を向ける。

 その視線を受けた彼女は少したじろぎ。


「ち、違うんです……。わたしはそんなこと思ってない。違う、違う!」


 紅茶にこもってしまった思いに心当たりがあるのだろう、彼女は弁明をする。つまり弁明するということ、つまりこの心は本物なのだ。

 彼女はハッとしてわたしのそばから離れる。きっとこんな悪意をもった人間に触れられては怖がらせるだけだという彼女の気遣いだ。


「お嬢様、お願いしたいことがあります。わたしを解雇してください。こんなわたしはお嬢様の側にふさわしく、んっ!」


 セシリーの唇をわたしの唇で塞いだ。これ以上彼女の言葉を聞きたくなかった。

 必死に背伸びをしたわたしは彼女の唇の感触を楽しむ。前に抱きしめた時すごく柔らかかったですが、こんなところも柔らかいんですねあなたは。

 もっと楽しんでいたかったがセシリーに突き放される、背伸びをしていたわたしは少しバランスを崩してしまう。


「あっ、えっと申し訳ございません。でもこんなのんっ!」


 もう一度彼女の柔らかさを味わいたくてキスをする。

 また突き放されてしまうかと思ったが、バランスを崩したわたしを見たのもあって強く抵抗できないのだろう、少し肩を押すくらいの抵抗しかなかった。

 もしかしたら彼女もこの柔らかさを楽しんでいるのかもしれないが。


 ……どれくらいこうしていただろう。一瞬のような気もするしずっとしていたような気もする。

 どちらからともなく唇を離す、そこに唾液の橋が生まれ千切れる。

 セシリーの顔は真っ赤になって肩で息をしている。わたしもそうなのでしょうが。

 そんな惚けている彼女の手を引っ張り、ベッドに押し倒す。


「お嬢様、おやめくださいこんな……」

「静かにしてください」


 セシリーを静かにさせるため、その唇を奪う。

 さっきまでとは違って背伸びする必要もなくて彼女の唇を、舌を自由にできる。わたしは気持ちを伝えるように激しく力強くその口内を犯していく。

 そうして彼女の抵抗が弱くなったのを感じると、着ているメイド服を脱がしていく。やっぱり大きいですね……ずるい……。


「お嬢様なんでこんなこと……。慈悲だと言うならおやめください……」


 セシリーの1番柔らかい所を堪能していると、腕で顔を隠し、涙声でそんなことを言う。

 ……ここまでやっても分かりませんか、この鈍感。


「慈悲なんかじゃありません」

「えっと……ならどうして……?」

「わたしがあなたのことを愛しているからです」


「えっ……?」という声と共に顔を隠している腕を外してわたしの顔を見る。ちょうど顔で柔らかさを楽しんでいるところでした、恥ずかしい。

 一旦離れてベッドの上でセシリーと向き合う。あっ、服を正さないでください目の保養が。


「あなたは他人に気持ちを伝えるのは上手なのに、気持ちを受け取るのは下手くそなんですねこの鈍感」

「うぅ……ポンコツよりひどい気がします……」

「あなたの気持ちはいつも紅茶から受け取ってました。わたしのことを愛していると。でもそれに応えることはできませんでした」


 セシリーがわたしのことを愛していたことはわかってしまっていた。日に日に強くなる紅茶から伝わってくるその思いで。

 わたしもセシリーのことを愛してる、クラーラとの会話でそれを自覚できた。でも両思いだとしてもそれに応えることはできない。なぜならわたしは貴族だから。


「ギルバート様と結婚しても、子供を授かろうと、何があろうとわたしの持つこの気持ちは絶対に変わらなかったでしょう。でも、あなたの気持ちはきっと離れる。わたしなんかよりもっと良い人に出会えるだろうそう思ってました」

「そんなことありません!わたしもきっとお嬢様をずっと思い続けます」

「ふふっ、ありがとうございます。……今日あなたの紅茶を、気持ちを受け取って思いました。わたしの選択は逃げてるだけで、大切な人をずっと傷つけてたんだなって」


 誰かの物になるわたしのことなんてきっと忘れる。自分はこんなにも思っているのにその気持ちを無視するわたしのことなんてきっと嫌いになる。専属メイドとしてのあなたを遠くから見られたならそれでいい。そうやって逃げていた。

 でも違った。セシリーは自分の心を削ってでもわたしを愛してくれていた。だからこそきっとこのままじゃセシリーの心は壊れる、そしていつかわたしの前からいなくなる。そんなの絶対に嫌だ。


「もうこれ以上あなたの事を傷つけたくないんです。愛する人が傷ついていくところを見たくない!だからわたしは自分に正直になりましょう。貴族の責務も、国から与えられたわたしの役割も、全部投げ捨ててあなたを愛すことを誓います」


 そう言ってセシリーを抱きしめる。

 貴族の地位なんていらない、富なんてもういらない、あなたさえいればそれでいいんだって思いを存分にのせながら。


「わたしもお嬢様のことを愛しています。一生ついていきます、どんなところへだって」


 セシリーも強く抱きしめ返してくれる。


「セシリー、アリサって呼んでください」

「はいアリサ」


 唇を啄むようにキスをする。触れるだけのキスをしたわたしたちは顔を見合わせながら笑う。2人して恥ずかしいことを言い過ぎましたねって。


「セシリー?」

「なんですか?アリサ」

「さっきの続きしてもいいですか?」

「えっ……?えっ!?」

「というかもう我慢できません。失礼します」


 そう言ってセシリーの服を脱がせていく。きっと今日はもう眠れない。






 それからは忙しい日々だった。


 まず思いが通じ合った次の日の朝、クラーラにすごく怒られた。

 なぜなら朝食の時間になっても全く食堂に顔を出さない主従の2人が裸で抱き合いながらベッドで寝ていたからだ。

 セシリーは裸のまま正座させられて怒られ、わたしは着替えながら怒られた。多分セシリー史上1番辛いメイド長からの折檻だったと思う。


 そうして急ピッチの準備も整い、食堂に向かおうとしたわたしに。

「お嬢様、わたしはいつでもあなたの味方です。どんな時でも頼ってください」

 と声をかけられる。世界で1番頼りになる人が味方になりましたね。



 お父様との最終確認の時間、わたしは開口一番。

「婚約についてはお断りしようと思います。わたしはセシリーのことを愛しているので別の人と結婚することはできません」

 そう告げた。

 お父様はびっくりした顔をしたがいつもの表情に戻り

「貴族としての義務はどうする、場合によってはお前を家から追い出さなければならなくなる」と告げる。

 お父様がそうやって聞いてくることもわかっていたので

「今から15年以内にルビー家を告げる才能を持つものをわたしが育てます。我が国は今実力主義へと少しづつ変わってきています、それの先導者として我がルビー家が進みましょう。

 育たなければ……どこにでも嫁ぎましょう。何人でも子供を産みましょう。そのくらいの覚悟はあります」

 と自分の気持ちに気がついた時から考えていたことを答える。

 その答えに納得したのか、貴族としての顔は消え去り父の顔へと変わっていく。


「孫の顔は望めそうにないな」

「ごめんなさい、お父様」

「構わない、初めてアリサが私にワガママ言ってくれたんだ、ワガママに応えなきゃもうお父様って呼んでくれなさそうだからね。

 それに……娘が幸せならそれでいい。父としてはそれが1番だ」


 お父様の満面の笑みは初めて見たかもしれない。わたしは幸せ者ですね。




 散々迷惑をかけたギル様にはこちらから謝罪に訪問した。

 わたしに問題があり婚約はできないことを告げると。


「アリサ様の好きな人というのはあのセシリーというメイドでしょう?」


 とズバリ伝えられた。わたしは狼狽えながら「なぜそう思うのですか?」と聞くと。


「アリサ様、あのメイドの話をしている時すごく楽しそうでしたから。いつもは冷たい印象の中に暖かみのある人という感じでしたが、件のメイドの話をしてる時の貴女は、年相応の少女のようでした」


 わたしはそんなに分かりやすかったのかと頭を抱える。なんだかリズさんとかにもバレてそうな気がする。


「そういえば期限は15年でしたか。その期限までに継ぐものを育てられなかった時、結婚相手として立候補してもいいのでしょうか?」


 笑顔のギル様を見て少し背筋が冷える。

 なんだか恐ろしい人に目をつけられたみたいだ。

 でも教育機関の設立には協力してくれるらしい。ビジネスパートナーとしては優秀なんですが……。






「今日もお疲れ様でした、アリサ」


 就寝前、わたしはいつものようにセシリーの淹れる紅茶を待っていた。


「そのアリサって呼び方にも慣れてきましたね、セシリー」


 2人きりの時、セシリーはわたしの事をアリサと呼んでくれるようになっていた。なっていたというか毎日のようにわたしが強請ったわけですが。


「アリサが毎日言うからですよ。2人きりの時お嬢様って呼ばないでください、私たちは夫婦なんですからって」

 そう言いながらわたしの前にカップとソーサーを置く。一口飲んだ紅茶からはセシリーの優しい気持ちが伝わってくる。


「そういえばわたしとセシリー、どっちが夫でどっちが嫁になるんでしょう?」

「そうですね……わたしが年上なのでアリサが嫁でわたしが夫」

「わたしが夫ですね、セシリーに一家を支えてもらうってなってらすぐに傾きそうです」


「うぅ……アリサがいじめます」としょんぼりする。

 ちょっといじめ過ぎましたかね?そう思い紅茶を飲み干しセシリーにキスをする。

 唇を離した時、いつもそうやって誤魔化すんですからと非難の視線を受けるが無視をする。


「セシリー、紅茶のおかわりいただけますか?」

「承知いたしました、アリサ」


 これからわたしとセシリーには色々と苦難が待ち受けているだろう。女同士の恋愛で奇怪な目で見られるかもしれない。貴族の義務を放棄したことでやっかみを受けるかもしれない。

 でも大丈夫だと思う。わたし達の周りには支えてくれるたくさんの人がいる。


 それに何より、愛する魔女とその紅茶がある。


 だからきっとどんな困難も乗り越えられる。


 私を愛しているという強い気持ちがこもった紅茶のおかわりを飲みながら、そう思う。

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