2
書斎で2時間ほど時間を潰し予定通り中庭へと向かう。
そこにはどこからどう見てもガチガチに緊張している赤毛のメイドがいた。
……本当に紅茶をかけられたりしないといいのだけれど
「お、おお、お待ちしておりましたお嬢様!」
凄い緊張している。とにかく緊張している。
ディートハルトもクラーラも本当に彼女がわたしに必要だと思っているのだろうか、もしかして遊ばれているのでは……なんて不安がよぎる。
「そんなに緊張しなくても大丈夫です、そのままだと紅茶をかけられそうで不安になりますので。」
「も、申し訳ありません!ビシッとします!」
だ、ダメだ……紅茶かけられるくらいなら我慢しましょう……。
「それでは紅茶淹れますので少々お待ちください。」
ちょっと不慣れなカーテシーを披露しながら、紅茶の準備へと向かっていく。
紅茶が苦かったりくらいは我慢しようだとか、今日のケーキはいつもみたいに甘くて美味しそうだとか、そんな事を考えながらふとアリサの方を見たわたしは
その光景に息をのんだ。
カーテシーもろくに出来なかったのに
挨拶も緊張でまともに出来なかったのに
紅茶を淹れている姿は、ただただ美しかった。
「お嬢様?どうなされました?」
そう声をかけられ、わたしはハッとした。
今の光景はなんだったのだろう。もしかしたら夢でも見ていたのだろうか?
それ程に美しい、名画のような光景だった。
紅茶を注ぐだけじゃなく、全ての準備が洗練されている。目を離した一瞬で人が変わったのではなんて事を考える程に。
「失礼します。」
そうしてセシリーの作った紅茶がテーブルへと置かれる。
わたしは、すぐにカップを取った。
おやつの甘い物を食べ、その口の中を中和するように紅茶を飲みながら庭の花や、景色を楽しみ休息をとるのがわたしの楽しみ方だった。
そんないつもの行動を忘れるほど、目の前の紅茶に興味をひかれていた。
そして一口紅茶を飲んだ私は
何か心が温かい物に包まれたようなそんな感覚になった。
味も普段入れてもらっていた紅茶よりも確かにおいしい、けれどそれだけでは説明がつかない。
わたしのことを大切に思ってくれているそんな心が伝わってくるような……。
「あっ……」
「どうしました?セシリー?」
「いえ、えっと……お嬢様の笑顔を初めて見たなと思いまして……。」
わたしが……笑顔を……?
わたしのことを友達と思ってくれていた人間を平気で裏切り、証拠を集めるための道具として使い、
人の心が無いと面と向かって言われても表情一つ変えない人間に笑顔が……?
「いつも気なっていました。お嬢様は、なぜ笑わないようにしているのですか……?こんなにも笑顔がかわいらしいのに。」
わたしは感情を表に出さないようにしている……いや、するようになった。
なぜなのか、将来に感情など必要ないからだ。
わたしの家計は代々国内領主の不正を暴くそんな仕事についている。その仕事を引き継ぐ、そう意識したとき感情など必要ないのだと結論づけた。
証拠をつかむためなら他人の懐に平気で入り、簡単に裏切る。
お父様の笑ったところも……見た記憶がない。
きっとわたしと同じく感情を表に出さないようにしているのだ、同じ結論に至って……。
「笑わないようにしてるとはどういうことですか。」
「えっと、わたし、昔っから他人の感情には敏感なんです。この人は今日機嫌が悪そうだなとか、すごくうれしそうだなとか。」
セシリーは、わたしを笑顔にしたのが嬉しいのか楽し気な口調で、無邪気な笑顔を見せながら話し始めた。
「半年前、お嬢様に出会ったときこう思ったんです。無理して笑わないようにしてるなって。」
「人の心がない人間、わたしがそう言われてるのを知ってもですか。」
「当たり前です。むしろここで働かさせていただいてるうちに確信に変わりました。だってお嬢様はすごい優しい人でしたから。」
「優しい?わたしが?」
わたしは優しくなんてない、優しかったら友達を破滅の道に送ったりはしない。
優しかったら理由も聞かず不正をしたものを断罪したりしない。
優しかったら……感情を殺して生きることを許容したりなんてしない。
でも
「お嬢様はすごく優しいです。」
そう言い切った。
「お屋敷で働いてる人のことをいっつも気にかけていますし、
ディートハルトさんが中央に戻れるように働きかけもしてるってことも聞いてます。
クラーラさんも働きすぎをいっつも咎められるなんてことも言ってました。」
「それが自分の利益のためだとしても?」
「はい。」
真っ直ぐなセシリーの言葉を聞いたわたしは、顔と心を隠すかのように紅茶を一口飲んだ。
そしてまた心に紅茶から感情が伝わってくる。わたしを思うような、喜んでほしいようなそんな感情が。
「だからこの紅茶がチャンスだなって思ったんです。」
「チャンス……とは?」
「私、紅茶に思いを込められる魔女なんです!」
……えっと……魔女……?
紅茶を淹れる姿や、わたしに対して歩み寄ろうとする姿勢を見て、意外にしっかりしてるなんてことを思ってたけど、やっぱり天然な子なのだろうか。
うーん、評価を変えようと思っていたのだけれど……。
そんな反応に気づいたのか、メアリーは顔を真っ赤にしながら
「えええっと違うんです!クラーラさんとディートハルトさんに言われたんです!
あなたの紅茶は飲むと幸せになれる、魔法みたいな紅茶だって。だから魔女だって言っただけなんです!
お、お嬢様?そんなこいつ大丈夫か?みたいな顔はやめてください!
自分の事を魔女だって自称してるわけじゃないんです!他称なんです他称!自分で名乗っているわけではないんです、決して!
うーん……あれ……?でもあなたは魔女だ!って言われたわけじゃないですし、今自称してしまったのでは……?」
そんなことを早口でまくしたてる。
そのコロコロと変わる表情、わたしにわかってもらおうと必死に身振り手振りを使って弁明する姿、それが本当におかしくて。
「ふふふ、あはははは!」
大声を出して笑った。こんなに笑ったのは生まれて初めてだった。
美しい絵画のように紅茶を淹れる姿、わたしの本質を見抜く真剣な姿、それが崩れ落ちた今の姿。
その一連の流れがおかしくて仕方なかったのだ。
メアリーの「そんなに笑うなんてひどいですよ!お嬢様!」なんて抗議も聞こえていたが笑い声を止めることはできなかった。
そうして涙が出るほど笑った後、少し不満げな彼女にわたしはこう告げた。
「これからもよろしくお願いしますね、紅茶の魔女さん」
「えっ、あっ、えっと、こちらこそ全身全霊かけてお嬢様のお世話をさせていただきます!これからよろしくお願いします!」
これが、わたし氷結乙女アリサと、
わたしに笑顔をくれた、紅茶の魔法使いメアリーの始まりの物語。
◇
「今日も今日とて、野良犬ポンコツメイドと我らがお姫様は楽しそうにティータイムを楽しんでますねぇ。」
「ディートハルト様、その呼び名を本人に伝えるのはやめてくださいね。ショックで実家に帰ってしまいますから。」
中庭の見える部屋で紅茶を飲みながら休憩をしている2人。
その視線の先には主人のほとんど見たことの無い笑顔があった。
「あそこまで楽しそうだと、笑ってもらおうと努力してたのは無意味だったのかと思いますね。」
「あら、ディートハルト様は、自分が楽しむためにお嬢様をイラつかせようとしてるのかと思っておりました。」
まぁ9.5割くらいはそうですね、とおどけたように少し微笑みながら返す。
そんな言葉を聞き、クラーラがディートハルトを睨むがすぐに目線を中庭へと戻す。
「私達大人は、子供の成長を見守る事しかできないのかもしれませんね。」
そう寂しそうに呟く。
「そうですね……でも見守るだけではなく導くこともできるのかもしれません。」
導く、その言葉を聞き中庭に向けていた視線をディートハルトへと向ける。
「あの田舎者をメイドにしたのは旦那様、専属メイドにしたのはあなたでしょう?ポンコツメイドに嫉妬するのは恥ずかしいですよ、メイド長様?」
クラーラはディートハルトの無駄な付け足しに、
「嫉妬なんてしてません。」とピシッと返す。
「それに、あなたの想いが分からないほど、我らがお姫様は鈍感ではありませんよ。」
「そうだといいのですが。」と答えたクラーラの顔は先程までの憂いは無く、少し嬉しげだった。
「それでは私は仕事に戻らせていただきます。」
「紅茶ありがとうございました。」そう言いながらディートハルトは立ち上がる。
「休憩はもういいんですか?いつもはもっとゆっくりしてらっしゃるのに。」
「お姫様の嫌がらせのせいで忙しいのですよ。初めて課題を遅れて提出したので弄り倒してやろうかと思ってたのですが……。あんなものを提出してくるとは。」
嫌そうな顔をするディートハルトの視線の先には大量の紙の束。その1ページ目には、『セシリーを専属メイドとして仕えさせる事の考察』と書かれている。
お姫様にも反抗期がきましたかね。と呟くその顔は少し嬉しげだった。
2人を導く2人の大人は幸せそうにその行く末を見守っている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます