第32話
朝のホームルームが始まる五分前。
担任との面談は予想外に早く終わり、小走りでクラスへ戻る。
「「「——」」」
ふと、教室の扉を開けようとした手が止まる。やけに中が騒がしい。男女数人の笑い声が聞こえる。何回も手を叩く音も聞こえた。
不審に思った俺は勢いよく扉を開ける。
「——藤春、さん?」
扉を開けると、視界の先には床に倒れ込む海凪の姿。彼女のすぐ傍にはビリビリに破かれたノートと逆さまになった椅子が転がっている。
「藤春さん、大丈夫ですか?」
俺は慌てて海凪の元へ駆け寄る。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ——」
顔は赤くなって息苦しそうに呼吸している。呼吸の速さも尋常じゃない。胸が上下に激しく動く。背中はかなり汗ばんでいて、危険な状態であることを示す。
「藤春さん‼」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ——」
「俺の声は聞こえますか?」
海凪の耳にちゃんと届くようにゆっくりとハッキリとした口調で話しかける。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ——」
海凪は首を縦に振り応答する。意識は辛うじてあるようだ。
「藤春さんに何したんですか?」
海凪から視線を外し、カカシのように突っ立っている傍観者を睨みつける。
「私たちは何もしてないわよ。ソイツが勝手に倒れたの」
「そ、そうそう。急だったからビックリしたよ」
白々しくそう答える。
「じゃあ、このノートはなんですか⁉」
無能なカカシたちにボロボロになったノートを投げつけてやる。ノートの中身は汚い字で「死ね」と書かれてあった。進学校であるまじき悪質で幼稚な虐めだ。
「オ、オレは知らねぇよ」
「ボクも知らない」
「てか、佐々木の仕業だろ?」
「私は絶対にやってない」
「でも、藤春のこといつも虐めてんのって佐々木だよな?」
「今回はマジでやってない。神に誓って言える」
醜い犯人捜しが始まる。お互いに無実を証明し合い相手に責任転嫁する。人間の醜悪な部分がここに凝縮されている。
「犯人は一人じゃない。苦しんでいる姿を目の前にして一歩も動けなかったここにいる全員ですよ」
「「「うっ……」」」
ぐうの音も出ない感じで数人唸る。己のプライドを傷つけられ、悔しそうに表情を歪ませ唇を嚙み締めた。
「俺はすぐに藤春さんを保健室につれて行くので、その旨を先生に伝えておいてください」
「「「——」」」
返事はなし。ほとんどのヤツが気まずそうにそっぽを向く。とことん使えない連中だ。頭は良くても中身が終わっている。たとえ、一流企業に就職できたとしても先は明るくないだろう。
「桐島クン。ウチから先生に伝えておくよ」
クラスのギャル委員長がそう答えてくれた。この人もあまり信じていないが、まだ他の連中よりかはマシな性格をしているのかもしれない。
「藤春さん、歩けそうですか?」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ——。なんとか、ね」
俺の支えは必要だが、ギリギリ二本足で立てるようだ。
「いつも迷惑かけてゴメン……」
「いえいえ。これぐらい彼氏として普通です」
ふらついてこけないように、しっかり肩を持ってあげる。
お姫様抱っこを提案したが、「恥ずかしいからやめて」と却下された。
「ウチも手伝った方がいい?」
「いえ、委員長は教室に残っておいてください」
今更心配になったのか委員長が俺のサポートに入ろうとするが、一人で充分なので断る。
なんとなく委員長の顔色も悪く見えたのは気のせいだろうか。
◆◆◆
保健室に行くと、いつもはいないはずの保健室の先生が出迎えてくれた。
手際のいい処置の下、無事に呼吸が安定した。顔色はだいぶ良くなり、気持ち良さそうにベッドに横たわる。
「軽い過呼吸になったみたい。今日は安静にした方が良さそうね」
思春期から二十代の若い女性に多い症状だと聞いたことがある。過呼吸になる要因として激しい運動や疲労、発熱などが挙げられるが恐らく、海凪の場合は過度なストレスによるものだろう。
「貴方、ひょっとして藤春さんの彼氏さん?」
「はい、藤春さんの彼氏です」
「あんま堂々と彼氏宣言するな。なんか恥ずい」
「あらあら初々しいね」と保健室の先生に肩をぽんぽんと叩かれた。そして、ベッドの隅で小さくなる海凪にニンマリ顔を向ける。
「藤春さんはよく過呼吸になるの。ちゃんとこれからも見てあげてね」
「はい、分かりました!」
「余計なお世話よ」
ケタケタと愉快に笑う保健室の先生を海凪は鋭い目つきで睨みつける。この二人は結構仲が良さそうだ。それだけ海凪が日頃から保健室に訪れていることが分かる。
「俺が彼女を守らないと」
自分の拳を握り締め、改めて気持ちを引き締め直した。
まだ転校初日の俺、クラスで孤立している元イジメっ子に一目惚れして告白した 石油王 @ryohei0801
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