第29話
早朝の五時。
重たい瞼を擦りつつ、ベッドから起き上がる。
「気晴らしに藤春さんの朝練、見に行くか……」
眠気を覚ましてくれるのはマイエンジェルしかいない。俺は初めて海凪の朝練を見に行くことにした。
早く朝ご飯を食べ、手際よく二人分の弁当を作ってから家を出る。
「——さむっ!」
夏とはいえ朝日が出て間もない時間帯。半袖カッターシャツでは少し肌寒い。
一応、晴凪に監視されてないか周りを確認しながら学校に向かう。
「藤春さん、おはようございます!」
「お、おはよう……」
何事もなく学校へ到着。グランドを見ると海凪が走っていたので、声をかける。
「アンタが朝練に来るなんて初めてじゃない。どうしたの?」
「いや〜、なんか無性に可愛い顔を拝みたくて、朝早くに来ちゃいました」
「なんじゃそりゃ。キモイ」
「今日も“キモイ”頂きました!ありがとうございます‼」
「罵倒されて喜ぶな、キショイ」
「なんと“キショイ”も頂きました!これは嬉しい‼」
「朝からそのテンション、マジでキツイ。早く教室に帰れ、ヘンタイ」
朝陽に照らされたグランドに響き渡る夫婦漫才。仲睦まじく切っても切れないカップル愛を青空に見せつける。
「藤春せんぱ〜い。そこでやってるんですか〜?」
海凪と話していると、遠くの方に人影を発見。人影はこちらに手を振って走ってくる。
目を細めて人影の正体を確認する。
「もう! 私を置いて先に朝練始めないでくださいよぉ!」
「ああ、ごめん、"涼花"」
「涼花!?」
人影の正体はなんと家に引きこもっていたはずの水戸涼花だった。体力が落ちているのにも関わらず、まあまあのスピードでこちらに走ってきた。
「はぁ、はぁ、はぁ——」
あっという間に俺たちの元へ辿り着き、息を切らして顎から垂れる汗を拭う。
彼女の服装は海凪と同様、陸上部のユニフォームを着用している。
「水戸さんが何故ここに?」
「朝練しに来ました」
「でも、学校に行けないんじゃ……」
「もう不登校は辞めました」
ニカッと綺麗な歯を見せて、元気よくサムズアップ。身も心も快調であることを示す。
「藤春さんとは仲直り出来たんですね」
「仲直り――? そもそも仲が悪くなった覚えはありませんが?」
「あ、そうなんだ」
息を整えたあと、涼花は海凪の後ろに回り勢いよく抱きつく。突然、後ろから抱きつかれた海凪は「ウェッ」と短く唸る。
「私たちはずっと仲良しですよね、藤春先輩?」
「う、うん」
やたらとテンションが高い涼花に海凪は戸惑い気味である。
首に腕を回されてるせいでプロレスの絞め技みたいになっている。ちょっと苦しそう。
「——涼花、距離間近くない?」
「え? 前もこのぐらいの距離で先輩と喋ってませんでした?」
「いや、ここまで近くなかったと思うけど」
涼花はあっけらかんとした表情で海凪を自分の方へと抱き寄せていく。海凪は必死にもがいて涼花に抵抗するが、僅差で力負けしている。
「ちょっと涼花、近づき過ぎ! 暑いから離れて!」
「つれないこと言わないでくださいよ。全然、近くないですよ」
「ホント近い! 彼氏の前でやめて」
「やめません♡」
「ひゃっ⁉」
抱き寄せるだけでは我慢できず、半ばおんぶする形で海凪の背中に乗っかる。
いつも落ち着いているイメージがある涼花が珍しく、わんぱくな女の子になっていた。まだ見たことなかった無邪気な笑顔で嫌がる玖音とじゃれ合う。
「先輩、好き。メチャクチャ好きです」
「分かったから取り敢えず離れて」
「外見、中身、匂い——。全て大好きです」
「うんうん」
「ああ♡ 先輩のお美しい体を余すことなく舐め回したい……」
「こら、舐めようとするな!」
「痛っ‼」
過剰なイチャイチャに耐えかねた海凪はへばりついてくる涼花に容赦ないデコピンをお見舞いする。涼花はデコを抑えて地べたで悶絶する。
「アンタもずっと突っ立てないで助けてよ!」
涼花を振りほどくと同時に呆然と立ち尽くす俺に向かって声を荒げる。
「私の彼氏のくせに何やってんの!」
「す、すみません」
すっかり二人の生々しいスキンシップに目を奪われていた。多少は嫉妬して途中で二人の間に割って入ろうとしたが、それ以上に興奮を覚えて体が動かなかった。彼氏が見てる傍で彼女が同姓の後輩に寝取られるシチュエーションなんて見たことも聞いたこともない。危うく新たな性癖が開花しそうになった。
「アンタ、本当に涼花なのよね?」
「私は他人の女を盗む泥棒猫だニャン」
「感情が籠ってない声で“ニャン”とか言わないで。ちょっと怖い」
海凪は困り顔で頭を抱える。その横で涼花は吞気に両手を使って猫のポーズを作る。不覚にもその姿が可愛くてドギマギする。
「後輩に鼻の下を伸ばすな、バカ‼」
「イテッ⁉」
涼花に見惚れているのがバレて脇腹をどつかれた。
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