第28話
「——大きな過ちってなんですか?」
「男よ」
晴凪の三日月の目がほんの少し開く。間延びした声もいつの間にか消えていた。
「大学生で初めて彼氏ができたんだ」
「それって、今の旦那さんですか?」
「うん。正確にいえば“元”旦那だけど」
そう言ってニコッと笑う。口角は辛うじて上がっているが、目が据わっていて怖い。先刻までの穏やかさは霧散し、辺りに不穏な空気が流れる。
「——離婚、ですか?」
「うん。つい先日ね。原因は浮気」
海凪から結婚の話は聞いていたが、離婚の話は聞かされていない。ひょっとしたら、この事はまだ海凪にも言ってないのかもしれない。
反応に困る話題に俺はどうしていいか分からず、黙ったまま窓の外に視線をやる。
「あの子が誰かに甘えないといけない時期に私は男に現を抜かしてた——。まったく酷い話よね。我ながら呆れる」
空っぽになったグラスを見つめ、鼻で笑う。いつもと違う雰囲気に身体が強張る。
「元旦那は桐島クンとよく似てた」
「お、おれに⁉」
浮気男に似ていると言われ、あからさまに肩を落とす。俺って傍から見たら、軽そうに見えるのか!?
「女の子が弱っているところに突然、現れた救世主。いつも歯の浮くようなセリフを吐いてキザったらしいヤツ。私が両親にどうやって復讐するかとかどうやったら海凪ちゃんを幸せにできるかとか色々悩んでいるときに手を差し伸べてきたのが彼だった——」
元旦那は晴凪の二つ上の先輩。筋骨隆々で頼り甲斐のある人物。困っている人を見かければ、躊躇なく救いの手を差し伸べる人格者。とにかく正義感が溢れるカッコイイ男だったらしい。
「貞操が固い普段の私なら絶対に靡かないんだけど、口説き文句で妹を一緒に救おうとか言われたら冷静な判断ができなくなっちゃって――」
「すぐに告白をオーケーしたと?」
「そう」
晴凪曰く、元旦那は女性の弱みにつけ込むのが相当上手かったようだ。まんまと騙された晴凪は彼に流されるまま籍を入れ、駆け落ちした。
緊急でボロアパートの部屋を借りて同棲を始めたものの、一向に妹を助けてくれる気配がない。昼間は大学にも行かずに酒ばっかり飲んで、夜は無理やりベッドに連れ込もうとする。毎日その繰り返し。
終いには他の女と不倫していることが発覚し、すぐに離婚届を役所に提出した。俗に言うスピード離婚というヤツだ。
「ホント愚かだわ。過去の私を呪いたい」
手に持ったていたグラスが割れそうなぐらい強く握る。中に入っている氷がカタカタと音を立てて震えている。
「男は所詮、身体目的で女に近づいてくる"エロガキ"。今回の件で身に染みて感じたわ」
「別にみんながみんなそういう訳では――」
「桐島クンもそうでしょ?」
「――え?」
突然、鋭い眼光がこちらに向けられる。獲物に威嚇する猛獣のような殺気を感じ取る。
「桐島クンから元旦那と同じ匂いがプンプンするの〜。な~んか、胡散臭いんだよねぇ~。気のせいかな〜?」
「気のせいですよ。俺は本当に藤春――海凪さんのことを愛しています!」
「でもそれって一目惚れでしょ?」
「最初こそ一目惚れでしたが、彼女と行動を共にするようになってちゃんと中身も好きになりました」
「ちょ〜嘘くさい」
もう一度、笑顔を取り繕うがイライラが隠し切れてない。人差し指で机をコンコンと小刻みに叩いて、威圧してくる。
「昨日、海凪ちゃんは貴方に任せるとか言ってませんでした?」
「あんなのウソに決まってるじゃない。貴方のような人間に大事な妹を任せるわけがないでしょ。ちゃんと桐島クンの家のベランダで監視していました〜♪」
「え、え、えぇ……?」
監視――?
監視ってなに? 近くにいたのか。てか、勝手に人の敷地内に侵入してたのか!?
「海凪ちゃんの居場所は常にスマホのGPSが追跡してくれてるからすぐ分かるんだ〜。ちなみにキミと電話してた時には既にベランダにいたよ〜」
全然気づかなかった。当時、俺と海凪以外の人の気配は一切感じなかった。今一度、防犯対策を見直さないといけない。
「私が男にかまけたせいで、海凪ちゃんに寂しい思いをさせた。しかも、虐めに手を染めてしまったのも私が原因。私がもっと可愛がってあげていたら、こうならず済んだ」
「——あの~、お姉さん?」
「私が犯した罪は大きい。早く海凪ちゃんの失った時間を私が取り戻さないといけない。海凪ちゃんは私が守らないといけない。誰にもあの子を渡したくない——」
「しっかりしてください。俺の声聞こえてますか?」
何かブツブツと呟き始め、俺を置いて自分の世界に入る。目のハイライトが消え、表一切の感情を排した顔。何かに取りつかれたような狂人に様変わり。
今の晴凪は自責の念が拗れて、平静を失っている。
「——ていうのは、うっそー」
「は?」
このまま暴走するかと思いきや、また聖母のような笑顔に戻った。
「ごめん。今のはただの猿芝居。一応、浮気しないように釘をさしただけ」
「そ、そうだったんですか。安心しました……」
猿芝居にしては大物女優並みの鬼気迫る名演技だった。
彼女の名演技にすっかり騙されていた俺は危うくみっともなくチビりかけた。
「今更、あの子が決めた運命に私がとやかく言う資格はない。それに貴方は元夫とは似ているようで違う。一見、軽薄そうだけ意外にちゃんと芯のある人だって分かった」
「ホ、ホントですか⁉」
「歯の浮くようなセリフは吐くし、キザったらしいけど、貴方の言葉に噓はない。元夫とは比べ物にならないナイスガイな彼氏だよ。妹が果報者で羨ましいわ」
「そこまで褒められるとなんか照れますね……」
俺は後頭部をかいて伏し目がちに「ありがとうございます」と感謝を告げる。
だらしなく口角が緩み、顔を熱くさせ頬を赤らめる。
「話は終わりですか?」
「うん。今日はほんとゴメンね。私のくだらない過去話を聴かせちゃって」
「いえいえ。お姉さんのお話を聞いて、より藤春さんを思う気持ちが強まりました。俺のために貴重なお時間を割いていただきありがとうございました‼」
「そんな仰々しくお礼なんかしなくていいのに。この場に呼んだのは私だし」
それでも感謝の気持ちは忘れない。
何度も頭を下げつつ、椅子から立ち上がる。
「これから、妹のことよろしくね」
「はい。この先、この肉体が滅びようとも愛して愛して愛しまくります‼」
「もし、妹を悲しませようなことをしたら、ただじゃ置かないから。くれぐれも大事にしてあげてね」
「は、はい……、気を付けます……」
「あと昨日、貴方の家の敷地内に侵入したのはホントだから」
「ひっ……⁉」
最後に恐怖を植え付けてきた。またも不穏な感情が頭をもたげる。
あの猿芝居は全部がウソではなかったのか。心なしか晴凪の笑顔から狂気を感じる。
俺はゴクリと唾を飲み込み、店を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます