第27話 (晴凪の過去)

私が五歳の時。都内の病院で妹は産まれた。病室中に響き渡る声量で産声を上げ続ける元気な赤ちゃん。私と同じく夏生まれということで夏っぽく女の子らしい“海凪”と名前を付けられた。

初めて出来た妹に私は大はしゃぎ。毎日、保育園から帰ってくるなり妹の顔を拝みに行っていた。

両親は当然、可愛い妹に付きっきり。大量のおもちゃを買って嬉しそうに我が子をあやしていた。


『ママ、抱っこ抱っこ——』


妹が二歳の誕生日を迎えた日。初めて言葉を喋った。他の赤ちゃんと比べて話し始める時期が遅め。心配になった両親はかかりつけ医に相談。脳に障害はなく至って健康体。そこまで心配しなくても大丈夫だと診断が出ても、両親の顔はずっと曇っていた。恐らくこの時から私と妹を比べ始めていたのだろう。

私は生まれて九か月ほどで言葉を喋っていた。歩き出したのはその三ヶ月後。それと比べて妹はどちらも二年ほどかかった。明らかに人より成長速度が遅い。優秀な子どもを求めていた両親は日に日に妹を見る目が冷たくなっていった。


『ママ、おんぶして——。パパ、遊んで』


妹が五歳になった日。両親の妹に対する愛情はすっかり冷え切っていた。妹の要望にはほとんど応えない。両親の愛情は全て優秀な私へ注がれていた。

妹はただ生かされているだけ。本当に血のつながった家族なのかと疑うレベル。常識では考えれないような光景が広がっていた。

姉の私はというと、五年前と変わらず妹を愛し続けていた。むしろ両親が可愛がらない分、愛がどんどん増していっていつの間にか過保護になっていた。保育園で妹を泣かせたガキ大将を裏でボコボコにしたことがある。ソイツは身体的、精神的に大きなダメージを負い、完全に立ち直るのにかなり年月を費やしたようだ。

妹を苦しめるヤツは絶対に許さない。それは両親も例外ではなかった。

ちょうど思春期真っ只中の時。妹を邪険に扱う恨みが募り何度、台所のナイフを握ったことか。両親に殺意を抱くのは日常茶飯事だった。


『おねえちゃん……痛い』


妹が晴れて小学校に入学した日。足と顔に小さな痣ができていた。痣の部分を抑えてひたすら泣きじゃくる妹。最初はどこかでこけてできた痣だと思っていた。でも、毎日毎日痣が増えていくのを見て、さすがに違和感を感じた。


『海凪ちゃん。この痣、誰に付けられたの?』


痣に湿布を貼ってあげている最中。大事な妹に痣を作りやがった犯人を特定しようとと問い質すが、妹はしきりに首を横に振るだけで何も教えてくれない。昔、ガキ大将をボコったのがバレたのか。それとも、言いにくい相手なのか——。理由は分からないが、妹は黙秘を貫いた。

私はそれがショックだった。

まだ妹に信用されていないんだ。まだ妹の中ではあのクソ両親と同じポジションにいるんだ——。悔しさのあまり幾度なく机に頭を叩き付け、よくたんこぶを作っていた。


何も進展がないまま、妹は小学校を卒業。結局、私に頼ってくれることはなかった。それどころか私を警戒して、避けるようになっていた。海凪ちゃんと名前を呼ぶだけでビクッと怯えた表情をする。たった数年で随分と嫌われたものだ。


『——お姉ちゃん、ちょっといい?』


妹が中二に上がってすぐぐらい。ある日の晩、私の部屋の扉をノックしてきた。妹から話しかけに来るなんて何年ぶりだろうか。突然の来訪に動揺を隠し切れない。


『——』


扉を開けると、身体中痣だらけになった妹が突っ立ていた。衝撃が強すぎて、私は暫く眩暈を起こす。


『——お姉ちゃん、私って要らない子なのかな』


顔を合わせるや否や、そんなことを言う。勿論、私は強く否定した。


『——実は私、小学校の時からずっとお母さんとお父さんに殴られてるの」


なんの前触れもなくストレートにそう告げられた。あまりに衝撃的な事実に一瞬、耳を疑う。

確かにうちの両親は救いようのないクズ人間だ。しかし私の前では妹に暴力を振るっている様子はなかった。ただ冷たく接しているだけだと勘違いしていた。


『——お前は姉と比べて無能だ。俺はこんな子を産んだ覚えがない。藤春家の恥だっていつも𠮟られちゃう』


今にも泣きそうな顔で告げられる両親の悪行の数々。アイツらは表ではハリボテの笑顔を作って私に優しく接していたくせに、裏では妹をストレスの捌け口として傷つけていやがった。これは躾を通り越してただの暴力だ。夫婦仲が良くないからといって、自分の娘に八つ当たりするなんて許せない。

妹が私に怯えていたのは、両親と同じように本性を露わにして暴力を振るってくるのではないかと勘ぐっていたかららしい。


『——今までよく頑張った』


目を腫らした妹をそっと抱き寄せ、頭を優しく撫でる。お互いの鼓動が心地よくリズムを刻んで伝わってくる。


『——海凪ちゃんは私だけで充分。苦しいときがあったら、お姉ちゃんにいっぱい甘えていいんだよ』


妹は私の胸の中で声を上げて泣いていた。おかげで着ていたTシャツはベショ濡れ。ついでに鼻水も付いていた。でも不思議と嫌な気持ちはしなかった。

やっと妹が頼ってくれたという喜びと妹を散々傷つけた両親への怒りが同時に込み上げ、自分を奮い立たせた。

ここでカッコよく妹を助けたら姉妹の仲はより深まり、永遠の姉妹愛が形成される——。今、思い返せば後先考えずに浮かれていたと反省している。物事を軽く捉え過ぎていた。

まさかこの数年後、自分が大きな過ちを犯すことになるとは思わなかった。





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