第24話

《藤春海凪サイド》


涼花の家の前。いつもとは違う心持ちでインターフォンの前に立つ。


「——くっ」


手が震えて中々インターフォンを鳴らせない。こんなに緊張したのは、初めて涼花の家に謝りに行って以来だ。


「ふぅ……」


呼吸を整えて心を落ち着かせる。今回は菓子折りの美味しいケーキがないため、ご機嫌を取ってもらうのが難しい。彼女を怒らせたらどうしようと不安ばかりが募る。


「——藤春先輩、そこでなにしてるんですか?」

「あ、涼花、さん……。こんにちは」


玄関からジャージ姿の涼花が登場。運悪く哀れに狼狽えている姿を見られてしまった。

反射的に歯切れ悪く挨拶する。


「ちょ、今日、ラインで来るとか聞かされてないんですが⁉」

「あ、そうだった。ゴメン」


涼花はボサボサの髪を慌てて隠して眉尻に涙を浮かべる。いつもの淑女然とした佇まいではなく、年相応のだらしない女子高生が目の前にいる。


「こんな姿をよりにもよって先輩に見られるとは……。とても恥ずかしいです」

「事前に伝えなかった私が悪かったわ。ゴメンなさい」

「もうそんな事でいちいち謝らないでください!なんか恥ずかしさが倍増します‼」


涼花は赤面して両手を振る。醜態(ジャージ姿)を晒したことを気に病んでいるらしい。

私としては初めて涼花のオフモードが見れて、少し緊張が解れた。

彼女は私と絡むときはおっちょこちょいな後輩を演じているが、他の場所では品行方正で完璧なお嬢様であることをよく知っている。決して天才ではなく陰の努力は欠かせない。でも、ちゃんと陰の努力に見合った才能を発揮している。表に出るときは一切隙がなく近寄りがたい。私とは真逆の存在。雲の上の存在と言っても過言ではない。

今日は今まで見せなかった隙を垣間見ることができて、ちょっと嬉しい。妙に親近感が湧いた。


「——藤春先輩、急にボーっとしちゃって大丈夫ですか? 体調が悪いのならまた日を改めて、来てもらっても構いませんよ」

「ううん。ちょっと考え事してただけだから安心して」


常に近くいるからこそ涼花が遠くの人に見える。

私は知らないうちに彼女を憧憬の対象として接していたのかもしれない。


「どうぞ、外は暑いですから早く中に入ってください。冷房はガンガンに効いてますよ」


ご丁寧に玄関の扉を全開にして、こんな私を出迎えてくれる。いつもながら不思議な光景だ。

どうして自分を虐めていたヤツをこんなにも手厚く家にもてなしてくれるのか謎だ。


「お邪魔します」


涼花の家に来た時のルーティン。まず家に入る前に腰を四十五度に曲げ、丁寧にお辞儀。謝罪と感謝の意を忘れず家の敷居を跨がせてもらう。


「——先輩、もう普通に入ってもらった方が有り難いのですが」

「迷惑だった?」

「迷惑というか、なんというか……。真面目過ぎてやりにくいです」


言いにくいそうに涼花は本音を漏らす。


「ゴメンなさい」

「そうやって事あるごとに謝るのもやめてください」

「ゴメ……。言わないように気を付ける」


すっかり謝るのが板について口癖になってしまった。どうしても涼花を目の前にすると申し訳なさが募って、勝手に頭が下がってしまう。

今まで良かれと思って頭を下げ続けていたが、涼花からするとありがた迷惑だったようだ。却って変に気を遣わせていた。そもそも謝罪を安売りするのはあまり印象が良くない。取り敢えず謝れば許されるだろうという甘い考えが相手に伝わってしまう。今度から気を付けよう。


「どうぞ、そちらのソファーに腰をかけてお待ちください」

「いや、私は立ったままでもだいじょ——」

「この押し問答、毎回やってますよね。いい加減家主が座れといったら素直に座ってください」

「はい——」


涼花に軽く𠮟られ、渋々リビングにあるソファーに腰を下ろす。

ここのソファーはやたらと下に沈む。普通に座るだけで横柄な王様みたいな態勢になってしまう。座り心地は最高だが居心地は最悪。全然、落ち着かない。


「冷たいお茶、お持ちしますね」


私がちゃんと座ったのを確認してからお茶を汲みに行く。猫舌な私のために毎回、冷たいお茶を準備してくれる。ほんとに申し訳ない。


「麦茶お持ちしました!」

「ありがと」


涼花は私といるときはいつも元気溌剌。色々あった今でもそれは変わらない。いつ会っても暗い表情を一切見せない。ここ数日学校に行けてない引きこもりとは思えないほどハイテンション。


「今日はケーキないんですか?」

「残念だけど買ってきてない。もしかして欲しかった?」

「いえいえ、そんな事は……ジュル」

「食べたかったのね」


口では否定するもののよだれが垂れかけた。素直で可愛い後輩だ。


「その代わりと言ってはあれだけど、勇磨クンからこれ預かってきたわ」

「―それ、昨日貸してあげた折り畳み傘ですね!わざわざ返さなくても良かったのに」


カバンの中から花柄の傘を取り出し、彼女に渡す。

さて、ここからが本番だ。


「涼花」

「は、はひっ⁉」

「なにその声?」

「いや、久しぶりに下の名前で呼び捨てされたのでビックリしたんです」


涼花の頓狂な声に思わず体がビクッとなる。

そう云えば、最近は“水戸さん”とか“涼花さん”など敬称で呼んでいた気がする。以前のようにフランクに喋れなくなり、どうしても他人行儀になってしまう。無意識に涼花との間に分厚い壁を作っていた。


「急に改まってどうしたんです?」

「その、えっと、それは——」


緊張で上手く言葉が出ない。事前に考えていたことが頭からスッポリと抜け、真っ白になる。


「ゆっくりでいいですよ」


穏やかな笑みを作り、私を落ち着かせようしてくれる。後輩の方が圧倒的に年上の余裕を感じる。つくづく私は頼りない先輩だ。

実力で勝てないのならせめて、私生活ぐらいは先輩の威厳を保たないといけない。

自分の頬を二回叩き、涼花の方へ向き直る。


「今日は本気の謝罪をしに来ました。イジメに至った経緯を全てお話しします——」



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