第20話
俺は海凪の手を引っ張り、足早に保健室へと向かう。
「寒くないですか?」
「全然寒くない。むしろ涼しいぐらい」
「着替えは持ってますか?」
「体操服なら部活の更衣室にある」
「更衣室のどの辺にあります?」
「私が取ってくるからいいよ。アンタは教室に戻りな」
「濡れたままの彼女をほっとくわけにはいきません!」
「子供じゃないんだから一人でやる」
「いいえ、藤春さんは保健室で大人しく待っといてください」
「はぁ……」
半ば呆れた顔で小さくため息。頑固な海凪が素直に引き下がった。
「体操服は私の名前が書かれたロッカーにあるわ。誰かに盗まれてなかったらの話だけど」
「分かりました。もし盗まれていた場合はぜひ、俺の制服を着てください」
「それだとアンタの着るモンがなくなるじゃない」
「問題ナシ! 一日ぐらい裸になっても誰も咎めませんよ。みんな俺の肉体美にひれ伏すんです!!」
「普通に手錠案件よ」
「もしかして、そういうプレイしてくれるんですか!?」
「相手は私じゃなくて警察」
「なーんだ、残念」
海凪と他愛もない会話を繰り広げる。段々、彼女の顔色が良くなってきた。少しずつだが、元気を取り戻しつつある。
一先ず保健室の先生に海凪を任せ、俺は更衣室へ走り出す。
◆◆◆
「――ただいま!! 無事、体操服取ってきましたよ」
「早っ!?」
校則に廊下を走らないでと記されていなかったので、遠慮なく全力で走らせてもらった。おかげでウーバーイーツ並の速さで体操服を届けることに成功した。
「場所はすぐ分かった?」
「まだ藤春さんの残り香があったので、助かりました」
「キモイ」
「残り香じゃなくて残穢――?」
「なに、カッコよく言ようとしてんの。余計にキモイ」
感謝の言葉の代わりに"キモイ"二連発を頂く。これはこれでいい。内なるMの本性がとうとう露になる。
「その体操服、破れてない?」
「? 見た感じ破れてませんが……」
「良かった〜。最近、誰かに破られるからホント、困る」
「そんなことまでされるんですか!?」
「そうそう。イジメにしては度が過ぎてるわ」
「そもそもイジメ自体、度が過ぎた行為なんですよ」
イジメの被害に遭い過ぎて、感覚がおかしくなっている。
「早く体操服、貸して」
「あ、はい」
手を差し出されたので体操服を渡してあげる。
「後ろ向いて」
「なぜ?」
「恥ずかしいからに決まってるでしょ!!」
まさかの平手打ち。多少、手加減してくれたみたいだが、右の頬がじんじんする。
「ゴメン。痛かった?」
「え、あ、痛くないです……」
俺が赤くなった右頬を抑えていると、今度はしおらしく上目遣いで謝ってきた。
飴と鞭の切り替えの速さがDV彼氏そのもの。情緒が不安定だ。
「てか、俺の心配より早く自分の心配をされた方がいいのでは――?」
「ん――?」
「上半身見てください」
海凪のキョトン顔。俺から視線を逸らし、自分の上半身を確かめる。
「さっきから白のブラが丸見えですよ」
セーラー服を脱いで、白のブラを堂々と露出している。綺麗な谷間もセットだ。
「〜っ!?」
例のごとく顔を真っ赤にして声にならない声を上げる。今更だが、上半身を慌てて隠す。
「い、いつの間に⁉」
「後ろ向いといてって言われた時にはセーラー服のボタン全部外してましたよ」
「ウソでしょ……」
俺と話しながら、なんの躊躇いもなく綺麗な乳肌を見せてくれた。だから、後ろ向いといてという発言には少し違和感があった。
「一度、裸を見られたわけですし、そこまで恥ずかしがらなくてもいいでしょうに」
昨日のお風呂事件。一夜明けた今でも、彼女の裸体は隅々まで記憶している。
「忘れろ、ド変態野郎」
「いや、全部藤春さんから見せてますからね。俺は何も悪くないですよ」
「人を露出狂みたいに言うな‼」
再度、平手打ちされた。二回目は左頬。赤く腫れ上がり、悶絶する。
「ゴメン。今のはさすがに痛かったよね?」
またこのパターン。でもクセになる。
◆◆◆
「——着替え終わりましたか?」
「うん」
「じゃあ、カーテン開けますよ」
結局、カーテン付きのベッドで着替えることにした海凪。糊のきいた真新しい体操着を可愛く着こなす。
「そろそろ本題に入りましょうか」
本題というのは勿論——、
「誰に水をかけらたんですか?」
乾き切っていない髪を前に垂らし、顔を隠す。まだ黙秘したいようだ。
「これ以上、藤春さんを苦しむ姿を見たくないです」
「——」
「教えてください。俺がすぐにソイツを懲らしめます」
「——やめて」
カッターシャツの袖をグイッと引っ張られた。引っ張る力が強く一瞬、バランスを崩しそうになる。
「私が全部悪いから……そういうのやめて」
儚げな瞳でそう念を押す。
「自分が全部悪いから虐められてもオーケーとはなりません」
「イジメは私への天罰よ」
「イジメと天罰を一緒にしないでください。神様が怒りますよ‼」
思わず声を荒らげてしまった。
俺の声に驚いたせいか海凪の瞳孔が大きく開く。
「神様はそんな醜い天罰を下さない。藤春さんが犯した罪はもっと違う形で償えるはずです。だから素直にイジメを受け入れないでください」
世の中には誰かに相談したくてもできない人がたくさんいる。周りに味方がいない。まともに取り合ってくれる人がいない――。イジメで自殺する人のほとんどが孤独を感じている。
海凪は幸いにして、桐島勇磨という完璧な味方がいる。しかも、彼女に心底惚れて溺愛する彼氏ときた。これ以上恵まれた環境はない。
「何度でも言いますが、もっと俺を頼ってください」
海凪は暫く固まったまま俺の目を見つめる。そして、コクンと小さく頷いてくれた。
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