第19話

もう間に合っていないが、俺は急いで教室に入る。

転校してまだ数日しか経ってないヤツが遅刻とは我ながらいい度胸している。


「遅いぞ、桐島‼」

「す、すみません!」


教室のドアを開けると、教卓から担任の怒声。窓が割れんばかりのボリュームに気圧された俺は思わず、ペコペコと謝る。


「うちの学校では規則で遅刻すると即反省文だ。四百字詰めの原稿用紙五枚だぞ」

「そんな厳しいんですか⁉」


原稿用紙五枚とか正気の沙汰じゃない。一枚でも書くことがないのに、鬼畜の極みかよ。教育委員会に訴えたい。


「校則は緩くても、遅刻は厳禁だ」

「ウソ……」


ショックのあまり呆然と虚空を見つめる。膝から崩れ落ちそうになったが、なんとか持ちこたえる。


「「「——」」」


クスクスと生徒たちの笑い声。後に担任も笑い出した。


「——桐島、今のは冗談だ。うちの学校にその様な規則はない。ほら、サッサと自分の席に着け」


担任がそう告げたあと、クラスメイト達は一斉に大爆笑。中には目から涙を流し、腹を抱えて笑っているヤツもいた。

遅刻は自分のせいだから仕方ないが、こうやって揶揄われたのはなんか癪だ。面白くない冗談に付き合わされ、無性に腹が立つ。なんとなくクラスの雰囲気も嫌な感じ。

俺は苛立ちを抑え、自分の席へと向かう。


「——じゃあ、ホームルームの続きすんぞ」


担任は何事もなかったかのように一日の予定を話し始める。

そう云えば、海凪の姿がどこにも見当たらない。俺の隣はまだ空席だ。


「先生!」


海凪の行方が気になった俺は堪らず立ち上がる。


「なんだ、今はホームルーム中だぞ」


先生の顔がやや不機嫌になった。元からあった眉間のシワがより一層、深くなる。


「すみません。藤春さんは今、どこに?」

「ん? アイツは欠席じゃないのか?」

「いや、陸上部の朝練には来ているはずなのですが」

「陸上部の朝練——? 陸上部はついこの前、無期限の活動停止処分が下されたばっかりのはずだが?」


そうだった。朝練は海凪が勝手にやっていることだ。本来、朝練なんかない。担任は何を言っているんだかとこちらを睨む。

俺は首を傾げたまま、大人しく席に着く。

やはり学校にいないのはおかしい。担任の反応を見る限り欠席の報せも来ていない。もしかして朝練に行くと噓をついて、姉の家に向かったのか。それとも、昨日と同じく公園で黄昏れているのか。普通に実家に帰ったのも考えられる。

時間が経つにつれ、不安が募るばかり。早く彼女を捜したい。先ほどからソワソワが止まらない。

一方、担任はというと特に海凪のことを気にする素振りもなく、淡々と話を進めている。彼女の安否はどうでもいいようだ。

クラスメイト達も当然、無関心。一部の女子がコソコソと喋って、笑っているのが気になる——。


『——‼』


突然、ドカンと大きな物音。誰かが雑に入口のドアを開けた。もれなく、みんなの視線は入口のドアの方へ集まる。


「遅れて、すみません……」


酷く震えた声。ポチャン、ポチャンと水が滴る音。濡れた前髪が顔を覆い、表情が見えない——。全身がべちょべちょになった女の子が呆然と立ち尽くす。


「藤春さん⁉」


すぐ海凪だと気づいた。俺は慌てて彼女の元へ駆け寄る。


「どこに行ってたんですか?」

「——」


下を向いて俺の質問をシカトする。

今日の天気は晴れだというのに海凪の体は昨日以上に濡れている。制服のままお風呂でも入ったのかと疑うぐらいだ。

セーラー服は透け透けで綺麗な肌が丸見え。できるだけ他の人にその肌を見せないよう海凪の身体を両手で抱き寄せる。


「藤春、吞気にシャワーでも浴びてきたのか。十五分も遅刻だ」


ぎゃはははと教室中に今日一番の笑い声が響き渡る。場の空気がとても私立の進学校とは思えない。


「——早速、彼氏さんに甘えてやんの」

「——なに、あれ。私たちに見せつけてんの。いやらしい~」

「——そもそも、どこで水被ってきたんだよ」

「——アイツどんくさいからさ、水溜りで足滑らせて無様にコケたんじゃね?」

「——うわ、それは爆笑。コケたところ見たかったな」


みんな言いたい放題。敢えて海凪に聞こえるような声のボリュームで、悪口のオンパレード。自分の彼女がボロカスに言われるのは耐え難い。握られた拳が今にも暴れ出しそうになるが、なんとか耐える。ここで暴れるのは得策ではない。


「——てか、桐島のヤツも王子様気取りすんなよ」

「——どうせ俺、かっこいいアピールでしょ」

「——なにそれ。超ウザッ」

「——さすがは変な時期にやって来た転校生。正義のヒーローごっごは楽しいか?」


俺もたった数日で随分と嫌われたようだ。蔑むような目で俺と海凪を交互に見る。


「おいおいオマエら、さすがに言い過ぎだ。愚痴はそこまでにしとけ。言いたいことがあるなら、別の空いた時間にしてくれ。これ以上、ホームルームの時間が延びると先生が困る」


担任は自分のことしか考えない。海凪は虐められても当然みたいなスタンスを貫くようだ。


「そこの二人は早く席に座れ」

「いえ、結構です」

「ハァ?」


薄ら笑いを浮かべる担任を横目に入口のドアに手をかける。


「藤春さんと色々話したいことがあるので抜けます」

「勝手なこと言うな。そんなヤツほっといて、ホームルームにちゃんと参加しろ。内申に響くぞ」

「そんなヤツ——?」


相手が目上であろうと構わない。頭がカッとなった俺は、担任の目の前にあった教卓を蹴り上げる。


「一回、黙れクソ教師」


それだけ言い残し、海凪を連れて教室を出る。担任の表情筋がピクピクしていて最高に気持ち悪かった。


「——内申なんか今はどうでもいい。早くこの場から離れないと」

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