six feet under2

 腰に奴隷の印たる刺青を刺されている感覚はあるが、磨耗した心では痛みを感じることができない。

 いっそ痛みで狂い死にできれば良いのに、と、何度目かも分からない希死の念を抱きながらエリアスは欲を孕んだ不愉快な視線を向ける客たちの顔を見回し、違う視線を向けた男に目を止めた。

 ほんの少し白髪が混じり始めた葡萄酒色の赤毛に琥珀色の瞳の鋭い眦を持つ中年の男で、エリアスは彼から視線を逸らす事が出来なかった。


 リヒャルトが生きていて助けに来てくれたのではないか?


 そう錯覚する程度には彼はリヒャルトとよく似ていた。

 そして、入れられた花の刺青に従ってウィステリアと商品名をつけられてはじめて客を取る日、そこにやってきた男を見てエリアス、いや、ウィステリアは息を飲んだ。

 自分にたいして欲を向けていなかったように見えたその赤毛の男が部屋に案内されて入ってきたから。


「どうして?」


「何がだ?」


「あの時、興味なさげに見ていたのに」


「なんだ、案外ちゃんと見てたんだな」


 挨拶すら忘れたウィステリアの様子に気を悪くすることもなく男は闊達に笑った。

 部屋に置いてある一番高い酒の封を切るように言い、自分の横に座るように示して、グラス二つになみなみとそれを注がせた。


「ほら、飲め。お互い気付が必要だろう? 俺はマーティンだ」


「買っていただきありがとう、ございます。さきほどは失礼しました。ウィステリアです」


「なるほど、藤の花か。ここの店主、やることは悪趣味だが名付けのセンスは悪くねぇ」


 マーティンに手渡された酒に口につけて、あまりの強さにウィステリアはむせた。


「酒の飲み方もしらねぇのか。とんでもなく初心な嬢ちゃんじゃねぇか。あのごうつくばりの店主がふっかけるだけのこたぁ、ある」


 かぱりと、水でも飲むように自分の酒を開けたマーティンは、ウィステリアの手からそれを取り上げてもう一杯も同じように飲み干した。


「そういえば、さっきなんでと聞いてたな。気まぐれだよ。助けを求められている気がしてつい買っちまった。なに、金は腐るほどあるからお前さんを一晩や二晩買う程度、どうってこともない」


 そう言われて笑いかけられた瞬間、完全に死んでいた心に灯火が灯った。死にたいとぐずぐず悩む自分に、死んだリヒャルトが死ぬ時ではないと、よく似た男を遣わしてくれたのではと錯覚した。


「その日はただ酒を飲んで同衾したものの行為には及ばずに帰って、その後、何回か連続で買ってくれて、やっぱりただ呑みながら話をして……他人の空似でリヒャルトと性格は似ても似つかなかったが、彼とただ話して過ごして、奴隷になったことに腹をくくれた。そのおかげと先輩娼婦のアドバイスがあって、別の客がつきはじめたところで、彼の足が遠のいて……。彼は女にしか興味がなかったのに大枚をはたいてくれていたと知った。ただ善意で俺を買ってくれていたんだよ。その後しばらく没交渉だったが、彼が海賊狩りによって苦境に立っていると知って、その時には自分を贖える程度の金はこっそり貯められていたから、マーティンを呼び出して娼館から俺自身を買い取ってもらった。その時にこの金を持ち逃げしたらどうするのかと尋ねられたが、本当はそれでも構わなかった。恩を返したかった。死にたいのに死ねない自分を底なしの暗闇から掬い上げてくれた彼を助けたかった」


 アレックスは土でざらついた頬にしたたる涙をハンカチでぬぐう。


「身請けされ、娼館から連れ出されて街へ着くまでの間に足に豆が出来た。元々歩きまわるような生活をしてなかったが、奴隷となってからは籠の鳥だ。足など萎えて、ろくに歩けるはずもない」


ラトゥーチェ・フロレンスから一刻ほどのところにある、海亀島でもっとも賑わっている街で二人は足を止めた。

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