ガレット・デ・ロワ(過去を含むヴァンサン視点)
「よくお越しくださいました。今日は泊まって行かれますか?」
絹の薄物を均整の取れた身体に一枚だけ身に纏ったウィステリアがヴァンサンをその部屋に迎え入れた。
凪いだ夜の海の様な微笑み。
荒れる感情全てをその水底に沈めた昏く静かなそれは、かつて彼が浮かべていた輝かしい太陽の様なそれと対極に位置する笑顔で胸が痛んだが、同時に昏く歪んだ昂揚感にも満たされた。
「この様な格好で申し訳ありません。頂いた服を身に纏おうかとも思ったのですが、娼館主に閣下をお待たせする方が失礼だと」
つい先程まで別の客といた事を匂わせられ、首筋に散った朱い花をさりげなく視界に入れられる。当然自分が付けたものではない。
それが嫉妬と対抗心を煽るための店と彼の手管だと分かっていても、嫉妬の炎に心が炙られて恋心が燻った。
「貴方と少しでも長く過ごしたいので服装などなんでも構いません。それも良くお似合いだ」
「肌触りが良くて気に入っているのです。東方の絹だそうですよ」
そう言ったウィステリアがヴァンサンの手を取って、絹のガウンの上から自らの胸部をなぞらせる。
なだらかなそこにぷっくりと立った突起を感じ、ヴァンサンは無意識に唾を飲み込んで首を振った。
「素晴らしく興奮しますが、今日は降臨祭の特別な贈り物を持ってきました。まずは共に新年を祝う栄誉に預からせてください」
手首の貝殻骨に唇を当ててウィステリアに乞うと、彼は小さく頷いて、応接に誘ってくれる。
後ろからついてきていた娼館の下働きに合図を送り、故郷から送らせた最高級の
「王の菓子、ですね」
寝椅子にしどけなく腰掛けた男はx葡萄酒だけを手に取って飲み干すとヴァンサンに尋ねた。
「ええ。フェーブが当たれば貴方が今年の王です。さあどうぞ召し上がってください」
当然、ウィステリアにフェーブが当たるように手回ししてある。
「貴方が食べさせてください」
餌をねだる雛のように口を開けた男の口腔内に色気を感じながら、ヴァンサンは手に取ったパイを一口切り分けて口に運んでやった。
舌の動きや顎の動きをうっとりと眺めているともう一口ねだるようにウィステリアの口が開いたから、ヴァンサンはフェーブの入った一口を与えた。
「ん……入っていますね」
ウィステリアは口を開けてフェーブを見せた。舌の上に乗せられた陶器の人形は巴旦杏のクリームと唾液が付いていて酷く煽情的だ。
口腔内を指で愛撫しながら、フェーブを指で摘んでハンカチで包むと懐に入れ、ヴァンサンは恭しく礼をとった。
「ウィステリア様、今年の王は貴方となりました。これをお受け取りください」
ヴァンサンは頭の上に最高品質の宝石と純金で作られた冠を載せた。彼のためにあつらえたそれは、過たず彼の美貌を引き立てる。
彼ほど王冠の似合う人間はいない。本来ならばここで春を鬻ぐような人ではなく、本物の王冠を被り全てを平伏させる人間なのだ。
「よく、お似合いです。我が王に祝福の接吻を贈らせてください」
足元に額づきその美しい足の指先に舌を這わせると、澱んで凍りついた瞳に明確な嫌悪を滲ませつつも、美貌の男はそれを受け入れてくれた。
「許す。好きにしろ」
これはそういうプレイなのだと分かっていても、彼が王として自分の上に君臨してくれている錯覚に陥り、ヴァンサンは興奮と歓喜に酔った。
「我が王に、心からの忠誠と愛を誓います」
ヴァンサンはそう呟いて、うっとりとその脹脛に顔を擦り寄せた。
※ ※ ※
「ガレット・デ・ロワを用意したのですが、皆で食べませんか?」
「ああ……もうそんな時期か。ありがとう。皆で食べよう」
年よりははるかに若く見えるが、それでも大人の色気を纏わせるようになったウィステリア——今はアレックスと名乗っている、の屋敷へあの時と同じようにガレット・デ・ロワとヴァン・ムスーを手土産にヴァンサンは赴いた。
「今年はいつもより賑やかでいいと思わないか?」
「賑やか? ああ、まあ賑やかですね……騒がしいというか。若者は元気があっていい」
使用人にガレットを切るように頼んで、新年早々書類仕事に勤しんでいる若者達の様子を流し見、それを見つめるアレックスに視線を留めた。
レジーナとベルニカ公爵令嬢、それにリアム王太子が仕事の手を止め、ガレットを手に取ってはしゃいでいるのを柔らかな表情で見つめている。
その顔から憂いが消えることはないが、あの娼館で感じた底無しの仄暗さは喪われており、ささやかな幸せを感じているように見えた。
「誰か変えてもらっていいか?」
「え! あの!」
そんなアレックスを飽きることなく見つめて過去に思いを馳せていたところ、行き渡ったガレットを片手にアレックスが不意に言い出した。
自分の紹介で入った使用人にさらに金を握らせて、彼のガレットにはフェーブが入るように細工してある。慌てて止めようとしたが、ケインがすかさず手を上げた。
「俺が」
「んなっ!」
「問題でも?」
「いいえ! 何も!」
皆でガレットを食べると、フェーブは当然ケインのガレットから出てきた。
「ほら、俺が王様だ」
にたり、と笑った恋敵の底意地の悪さに歯噛みしながら、その頭にぞんざいに冠を載せてやると堪えきれないといった様子でアレックスが笑い出した。
「ズルは無しだぞ。ヴァンサン」
「毎年パパが当たってるの、おかしいと思ってた!」
「冠を被るあなたが癖なんですよ……今回の冠もいい出来だったのに」
毎年彼に似合う冠をデザインして結構な時間と最高級の素材を使って冠を作っているのだ。
しょぼくれながらそう告白すると、アレックスは笑いながらケインの頭の上から冠を取って被ってくれる。
「ほら、これでいいか? 特別サービスだぞ」
「は! はい! 素晴らしいです!」
その微笑みは、ヴァンサンが王宮で雷に撃たれたような恋に落ちた時に浮かべられていた物と同じだ。
彼が昏い瞳で自分のなすがままだったのはもう二十年近く前の話だ。
あの頃の彼を意のままに囲っている感覚はひどく甘美だったが、屈託を感じさせずに笑っているこの姿こそ自分が惹かれた本来の姿で、ずっと愛しいのだと、ヴァンサンは噛み締めた。
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