Dead men tell no tails 後編
重ねていない方の手でランスが顔を覆った。しばらくそのまま動かず、何かを堪えるように体を震わせたランスは何度も浅く息を吐いたのち、赤くなった目を再びアレックスに見せた。
「レジーナの身の上に同情はしてるんだよ。命を狙われてもひたむきに努力して両親の愛を欲していた。親がどうあれ子供に復讐するつもりもなかったし、ましてユリアと同じ顔の子供を手にかけられるはずもない。だから最初はここに連れてくるつもりも無かった。が、ヴィルに連れて行くよう命じられた。生かすも殺すも好きにしろと。仕方なく不自然に思わないようあの女を家族として三人で過ごしたいと思わせるように誘導してあの娘ごと連れ出した」
あの女の思い込みみたいな『三人で暮らす』は、そのせいだと付け足したランスの顔が、次の言葉を発する前にぐしゃりと苦悶するように歪んだ。
「主君の娘として面倒を見ようと思っていた。メルシアにいた頃の彼女はユリアに顔貌は似ていたが、性格はそこまで似ていなかった。だが、ここで、貴方の元で、レジーナは憂いがなかったころのユリアの様な行動を取る。まるで彼女が乗り移っているかのように。もやもやするんだ。ユリアのように貴方の側をうろつかれるのが気持ち悪い。ヴィルは生殺与奪を俺に託した。殺してしまえばいい。そうチラつくんだ。そうだ、そもそも俺は一度ユリアを殺している。もう一回殺しても変わらないって!」
吐き出された言葉に、彼の心にこびりついた闇を見る。歪んだ思考はめでたしめでたしで解消するわけではなく、年月をかけて癒し、取り除いていくしかないのだ。
「お前はジーナを手にかけてない。それが答えだ」
「今はまだ、な。俺は他にも同じぐらいの年の少女を手にかけている。殺そうと思えば殺せるんだ」
「絶対、これからもありえないと今確信した。ユリアのことは子供に防げるものじゃなかった。それと肯定はできないが戦場で人道的に行動できる人間がどれほどいる? 戦場というのはそういうところだ。そして、その特殊な状況を赦しに使おうとしてもなお、殺せない人間を殺すことなんて出来ない」
はっきりと断定してやり、「それと」と、アレックスは一度言葉を切った。
「どれほど似た態度を取ろうとも、顔が似ていようが、あの二人は全く似ていない。レジーナのあの態度は俺のためだろう。あの子は周りの空気を読む子だ。対して俺の知るユリアは天真爛漫に自分のペースに人を引き込む子だ……った。ユリアは人の顔色を窺わない。母には通じなかったから、その顔は窺わなくもなかったが」
そう言葉にして苦笑すると、いつの間にか目の端に溜まった涙が頬を伝う。
レジーナと過ごして喪った娘との差異はいつも感じている。喜ばせようと彼女が自分を読めば読むほどそれは顕著で、それに哀しみを感じながらもそのいじましさに愛しさを覚えていた。
「俺達は歪な関係だ。娘を喪った父親と父を得られない娘の傷の舐め合いのようなものだ。だから……ユリアが亡くなるまで共に過ごし、俺の知らないユリアを知るお前には不快かもしれないが、もうしばらく目を瞑って欲しい」
ランスだけではない、結局のところ、自分だってすでにどこか壊れているのだ。あの暖かくて何一つ欠けていなかった頃には戻れない。
さめざめと涙を流すアレックスをランスが抱き寄せた。
服の上からでは分からないしっかりとした胸板に頭を預けると、ランスはアレックスを膝の上に乗せて、そっと髪を漉く。
「オディリア様は貴方の忘れ形見である赤子を殺されて心を手放しました。俺やユリアを見るとその事を思い出して発狂し、暴れて、自傷して……。何度もそうするうちに、自分が子供を産んだ事を忘れて貴方と婚約した頃に心を戻し、ヴィルを貴方と思い込んで、ヴィルの存在も心の裡から消した。だから、ヴィルはこれを俺に託した。その時にユリアと貴方の思い出を持っておけるのは俺しかいなかったから。貴方が生きていた以上、もっと早く渡すべきだったのに……独りよがりに拗らせて、よりにもよってあんな事をしてしまった。赦されなくても何度でも謝りたい。ごめんなさい」
アレックスは堪えきれず、ランスに縋りついた。
誰よりも強く、愛情深かった妻が慈しんでいた娘を忘れ、自身も他者も傷つけて、弟とはいえ他の男を自分と思いこむほど壊れてしまったと改めて聞かされて打ちのめされた。
「戻りたかったんだ……。ずっと。でも、俺は……私は弱くて、逃げられなかった。リアがそんなに苦しんでいたのに、ユリアが虐げられて泣いていたのに、小さかったお前がその身を張っていたのに……」
「それこそ、どうしようもない事だ。二人とも貴方を恨んでなかった。ただ悲しんではいたけれど」
何度も髪を漉く指が優しい。抱きしめる肩が心強く暖かい。張り裂けるほどつらい胸のうちをお互い吐露して、抱きしめあってじっと温もりを分け合う。
しばらくしてランスがぽつりと尋ねた。
「俺に話していない形見の話って?」
「………ああ。あの剣だけじゃなくて、リヒャルトが死ぬまで使っていた短剣もあるんだ。そっちはあまりにも彼の死の痕跡が生々しくて、年に一回手入れに出す他は箱に入れたままだ」
頷いたランスから身を離すと、アレックスはよろつきながら鍵付きのチェストから短剣を収めた箱を取り出した。
「鞘はさすがに見つからなかったから作り直したが、最低限の手入れだけしてなるべく当時のまま保存している」
錆びた血の色の手型がついた柄の部分をそっと握って、ランスは小さく息を呑んだ。
その無骨な短剣に見覚えがあった。
故郷で作られた物で父が珍しく気に入って即決で購っていたものだ。
だが、記憶にあるそれとは違って、短剣はずいぶん傷つき傷んでいた。
斧を防いだであろう抉られた傷や、細かな刃こぼれがあり、死の間際まで父が奮戦した様を静かに語っていた。
「父の手はとても大きかったと記憶していたんだが……」
手型に手を合わせて呟いたランスにアレックスは目を伏せた。
「お前が大きくなったんだ。それを知る事なく、俺を生かすためにリヒャルトは逝ってしまった……ああ、しかし……リヒャルトが今の関係を知ったら本気で殴られるな」
冗談めかして付け足そうとしたのに、上手くいかなかった。彼の命を喪わせる事になった不甲斐なさへの悔恨と、最期に託された相手と恋仲になってしまった後ろめたさが滲み出た。
「父に殴られるのは俺の方だよ。いや、正直なところ殴られるじゃ、すまないだろうな」
自分と違って自然にわざとらしく身を震わせたランスは、短剣を箱に戻して再びアレックスを抱き寄せた。
「だが、死者は物語を紡げない。文句を言うこともできない。まだ気にしていたのか? 俺にキスしてくれた時に吹っ切ったんじゃないのか?」
「あの時は。だが俺だって感情に振り回される。割り切ったと思ったものが顔を出すんだ。倫理的には褒められた話じゃないからなおさらな」
「すべてを喪ったからこその関係だろ? あんなことがなければ敬愛に満ちた家族関係で満足していただろうさ。ジーナとの関係が歪だと言ったな。俺たちだってそうだ」
手の甲で頬を撫でられて、アレックスは目を伏せて甘えるように体の力を抜いた。
「ああ、確かに……」
「歪でもなんでも、やっぱり貴方と共にありたい。貴方が健やかで幸せであってくれればそれでいいけれど、本音を言えば、もう二度と離れたくない。共に歩みたい」
「俺もだよ。ランス。さっきお前が俺の前に姿を見せないと言って、耐え難いと思ったんだ」
どちらともなく唇をあわせて手を絡めて、お互いの存在を噛み締める。そうして身を離すとアレックスはケインに尋ねた。
「そうだ。この短剣をメルシアのお前の母の元に送ってもらうことは出来るか?」
「今、総督の報告書と合わせて顛末を手紙にしたためてヴィルに書いていたから、その時に姉宛に同封出来るが……いいのか?」
ランスは自分がそれらをよすがにしていたことを理解していた。
いたわる様に問われ、アレックスは頷いた。
「長く手放せなかったが……もう大丈夫だ。指輪を手にして思ったんだ。家族の元に返すべきだって。あの剣もお前に託そう。俺なんかよりもお前を含めた彼の家族が持つべきものだ。返せなくて悪かった。短剣ではなく剣を送ってくれても構わないよ。もちろん両方でも」
「……では、短剣を母の元に送らせてもらう。剣のほうは俺が持ちたい。父は、あの剣は貴方を護るべきものと考えていたと思うから」
「そうだといいな。実際良く護ってくれたが……。じゃあ、よろしく頼む。ああ、そうだ、俺のことは」
「お互い、死んだ人間だろう。貴方が望まないなら俺は口を噤んでいるさ。父上以外の方々の形見もあるなら、俺が見つけたことにして追々送るし、今回の物は私掠船団の武器コレクターが持っていたという事にしておく」
「……ありがとう」
エリアスの未練を掬い上げる言葉に、アレックスの口から小さな感謝が転がり落ちた。
※※※
「そのネックレス、ランスが持っていたやつ? 指輪を半分こしたの? これ、私のぐらいの大きさの指輪だね」
首からかけて無意識に弄んでいた指輪を見たレジーナに問われて、アレックスは緊張に口許を意識して持ち上げた。
後ろのランスを取り巻く空気がどす黒い緊張感をはらんでいる。
「ランスの持っていた指輪は、ユリアの物だったんだ。返してもらったんだよ。返すのが遅いって喧嘩してしまった。昨日は心配をかけたな」
「ううん、元気になって良かった。大切なものが帰ってきて良かったね。パパ」
他意なく言ってレジーナはにこりと笑った。
アレックスはなにも言わずにレジーナを抱きしめて、ランスの方を見て頷いた。ランスも腰を落としてアレックスとレジーナの肩を包みこむ。
「アレックスの言うことを少し理解した。ジーナはジーナか……」
「???」
「いいんだ。気にしないで。レジーナ」
ランスの少年の頃の面影を残した自然な笑顔に、アレックスは安堵した。
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