Dead men tell no tails 前編

 ※過去回想で指輪の話が少しありましたが、回想についてアレックスとイリーナには概略で語られ、指輪の事は話されなかったという設定で書いている番外編です。働き方改革の前の話になります。


 共寝をした朝はひどく気怠い。

 目を擦って起きあがろうとしたアレックスは、ランスの腕の中に絡め取られて裸の胸に抱き留められ、再び寝台の中に戻る羽目になる。

 眠っているのに器用なものだと、起きるのをやめて暖かな気持ちで温もりに包まれていると、彼の胸に揺れている鎖で繋がれた指輪が頬に触れている事に気がついた。

 そういえば昨日の夜からつけていたような気はするが、部屋の明かりは常夜灯としてつけている小さなランプだけでほとんど見えなかったし、そちらに意識がいかなかったのもある。

 顔が赤らむのを自覚しながらアレックスは頬に当たるそれを外して、なんとはなしに視界に入れる。

 気にはなっていたが、本人が見せようとしていなかったように感じていたので、なんとなく遠慮していたのだ。

 近くで見ると、質の良い金で出来た子供用の指輪と大人用の無骨な指輪だった。

 大人用の指輪は神の意匠、内側に神聖皇国語の文字が彫られたもので、フォルトル神殿の為替の符牒のようだ。

 神殿に相当の寄進をして初めて得られる王侯と大貴族専用の口座だが、ヴィルヘルムの腹心であった彼が持っていても不思議ではない。

 そちらの存在感に隠れて今まで気が付かなかったもう一つの子供用の指輪は、特に彫金もされていない何の変哲もない細い金の輪だ。

 あまり子供が身につけるデザインでもない。だが、まるで結婚指輪のようなそれに覚えがあった。

 それを掴んだアレックスはランスを文字通り叩き起こした。


「おい! これはユリアの指輪だろう!?」


「……ん?」


 普段はすぐに目を覚ますランスだが、アレックスと二人きりの時は案外寝汚い。それは自分に心を許しているという事で喜ばしいと思っていたが、今はそれすら苛立たしかった。


「起きろ!!」


 ふにゃりと瞳を蕩かせたランスは珍しく刺々しいアレックスの顔を見て、ぱっと目を覚まし首を傾げた。


「どうした?」


「これだよ! これはユリアの指輪だろ!」


「……そうだ。やっと気がついたか」


 皮肉げに口元を歪めて目を細めたその様子に、彼がわざとそれを持ち込んだと察してアレックスは激昂した。


「ふざけるな!!!」


 なんで持っている事を言わなかった、どうして娘の形見を身につけて自分を抱いた、言葉には出来ず、ただ一言そう叫ぶのが精一杯だった。

 感情の制御は得意なのに、仇を前にしても冷静でいられたのに、子供じみた態度でランスの顔も見られずにぐっとその肩を押すのが精一杯だった。


「出てけ! 顔も見たくない」


 何か言いたげにしばらく逡巡していたランスだったが、ベッドから出て部屋に散らばっていたズボンを身につけ、首から鎖を外して掛け布団の上にそれを置く。


「あなたが持っていてくれ。悪かった」


 アレックスは指輪を通した鎖ごと握りしめて布団ごと膝を抱えて顔を伏せた。涙が溢れ出て膝の上の布を濡らす。

 嗚咽が漏れ、歯が軋む。

 なにか話しかけようとうろうろした末に後悔した様子でランスがシャツを着て静かに部屋を出ていったことも気づかず、その指輪を握りしめて胸に掻き抱いて、ただひたすら咽び泣いた。


※※※


「ケインと婚約したから、パパとママがしてる指輪と同じの欲しい!」


 メルシア王国では婚姻の際に金の指輪を交換する。同じ炉で鋳造した金属で作った環でお互いの心臓を縛る契約となり、また純粋に困った時の財となせるようにという意味合いの物で、貴族から裕福な庶民まで広く伝わっている。エリアスと妻オディリアも婚姻の折に作った指輪を交換し指にはめていた。

 それを常々羨ましがっていたユリアだったが、婚約者を得た事でそれを作りたがった。


「結婚のときでいいじゃないか。指のサイズも変わるし」


 オディリアの公務の隙に執務室にやってきてのおねだりは、母親が絶対にそれを許さないという事を理解しているからだ。

 エリアスもそう分かっているから、否を出したが、娘は折れなかった。


「パパとママに憧れているの。ね! 一生のお願い……! 礼法の授業もさぼらないで頑張る。約束する!」


 手の指を体の前で組んで小首を傾げて上目遣いなどしてくる。

 あざとい。だが、可愛らしい。

 わざとらしいのも分かっているけれども、目の中に入れても痛くない最愛の娘だ。

 国政に影響することや、贅沢はもちろん止めるが、小遣いの範囲で手当出来る害のないおねだりにエリアスは弱かった。

 まして、自分達の真似をしたいと言っているのだ。

 厳しい態度でわがままは止めようという誓いなどないも同じだった。


「仕方ない……分かった。注文しておこう。ちゃんと授業は受けるんだよ」


「やったー!! パパ、ありがとう! じゃあ指輪、出来たら教えて! バイバイ!」


 用が済めば、さっさと出ていってしまうが、それすら微笑ましい。

 仕事の隙間に自分達の指輪を作った宝飾店を呼び、測ってあったケインとユリアのサイズで指輪を作り、結納品の一つとしてケインの分をシュミットメイヤーに送りつけたら、リヒャルトに実際に使えないのに無駄なものを作るなと説教された末にわざわざ地金に戻されて国庫に返納されたし、オディリアにも怒られた上に王族の心得を書き取りなどさせられ、執務室の壁に掲示させられて補佐官達の失笑を買ったが、ユリアは顔を輝かせて指輪を喜び、笑顔を見せていたから、エリアスは後悔しなかった。


※※※


 泣きすぎて目が痛い。

 もう過去のことだ。

 寝る時は外していたが、ランスはほぼ常にあれを身に付けていた。

 こういう関係になる前、出会った時に大切な物だと言っていた。

 今まで気づかなかった自分に腹を立てるべきだし、遠慮などせず聞くべきだった。

 などと理屈をこねるが、ぐちゃぐちゃのヘドロのように凝った心は納得しなかった。

 絹のガウンを羽織っただけで、断続的に泣きながら、日が沈むまで部屋にいた。

 一度レジーナがこちらを伺うようにやってきたが、さすがに今は顔を合わせる事ができなかったから、ドアも開けずに会う事を断った。

 ほんの少し落ち着いた時に、食事のトレイと水差しを持ってランスが入ってきた。


「鍵はかけていたはずだが?」


 冷たい誰何には答えず食事を並べて、水差しの水を机の上のコップに注いだランスは部屋の灯に火を入れた。


「水だけでも飲んだ方がいい」


「顔も見たくないと言ったはずだ。出てけ」


 膝に顔を埋めて、捨てられた犬の様な顔をしているランスの顔を視界に入れないようにして素っ気なく言ってやるが、ランスはめげなかった。


「ごめんなさい。ひどい事をした」


 出ていくどころか、寝台の端に腰掛けて、探るようにそろりと指先に手を伸ばされた。にべなく振り払うと迷子のようにその手を泳がせ、力なく落とす。


「意地の悪い気持ちだった。レジーナに向ける視線はユリアに対するそれに似ていて……。貴方はジーナはジーナだと言っていたが、そう見えなかった。納得いかなかった! 本物のユリアのことは忘れて、レジーナでユリアを上書きしたのかと思ったんだ! だから、指輪のことを自分から言わなかった。貴方自身に気づいて欲しかった。だけどそれに気がつかなかったし訊ねようともしなかった。思い余って、触れ合う時間が多いベッドに持ち込んだ。だけど、最低な事をした……ごめんなさい」


 絞り出すような告白に、また涙が溢れ出た。

 自分の手の届かないところですべり落ちるように消えてしまった娘。

 誰よりも幸せになって欲しかったのに、この世の誰と比べても不幸で悲惨な最期を迎えた。

 その事に蓋をしないと、忘れたふりをしないと、生きていけなかっただけだ。ひた隠しにしてきただけだ。


「忘れるはず、ないだろ!! ユリアは俺にとってたった一人だ!」


 なんとか吐き出した声は泣きすぎで枯れていた。


「今は分かっている。謝って許される事じゃないけど、ごめんなさい……」


 掠れた声でもう一度謝ったランスをちらりと見ると、肩を落とした男は初めて見る表情をしていた。後悔と諦めの入り混じった、取り返しのない事をしたと理解し、許されないと覚悟した顔。

 それを見て昂っていた感情に理性の入る隙間が戻った。

 そこにランスのしおれた声が被さる。


「二度と口をきかなくたっていい。なるべく視界に入らないようにするから。ただ、貴方の側に居るのは許して欲しい。聞いて欲しかったのはそれだけだ。水と出来れば食事も取ってくれ。貴方が健やかでればそれでいい」


 彼は本当にやるだろう。

 手だれの護衛は気配を消し少し離れた場所から対象を護ることが出来、ランスにはそれだけの実力があった。姿も見せずにただ側に控えてアレックスを守るに違いない。

 それはひどく虚しく耐え難い孤独だ。彼をそんな境遇に追いやるのは、本意ではないし、自分も彼が自分の前から存在を消す事にきっと耐えられない。

 するりと冷静な自分が戻ってきてアレックスは溜息混じりに言った。


「……俺もお前を護ると言ったぞ。お前はできるかもしれないが、俺は視界に入らない人間を護れない」


 そっぽを向いたまま言って、相手の様子を伺うと、頭を深く垂れ、腿の上で強く手を握りしめて、その上にポタポタと雫を落としている。


「ごめん、なさい……」


 再び謝られて、アレックスはランスに向き直った。


「……感情に任せて酷い態度を取った事については謝る」


「あなたの怒りは当然、です」


「なんだよ。その言葉遣い。他人行儀だな」

 

 いまだ荒れそうになる感情を平坦に保って口角をあげて微笑ってみせ、ランスの手の甲に落ちた涙を拭いながらその手を重ねる。


「複雑な気持ちだったろうに、気付かずに追い詰めてしまった。俺も酷い事をしたと思っている。だが、理由はどうあれ、形見に気がつかないことを詰ってくれた方が良かった。それをつけてベッドを共にされたのは耐えがたい。ジーナに対しての気持ちも話して欲しかった……ああ、でも形見の話は、俺もしてない話があるから、お互いに話そう。それで手打ちにする。俺達は過去の事に触れずに飲み込みすぎていると思う。逃げずに見よう。そうしないと、俺たちはいずれ破綻する」

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