罪禍と悪果(ヴィルヘルム視点)
リベルタ統治領から届いた手紙を開けずに横に置いたヴィルヘルムは、時を同じくして届いたリベルタ総督からの海賊ナザロフとその一味についての報告書に目を通した。
定期船と総督府を襲った海賊を捕らえたところ、十年前にエリアスの船を襲ったと自白したため、その罪を加えて石打ちの上に絞首刑に処し、さらに晒刑を課したという。
修辞まみれで書かれた報告書には、遠回しにそれらを捕まえるために赤狼が大きな働きをしたと書かれていた。
直接書けないが故の報告書らしくない文章なのだろう。
これは運命が味方したとでも言えるのだろうか。
ナザロフがノーザンバラから出張って来たおかげでケインは自分達以外の全ての仇を討った事になる。
報告書と共にハンバー湾に届いたナザロフの死体は首都に手紙が届くよりも一足早く警吏の手により新大陸への玄関口にあたるハンバー河の河口に吊るされ、下賤な見せ物として人気を博しているらしい。
兄を殺した海賊を今になって捕まえる事が出来るとは思わなかったが、彼らがイリーナをノーザンバラに戻すために遣わされたとなれば、偶然でもなんでもない。
結局のところ、兄の家族だけでなく兄自身を殺したのも自分の妻のせいだった。
自らの手でナザロフを殺さず、司法の手に任せた少年──今は青年となってしまった──の心境にどんな変化があったのか。なぜ変わったのかも分からない。だが、悪くない変化だろうとヴィルヘルムは推測した。
憤怒に囚われてヴィルヘルムに襲いかかり、過ちを知って悔恨に打ち震えて自罰に囚われ、命を断ちそうにすら見えた少年。
彼を生かすために復讐を与えた。
いや、それは自己欺瞞だ。
単にノーザンバラにこのまま奪われ続けるのが腹立たしいという子供じみた癇癪で、他にも救う手段はあったかもしれないのに、自分は彼をノーザンバラという国への復讐へ誘導した。
新たな目標を与えて彼を生かす事はできた。だが、彼は……いや、自分もだが、想定以上にそれにのめり込んでしまった。
自らを一切顧みず、躊躇いもなく思い切りよく、無辜の人を巻き込みながら呵責もなくノーザンバラまでの血路を開き、メルシアに戻ってからは自らを偽り、茨の道を歩いてイリーナを騙して復讐の俎上に乗せた。
ノーザンバラという国が力を失うに伴ってヴィルヘルムの中でイリーナは取るに足らないもの、殺す価値すら感じない塵芥にまで落ちていたが、ケインにとってはそうでなかったから、法治の規範がまだまだ緩い統治領で存分に復讐を果たすように告げた。
が、娘をメルシア本国に留め置くかは最後まで悩んだ。
悪果の子レジーナ。
ノーザンバラへの介入の道具として利用する為と別の最愛の人が産んだヴィルヘルムの子からイリーナの目を逸らす為だけに産ませた娘。
兄の子を殺した夫婦の元に産まれた、殺された子供と同じ顔をした娘。
今となってはイリーナ以上に連合王国の治世を乱す存在。
父としての情はあるが、王として愛するわけにはいかない娘。
もちろんヴィルヘルムは王であることを優先した。
望まざるとも兄とその家族からすべてを奪い取った簒奪者の責任として、この国を繁栄させる為に人生の全てを選択することが、自分に課せられた責任であり罰で、最も重要な選択基準だからだ。
とはいえ、自らの娘を手にかけたりさらに道具として使い潰すほどの冷徹さも持てず、卑怯と分かっていてもヴィルヘルムは彼女をイリーナと共に放逐しケインに生殺与奪を託した。
ケインが復讐者としてヴィルヘルムとイリーナの血族として彼女を手をかけても、罪のない可哀想な子供として情をかけて世界の果てで新たな人生を与えても飲み込むと伝えた。
そうして彼らが去って半年ほど経った今日、報告書と共に手紙が新大陸から届いた。
報告書を読み終え、ヴィルヘルムはおもむろに手紙を開く。
先程の報告書よりもよほど報告書めいた素っ気ない文。
文字は癖のないお手本のような文字。誰が書いたのか分からないようにするためのものだが、送り主は一目瞭然でヴィルヘルムが待ち望んでいたものだった。
現地で私掠船団に助けられ海軍に協力を仰いで海賊を捕縛した事。
捕縛した海賊から聞いたエリアス達の最期。
イリーナに正体を暴露し、復讐を成し遂げたこと。
現在は海賊掃討の縁で私掠船団の元船団長のマーティンという老人の息子として生活しており、その伝手でエリアス島で仕事をする事になったという近況。
イリーナの死についてレジーナの理解は得られ、レジーナも穏やかに過ごしている事が綴られ、最後に付け加えるように『イリーナを殺したので、復讐は終わりにします。この美しい南溟の島で心穏やかに新たな人生を過ごすつもりです。レジーナの事はこちらでしっかりと育てるから心配しないで』と書かれていた。
そこだけは手癖で書いたと思しき流し書きで、何の飾りもなく元の少年の穏やかさで書かれていて、ヴィルヘルムは安堵した。
それを読み終わったヴィルヘルムは侍従に妾妃ベアトリクスを呼ぶように命じた。
執務室の椅子にもたれて、再び手紙を読み直しているとノックの音が部屋に響いた。
「ベアトリクス殿下をお連れいたしました」
「ベアーテ、この手紙を」
「相変わらず、せっかちですね。挨拶ぐらいさせてください。陛下」
女性にしてはやや長身、すらりと細いところに、整ってはいるがやや鋭すぎる顔立ちもリヒャルトによく似ている。
最初に会った時に親子で瓜二つだったから、リヒャルトが女装しているのかと軽口を叩いて、不敬ではありますが、とお辞儀をされた後に殴られた事がある。
一緒にいた兄だって同じ事を思ったに違いないのに、父親似の娘は幸せになれるそうですよ、などと上手いこと言って頬を染めさせていた。
「不要だ。この手紙を読む時間に充てろ」
苦笑混じりに手紙の文字を追い始めたベアトリクスの鋭い琥珀色の瞳が見開かれ、その眦が下がって透明の雫がしたたり落ちた。
「……父の剣が見つかったと。短剣も……」
「剣は向こうで使いたいそうだ。短剣はここに」
その短剣の鞘は新しいものだったが、短剣の柄頭には抉れた傷があり、柄に巻かれた革には黒く染みついた指の跡がある。
手紙を置いてそれを受け取ったベアトリクスは指の跡を確かめるように何度も撫でた。
「護れなかった事は変わりませんが……父は最期まで誇り高く戦ったのですね」
「海賊を数多く屠り、最後にそれで首領の片目を奪ったそうだ。彼に護れなかったのなら無理だったと、あの事件の時から俺は思っている。その男は今回、総督府で赤狼と交戦し腕を失うも逃亡を図り最終的に海軍に包囲されて投網で捕縛されたようだ。今の
報告書に書かれた事も交えて伝えると、短剣を胸に抱きしめた女はぽたぽたと涙を落とした。
ハンカチも持っておらず、逡巡した末に差し出した袖口を無視した女は、ドレスの隠しからハンカチを取り出して涙を抑える。
「お気持ちはありがたいですが自分で持ってます。それより、ハンカチぐらいは持っていないと困りますよ」
「……お前ら家族はよく似ているな。師匠もケインも口やかましい所がそっくりだ」
「そうですか? さておき十年も経って父の形見が出てくるのが不思議ですね」
リヒャルトに似ている事は好ましく思っていないと常々こぼしているベアトリクスはさらりと話題を変える。
「海賊諸島のブラックマーケットに船で強奪された物が流されていたらしい。剣のコレクターだった私掠船団の団員がリヒャルトの剣と短剣を購入していたそうだ」
実際には
アレックスは自分が生きている事を伝える事を望まず、ただ、この機会にリヒャルトの家族の元に遺品である短剣を引き渡したいと望んでいたから、ランスはその意に従ったのだ。
エリアスの死についても、報告書も手紙の方も強姦されて生き延びたではなく、ただ命を奪われたと、歪められ偽装されている。
それを知ることもなかったが、ヴィルヘルムとベアトリクスはその手紙の端々から彼が復讐から解放されて穏やかに日々を過ごせるようになった気配を感じて胸を撫で下ろした。
「後はこの国を安定させ、可能ならば発展させて、リアムに引き継ぐだけだ。お前には汚名を着せ、苦労をかけるがこれからもよろしく頼む」
「陛下、頼み事などなさらないでください。命じられれば私は心から従います。それに父はエリアス殿下をお護り出来ず、愚弟は貴方に刃を向けました。その汚辱を濯ぐ機会を与えていただけるのみならず、婚約破棄され行き遅れた私を妃としてくださり、王族の一端に加えてくださったのです。他の誰に何を言われても構いません。貴方様の信頼を得ることが出来るのが私の誉れです」
「リヒャルトの教育か、それともやはり似ているのか? 家族揃って同じような事を……」
喉の奥から苦笑が漏れる。
かつて王家全体がシュミットメイヤーの一族郎党全てから無条件に受け取っていたもの。
今はかろうじて金で繋ぎ止めているだけの関係性に成りさがっているのに、唯一彼女だけが昔と変わらぬ忠誠を示してくれる。
彼女がそういう人間で信頼に値する人となりだから、ヴィルヘルムは彼女と罪禍を共有できる。
「リアムを頼んだぞ。あれは罪禍を背負った子だ。だが……」
「そのように仰るべきではありませんわ。子供にはなんの罪もないのです」
「ああ、すまない。いつも誤解を招いてしまう。もちろん罪禍も悪因も全ては俺の上だ。ただ、あの見た目ではあれも苦労するだろう」
「せめて父親としてもう少し交流を持ってあげてください。リアムもそれを望んでいますし、親子らしくしていれば見た目が似てなくても親子になれるものなのです」
「………できない。俺にはそんな資格はない」
「頑固な事。貴方の気が変わるまでは私が母親として、その分、情をかけることにします。さて、そろそろ失礼しますね。母にこれを届けて親孝行をしてきたいので」
「ああ、よろしく伝えておいてくれ。俺は仕事に戻る」
礼を取って姿勢を正し、すたすたと去っていくベアトリクスから書類に視線を戻し、ヴィルヘルムは執務に没頭した。
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