【本編完結】全てを失った男は南溟の楽園でかけがえのないものを得る
名残惜しげに唇を離した所でドアをノックする音が聞こえた。
「誰だ?」
「わたし! アレク……あのね、ママがお部屋にいなくて、探しに行ったランスも帰ってこないの」
子供特有の早口はレジーナのものだ。ランスも帰らず、不安になったのだろう。
気持ちが通じあってふんわりと暖かくなった心が現実に引き戻される。
恋人に向けた甘い表情を引き締めたランスが思案顔で言った。
「……とりあえず、部屋に戻る。後で片付けに来る」
「あのな。俺もお前も結構な血まみれだぞ。この姿で何があったのか聞かれないと思うか?」
先程まで修羅場だったから気にも止めてなかったが、かすり傷とはいえアレックスのシャツは己自身とイリーナの血潮で血塗れになっていたし、ランスだって似たようなものだ。
部屋も明らかに乱闘の痕跡が残っている。
顔を見合わせたランスが、アレックスが口を開く前に扉の向こうのレジーナへ声を張った。
「レジーナ様。今、取り込み中ですので、お部屋でお待ちいただけますか?」
「いや! 帰らない! 中に入れて! アレク!」
強い語調の少女の声が返ってきた。そこになんとしても部屋に入れろという頑なさを感じてアレックスは嘆息し、扉の向こうに聞こえないようにランスに尋ねた。
「ジーナにどうやって伝える気だった?」
「見つけたが、喧嘩して飛び出したと。そのまま失踪した事にしてしまえばいい。海に沈めるなり山に埋めるなりしてしまえば見つかることもない」
「ごまかすべきじゃない。俺に任せてもらっていいか?」
逡巡する顔を見せたものの、一拍後に頷いたランスに顎で示すとランスは音もなく動いてイリーナの遺体を手早く整え、ベッドから持ってきたシーツを上に掛けた。
「今開けるが、少し怪我をしてるから驚かないでくれ」
「え……?!」
アレックスは少女のそれ以上の反応を待たずにドアを開ける。
その姿を見たレジーナは青ざめた顔をしながらも気丈に振る舞った。
「アレク……すごい血! 大丈夫?!」
「たいした怪我じゃない。俺は平気だが、その……この怪我は君の母と揉めてつけられた。夕食の席で、いらないと言われていたのを覚えているか? それと、父上と会ったことがあると言ったことは?」
声もなく少女が頷くのを確認して、アレックスは片膝をついて、務めて穏やかに優しく聞こえるように告げる。
「俺と君の母は昔からの知り合いだった。私は特に思うところはなかったし、上手くやっていたと思ったが、とても嫌われていたらしい。その俺とこんな遠い土地で再会して、君やランスに近づいたのを見て、お前達を取られると不安になったみたいで……俺の事を殺そうとした。俺はあまり強くないから、抵抗して揉み合ううちに君の母親を刺し殺してしまった……すまない」
ヒュッと少女の喉が鳴って、小さな足が一歩下がった。
「殺めたのは間違っていないと思っているが、お前の親を奪ったことに罪悪感はある。許してくれとは言わない。恨むのならば受け入れよう」
ただ静かにレジーナを見つめると、その大きな瞳に涙がぷっくりと浮かんで眦からこぼれ、丸みを帯びた頬を滑り落ちた。
夕食の時の駄々をこねて自らの要求を通そうとする子供の涙ではなく、ただ静かに流れ出た悲嘆に満ちたそれだ。
はらはらと涙をこぼし、何度も瞬きをした少女は首を振った。
「ママが……ごめんなさい」
その言葉に悲しみとも憤りともつかない感情が込み上げて、胸がいっぱいになって、アレックスは手を伸ばしてその小さな手を掴んだ。
「お前がなぜ謝る。怒っても憎んでもいいんだ。俺はお前の母を殺した」
「だっで……アレクがけがしぢゃった……ままのせいで」
頑張って話していたと分かる言葉はだんだんと震え、泣き声に混じって不明瞭になっていく。
そっと抱き寄せ、何度も背中を撫でながらアレックスは少女に言い聞かせた。
「子供の不始末は親が責任を取る必要があるかもしれないが、逆はない。特に小さな子供が親の事で謝る必要なんて絶対にない。謝るな」
ひとしき泣いて頷いたレジーナから身を離して、涙を拭いてやり、アレックスは問うた。
「奪ってしまったお前の母の代わりに……いや、それがなくてもお前のために出来る事はしたいと思っている。ジーナ、お前は何を望む? どうしたい? 例えば、父親の元に帰り、王女として傅かれる生活に戻る事も出来るだろう。誰かの養女になって新たな人生を歩む事も出来る。私の全力をもってその願いを叶えよう」
それにレジーナは逡巡を見せた。
言っていい事かどうか、計りかねるといった顔で視線を下げ、ちらちらとこちらを窺っている。
「ジーナ、言ってごらん。叶えられる限りは叶えよう。安心して」
「……アレク、あのね、私のパパになって。一緒に暮らしたいの。レジーナでなくてもいいから。ユリアでもいいから」
「どうして! その名を?!」
レジーナから出るはずがない名を聞かされて声が乱れた。
拒絶された絶望と怯えを浮かべた少女を擁護するように、今まで黙って控えていたランスが口を挟む。
「ナザロフとやり合った後、錯乱していた時に、あなたはレジーナをユリアと呼んでいた。その後マーティンに亡くなった娘の話を聞いたから、レジーナは彼女の名を知っている。二人の見た目がよく似てる事も」
「そうか……」
それを彼女が知っている理由が分かり、その気持ちが透けて見えれば、いじましさに胸が潰れそうになる。
彼女が十分に愛されていたのならば、親を殺めた人間を憎みこそすれ慕うような事は言わない。
この短い期間で築いた関係は彼女が六年間実親と築いてきたそれとたいして変わらず、親が死んだ今、恐々と阿るように保護者としての愛を自分にねだるしかないのだ。
親の事情に巻きこまれ、こんなところにまで流れ着いた少女。生を受けた理由すらも復讐の為で、誰からもレジーナとしての関心を向けなかった。
母親だって彼女を見ていなかった。
あれほど愛を求めていたイリーナは娘に無条件に愛されていたのに、幸せな生活ためのアクセサリー、故国に役立つための道具として見なしてレジーナの愛には見向きもしなかった。
少女はただひたむきに親の愛を求めていたのに、誰も彼女にそれを与えなかった。
だから、自身を殺し他者の身代わりでもいいから親としての愛が欲しいと訴えている。
「レジーナ。ユリアの代わりになんて、なる必要はない。レジーナはレジーナだ。他の何者にも代えられない。俺みたいな男を父に望むのは物好きだとは思うが、お前がそう望むなら喜んでレジーナを娘として、慈しもう」
「アレク……いいの?」
「パパだろう?」
「パパ!!」
万感の思いを込めて、そう声を上げたレジーナをアレックスは抱き上げた。
「パパ!! パパ!! 私のパパ!!」
目を潤ませながらも、喜びに満ち溢れて自分を何度も父と呼ぶ少女にユリアが重なって、離れていく。
失った物は戻ってこない、後悔も消えることはない。
だが、それでも、幸運にも生かされ、歯を食いしばって生きてきたお陰で、こうやって新しく
アレックスは幸福な気持ちで二人を見つめる。
その頬を暖かい涙が一筋滑り落ちた。
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