お前を護りたい

 吐息と共に血反吐を吐いて、イリーナの菫色の瞳が光を失う。

 あっさりと事切れた女を茫然と見つめて、ケインは拳を握りしめた。


「どうして……?? どうして慈悲を与えた?! なぜ、楽に殺した! 苦しめ抜いて殺すつもりだったのに! 死を懇願するまで、いや、懇願しても許さず苦しめるつもりだったのに!」

 

「優しいお前が、ひどい事をするのを見ていたくない。だから、俺が……私が、妻子の代わりに復讐を果たした」


 獲物を奪われたと叫んだ獣に、声をかけて握りしめた拳を開かせるが、それは振り払われた。

 憤怒に身を震わせ、かろうじて手をあげる事を堪えているように見える。


「そんな欺瞞に誤魔化されるものか! 復讐なんて、する気もなかったくせに! こんなの、単に楽にしてやっただけだ! それに、優しい? ひどい事をするのが見たくない? 非道な行いなんて慣れすぎて、いちいち覚えてられないぐらいだ。あんたの知ってる甘ったれたガキは死んだって言ったろ! 独りよがりの感傷で俺の十年間を無駄にしたんだよ! あんたは!」


 悲しみ、憤る青年をアレックスは抱きしめた。

 ケインの優しさを彼が本当に切り捨てているのならば、自分を殴りつけるなりして制裁を加え、鬱屈を晴らす筈だ。


「優しいお前は生きている。ここに来てからだって、俺のことを心配してくれた。ジーナの事だって大切にしていた。……この十年、つらかったな。家族の為に大変なことを強いてしまった。背負わせてすまなかった……もう終わりにしよう」


「だから……それは……おれ……が……」


 ぼたり、と水滴が頭にかかって顔を上げて身を離すと、ランスは俯いた顔を赤く歪ませ、その眦からは大きな涙の粒がいくつもこぼれ落ちていた。

 手を伸ばして、その涙を指で拭い、子供の頃にそうしたように髪を撫でる。


「リヒャルトによって命を救われた。生きろと言われた。救われたからには精一杯生きなくてはいけないと思って毎日を過ごして来た。けれども、それはずっと辛くて、金で我が身を買って自由になっても空虚だった。だから……ほんの少しだけ逆恨みをしていたんだ。あそこで誇り高く死ねと言ってくれれば、こんな世界の果てで恥を晒して生きる事もないのにと。だが、今は心の底から感謝している。生きていたおかげで、お前にまた会えた」


 肩にケインの額が押しつけられ、すがるように襟元を持たれて、低く小さく呻くような嗚咽がケインの唇からこぼれ落ちた。


「ケイン。リヒャルトにお前を護ってくれと遺言された。守らせてくれ。これからの人生、お前の為に生きるから。戻せないものも多いけれど、失った十年をやりなおそう」


「遺言の……ために……自分の人生を明け渡すのか?」


「まさか。私がそうしたいんだ。全部失ったと思っていたけれど、護るべきお前は生きていて、泣いている」


「俺の方が強いのに、どうやって護るんだ?」


 涙交じりの減らず口に、ぎゅっと頭を抱き寄せて髪をぐしゃぐしゃに掻き回す。


「こうやってだ!」


「やめろよ! これのどこが護ってるんだ!」


「ほら、少し気が晴れただろ。そういうことだ」


「護らなくていい。こんな鬱陶しい護衛はごめんだ。それに……」


 泣き笑いの顔のケインが、壊れ物に触れるかのような優しさで、逆にアレックスを抱きしめかえした。


「俺が、あなたを護りたい。前に背負えないと言っていたのを、取り消してくれ」


「いや、それは……」


「父が死んだのを気にしているんだろう? あなたを生かして死んだのならば、騎士として誉高い生き様だ。気に病むことはない。ああ、そうだ。俺の命を背負うことは俺を護ることに繋がると思う。父もそれを望むだろう」


 リヒャルトによく似た声で囁かれて、顔を上げると鼻先にほんの軽く唇を落とされる。


「愛してる……。家族愛からくる思慕だと思っていたが、これは違う。お人好しで、清白で、俺のことを思いやってくれる。そんな貴方が好きだ。恋慕している」


「え……??」


 唐突な告白についていけずに間抜け顔を晒すと、吹っ切れた様子で青年は笑って、自信たっぷりに告げた。


「あなただって、俺の事が好きだろう? イリーナと戯れていた時にあからさまに嫉妬していた」


 瞬間、頬が熱くなるのを止められなかった。

 無自覚だったそれを突きつけられたせいもあるし、妻以外に心に置かないと思っていたのに、義理とはいえ息子にその様な気持ちを抱いてしまったことに対する羞恥や罪悪感もあった。


「その……それは良くない……んじゃないか? 好意は抱いているが、義理とはいえ親子だ」


「メルシアの王兄エリアスは十年前に死んだ。ケインも死んだ。アレックスとランスは親子じゃない」


 ちゅっと唇の横に啄まれ、顎を持ち上げられて唇が重なる。

 それは本当に重ねるだけのキスで、唇は震えていて、前回が嘘のようにたどたどしい。

 思わず吹き出すと、ランスはしかめ面をして早口で言った。


「こんな気持ちでするのは初めてだから、仕方ないだろ……」


「ずっと俺と共にいてくれ。ランス」


 とろりと笑って頷いた青年の襟元を引いたアレックスは、今度は自分から唇を重ねた。

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