【幕間】西の悪魔(ニキータ視点)
「兵をなぜ引かない!!! 皇位を獲った今、居座られては困る!」
感情を見せ隙を作るな、皇子としてそう教育を受けてきたニキータであったが、取り繕う余裕などなかった。
第一皇子ザハールとの争いは血で血を洗う様相となり、ニキータは最終的にメルシア連合王国の騎士団をノーザンバラ帝国に引き入れた。
鎧をまとわず、揃いの制服を着て最新式の銃を持った、騎士団とは様相の違う一軍は易々と兄の騎士団の重装兵の胸部を易々と貫通させて、撃ち殺し、壊滅させた。
ニキータは皇位を手に入れ、ノーザンバラ帝国の皇帝になった。
そこでメルシア軍がノーザンバラの領土から引いたのならば問題なかったが、メルシアはノーザンバラの命綱である穀倉地帯を占拠し、居座った。
そして、本来はノーザンバラに税として収められるはずの食糧を収奪された。
全てを奪い尽くすわけではなく、農民の食糧分をきっちり置いていっている辺りが憎たらしい。
おおよそ二年ばかりでノーザンバラに接するまで強引に国境を伸ばしても、賢征王などと持ち上げられているのは民衆に食糧を与え、命を保障しているからというのが大きいのだ。その残りをノーザンバラが租税として徴収すれば、恨まれるのはこちらだ。
彼らを武力で追い払えれば簡単なのだが、それもできず、こうして兄の騎士団を蹴散らすついでのように占拠された建物を訪れ、平身低頭するしかない。
本来ならば頭を垂れる必要のない相手にそうする必要があるというのは、ニキータにとって酷く屈辱的だった。
元々は属国なのだからこちらが上の筈なのに、特にもてなされる事もなく、まるで臣下のように人払いされた謁見の間に通され、一段上から睥睨されている。
人払いされているだけ配慮しているとでも言いたげだ。
「感謝の言葉もなく、不躾だな。なんでもなにも、我々はノーザンバラ皇女イリーナ・ノヴォセロク・トレヴィラスの娘、レジーナ・エリザベート・トレヴィラスを皇太子につけるべく、ここに駐留している。皇位は貴方の上に定まり、次は皇太子の選定だ。皇帝におかれましては、今後のメルシア連合王国とノーザンバラ帝国との友好を鑑み、娘を皇太子にご指名いただきたい」
飄々と要求を突きつけた男の厚顔さに歯噛みし、はっきりと拒否の言葉を口にする。
「そんな要求、吞めるはずがないだろう!」
メルシアの力を借りた代償にしても受け入れがたい要求だ。
ノーザンバラの血を引いているとはいえ、メルシア王の娘が皇太子になるのが国内で許されるはずもない。
「では、実力で認めさせるとしよう。幸い貴方は目の前にいる」
「実力……とは、何をするつもりだ」
「なんだと思いますか?」
金モールで作られた飾緒で飾られた詰襟の上から黒いマントを羽織った偉丈夫が、椅子から立ち上がって悠々とした足取りで距離を詰めた。
その迫力に萎えそうになる足を、ノーザンバラの皇帝となったという矜持で奮い立たせる。
王の葬儀で会ったのは三年ほど前か。その時に会った時は、ほんの少し揺すぶってやれば顔色を変える若造だったのに、その面影は今やない。
これは、憤怒を溜める昏く澱んだ眼をした悪魔だ。
なぜ彼がこうなったのか。
記憶をさらったニキータは暗澹たる気持ちになった。
ノーザンバラ皇帝は奸計をもって、彼の産まれたばかりの甥と姪を排除した。
ニキータは直接関わっていないが、父の意図を汲んだイリーナの侍女が手を回し、ノーザンバラの皇宮でもよく用いられる手段で、罪もない子供達をいびり殺したという。
その後、ヴィルヘルムが弟のように接していた少年を手にかけ、イリーナとの間に子を成したと聞いたから、目の上のこぶを取り除いた恩を感じてノーザンバラに恭順したと思い込んでいた。
その分析は間違っていたと今ではわかる。
葬式の時に見た彼は取るにたらない若造だったし、理解の枠の中にある人間だった。
自分達が、彼が人間らしくいられる場所を奪った結果、この男は大陸を巻き込んだ復讐劇を始めたように思える。
結局のところ、この化け物を産んだのはノーザンバラの自業自得だ。
カサカサに乾いた唇を舐め、まばたきを繰り返したニキータの襟元に男の手が掛かる。
血と硝煙の混ざった匂いを感じるほど近くに引き寄せられて、耳元で囁かれた。
「我々は
「よろこ…っ! べるか!!」
「お前は、それが喜ばしいんじゃなかったのか」
手を離されて、硬い床に尻餅をついた。
立ちあがろうと思ったが、敬語すら捨てて訊ねてくる男に迫力負けして立ち上がれなかった。
「わ、我々が悪かった。頼む。皇太子の件は呑み込めないが、他に望むところはないか?!」
「それが認められないなら、ここの領有権だ。ティグ川より西側をメルシアの領土とさせてもらう」
「そこはこの国唯一の穀倉地帯だ! 渡してしまったらノーザンバラは成り立たない」
「それが? お前達は今まで征服した国の都合を聞いていたのか?」
「連合王国に入れてくれ!」
矜持もも外聞もなくニキータはヴィルヘルムに懇願した。
国唯一の穀倉地帯を他国に渡せば、どのみち立ち行かない。
他の国のように連合に国ごと組み入れられれば強大なエリアを統べる一地域として影響力を伸ばし、ゆくゆくは連合王国を飲み込めるだろう。
「断る」
「どうして」
素っ気なく肩をすくめた男は、憎々しげに口元を歪めた。
「お前達ノーザンバラの王族が民に恨まれ、苦しみ悶えながらじわじわと破滅するところが見たいからだ。それに痩せて枯れた土地を油断のならない敵ごと領土に組み込むと思うか?」
返す言葉もなく、唇を噛み締めてヴィルヘルムを見上げると、男は用もないとばかりにニキータに帰るように告げた。
「頼む! なんとか再考してくれないか! 頼む!」
追い縋ると、自らも謁見室から出ようとしていた男は足を止めた。
「そうだな。では、民がカツカツやっていける程度の穀物は売ってやろう。皇宮の財を全て吐き出し、産業を見直して、貴族を押さえつけながらなんとかやっていくか、現状を変えず民の恨みを買って嬲り殺しにあうか好きにするといい」
振り払われ、とりつく島もなく部屋を出ていかれ、呆然としていると、ハティが入って来た。
ただその髪の色は黒く、ヴィルヘルムが着ていたのを少し簡素にしたような服を着て左肩に短いマントをかけている。
「ハティ、その服装は?」
「ああ、もう目的は果たしたので、ここに留まります」
「皇位を取っても何も望まないと聞いたが?」
「欲しいものがあれば自ら取る、とも言いましたよ。それに、本当のところは別に欲しいわけではないんですよ」
なるほど、彼はは味方ではなく甘言を弄して人を堕す悪魔とその手先だったとニキータは納得して溜息をついた。
薄々分かっていたが、手を取るしかなかった。生かされて皇位につけただけマシだったろうし、その道が艱難辛苦に満ちていたとしても、巻き返すことが出来るかもしれない。
「そうか。またな」
本心では今後、どちらとも関わり合いになりたくない、そうはいかないだろうが。
そんな気持ちを込めてニキータは謁見室を出ていった。
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