空虚
ニキータが返事を保留したまま1週間が過ぎ、収穫祭の夜会が開かれた。
詰襟のシャツの上に金襴で作られた長衣を重ね、腰にベルトを巻いた煌びやかな伝統衣装に身を包んだニキータの後ろに少年は気配を消して控えていた。
本来ならば付き添える身分でもないのだが、暗殺を恐れた彼は少年を伴った。
皇帝の挨拶が済み、ダンスを楽しむ者や、立食用のスペースの近くで歓談を始める者、もちろん飲食を楽しむ者など様々だ。
秋口とはいえ夜はすでにメルシアの真冬よりも寒く、暖炉や暖房器具があちこちに設置されて暖を取れるようになっている。
支持者同士で固まり、歓談しているニキータの元にウェイターがワインを運んできた。
ニキータが取ったグラスを少年は受け取ると、ワインを口に運び、味を確かめ、手持ちのハンカチにそれを吐き出した。
「毒が……」
「ウェイターを捕まえろ!」
立っていられなくなり、その場に膝から崩れ落ちて床にへたり込む。
嘔吐感が込み上げて来て、慌てて着ていたジャケットを脱いでその上に吐きもどした。
「大丈夫?!」
「水……」
少年に近づいて来た給仕の少女に頼むと、身を翻して水差しとグラスを持って来てくれた。
グラスは受け取らずに水差しから直接水を飲み干して、指を喉の奥に突っ込んで吐き出し、持ち歩いていた解毒剤の丸薬を飲みこんだ。
少年が自力で解毒処置を終え、よろめきながら立ち上がった頃、ひとまずの混乱が落ち着いたらしく、ニキータが戻ってきた。
「お見苦しいところをお見せしました」
「本来ならば私がそうなっているはずだった。部屋に戻るぞ。歩けるか?」
「なんとか。ただ、今襲われると私は足手まといになります……護衛を多めにお連れください」
多少なりとも恩を感じたのか、ニキータは護衛のうちの一人に少年を運ぶように命じてくれた。
自分の部屋に戻されるかと思いきや、そのまま彼の部屋に連れていかれた。
彼は汚れていたり、弱っているモノが嫌いだから、回復するまで部屋に戻されると思っていたが腹が決まったという事だろう。
人払いされた部屋で初めてソファに座らせてもらい、首を傾げると、男はこの間少年がしたように手を取った。
「お前の提案を受け入れよう。皇位を取る手助けをしてくれ」
少年はソファーから立ち上がると跪き、男の手を取って首を垂れ、計画通りに事が進んだ事に、ひっそりとほくそ笑んだ。
そこから、迅速に立ち回った。
第一皇子の陣営に間諜と工作員として潜入してニキータの暗殺を唆させていた男に、使い捨ての効く新たな駒として第一皇子に紹介させ、ニキータを殺すと偽って皇帝の暗殺へと向かった。
髪を目立たぬように黒く染め直し、黒衣を身につけ、黒手袋をはめ、短剣と投げナイフを装備した少年はニキータの部屋と第一皇子の部屋につながる隠し通路に擬装工作をして皇帝の部屋へと忍びこむ。
側女を二人も天蓋付きのベッドに連れ込んで精力的に励んでいた初老の男を引きずり出して拘束し、恐怖で声も出ない様の女達の前で、その口に詰め物を詰め込み、布で抑える。
彼女達に同じように猿轡を嵌めて手足を拘束し、少年は皇帝を見下ろした。
自分が虐げられる側に回ることはないと驕っていたのだろう、菫色の瞳に怯えをたたえ、緩んだ腹を晒して震える初老の男は、皇子の後ろに控えて遠目から見る時の威厳もなく、ましてやメルシアを属国にする野望を持って少年達の平穏をぶち壊した首魁としてはあまりにも情けなかった。
「メルシアに近しいニキータを皇帝にすげる訳にはいかないと主人は仰せでね。恨みはないが、ニキータに皇位を譲ると決断される前にその命貰い受ける」
もちろん煮えたぎる恨みはあるが、それを言ってしまえば継承戦争への火種を熾すことが出来ない。
芝居がかった低い声を意図して作り、女達の前で短剣を振るって皇帝を屠る。
「さて、次はお前達の番だ。だが、殺す前に楽しませてもらうとするか」
露悪的に言って片方の猿轡をあえて外してやると、女は悲鳴を上げた。
「くそ!!」
想定通りに悲鳴を上げてくれた女にわざとらしく悪態をつき、隠し通路に身を滑り込ませて扉の機構が動かないように細工をすると、少年は痕跡を残さないよう気をつけて使用人棟の自室に戻り、その時身につけていた何もかもを焼き捨て、髪の毛の色をハティとして纏っていた金に戻した。
踊りやすい駒を踊らせ、皇帝を討ち、元々仲の良くないノーザンバラの皇位継承者達の争いの火に油を注いだ。
それなのに、少年は心の片隅に巣喰う空虚さを、埋める事が出来なかった。
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