疑心暗鬼
戻ってきたランスはそのまま流れるようにグラスとパンとスープの皿を並べ、ポットの中のスープをよそい、薄く切ったポークパイとハムとチーズの皿を真ん中に置いて、柑橘の浮いた水をグラスに注ぐ。
給仕の仕事も出来るのか、動きにそつがない。
「遠慮するなと言われて、色々持ってきてしまった。干魚の燻製の方が良かったか?」
席について尋ねたランスにアレックスは問題ないと首を振った。元々健啖な方ではない。
「俺はスープとパンで十分だ。腹も空いただろ。2人は遠慮なく食べてくれ。ジーナには後で菓子を持ってこよう。この辺り特産のフルーツを入れた焼き菓子は美味いぞ」
「お菓子あるの? スープじゃなくてお菓子が食べたいなぁ」
上目遣いで見上げてくるレジーナに真面目な顔で首を振る。
「ご飯を食べた後だ。このスープもとても美味しいぞ」
食べさせてやろうかと冗談めかして言うと、レジーナは首を振った。
「そんなに赤ちゃんじゃないもの。マナーも完璧ですねって先生にもほめられたんだよ」
ランスが口をつけたのを目線で確認したレジーナは、姿勢を正してスープを飲み始めた。
アレックスもスプーンを取って牛の踵と豆とダンプリングのスープを飲み、パンをちぎって口に入れる。その動きを見ていたランスはどこか緊張感を漂わせてアレックスに尋ねた。
「もしかして貴族の生まれなのか?」
「なんでそう思う?」
パンを飲み込んでから質問に質問で返すとランスは答えた。
「所作がとても洗練している。貴族、それも地位の高い貴族と遜色がない」
レジーナの話と態度から鑑みると、メルシアの貴族に足跡を辿られたくなくて牽制しているのだろう。
ただ、そうだとしても、貴族どころか元王子だったとはさすがに言えない。
自分がかつてヴィルヘルムよりも高い継承権を持っていたとバレてしまえば排除される可能性もある。弱い自分など一撃で屠られるのは予想がついた。
死ぬわけにはいかないから、過去をここで詳らかにはできない。
「ここで必要だから覚えただけだ」
「一朝一夕で身につくものじゃないだろう?」
「小さなレジーナも綺麗に食べてんだろ」
「彼女は教師から厳しい指導を受けていた。逆に言えばちゃんとやってなければマナーは身につく物じゃない」
「センスがあったんだ」
わざと食卓に肘をついてスープを啜り、グラスの縁を持って水を煽ってみせ、眉間に皺を寄せて唇を歪めて強面を作る。
「さっきまで気を使ってたが実際はこんなもんだよ。俺の過去なんてどうでもいいだろ? 聞きたいことがあるなら単刀直入に聞け。俺はお前とレジーナを助けたアレックス。海賊諸島のごろつきだが、今のお前に必要なものを、だいたい持っている。それ以上探る必要があるか? 怪しいといえばそっちだって、充分得体がしれない。お前らの事で俺が聞いたのは名前と新大陸に行くはずだった船が襲われてレジーナの母親が囚われたって話だけだ」
「……」
押し黙ったランスに変わるかのように、突然ぽつりと呟くようにレジーナがランスに尋ねた。
「ランス、ママはあの海賊達につかまったの?」
「そうですね。ですが、殺されてはいないと思います」
「そう……わるい夢だったら良かったのに」
俯いたレジーナの眦から雫がこぼれ、小さな手の甲に水玉を作る。
思い返せば、ここに母親がいないのに彼女は母親のことを聞かなかった。
自分が父親ではないとわかった時点で「こわい夢」が現実であり、母親が逃げきれなかったという予想がついたに違いない。そして、だからこそ母の安否を聞くに聞けなかったのだろう。
泣き顔を見たランスはようやく自分が心に傷を負った子供を蔑ろにしていた事実に思い至ったようだった。
「レジーナ様、申し訳ありません。私も動揺していたようです。まずは食事を取ってしまいましょう。それからお風呂を借りてお菓子を食べてお休みください。その間にちゃんとアレックスと話をして、イリーナ様を助けてもらう相談をします。だから貴方は何も心配しないで」
真摯な表情でランスがレジーナの涙を拭って力づけるように手を握る。
「……はい」
レジーナは弱々しく頷くとその手をそっと外して再びスプーンを手に取った。
デイジーを呼び、レジーナを風呂に連れて行かせてアレックスはランスを奥の間へ通した。そこは密談に使う部屋で、防音に優れている。色々な意味でこちらの部屋の方がいいだろう。
「コーヒーでいいか? それとも酒の力を借りて喋るか?」
バーキャビネットを指差すが興味を引かなかったらしい。薄暗い声でランスは答えた。
「コーヒーをくれ」
デイジーが持ってきたポットからコーヒーを淹れ、糖蜜菓子やフルーツ入りの焼き菓子とともにテーブルに並べる。
「事情を話す気になったか?」
「レジーナ様と母君……お二方の事を話すのに貴方が貴族かどうか確認したかったんだ。連合王国やノーザンバラ帝国となにがしかの繋がりがあったらお互い面倒なことになる」
アレックスは肘をつき、わざとコーヒーカップの縁を持ってカップに口をつけた後に短く答えた。
「あるな」
ほんのわずか歯を噛み締めて警戒を向けたランスをジェスチャーで宥めて言葉を続ける。
「というか、この海域である程度の船を持っている海賊は全員メルシア連合王国と繋がりがある」
「どういう事だ?」
「数年前にメルシア国王が大々的に海賊と密輸業者を取り締まったのは知っているな。賢征王の海賊狩りと呼ばれていた」
「王の功績としてなら」
「この辺りの海賊はメルシア海軍の砲弾に沈み、あるいは首を括られて岬の突端に吊るされた。だが諾々と海賊を廃業しても生きていけねぇ。一度こっちに足を突っ込んだらそうそうお日様の当たる道には戻れねぇからな」
それで、と一瞬溜めて視線を合わせてアレックスは言った。
「総督にかけあって、航行の許可を得た船を襲わない事と、それ以外の船を襲撃した際のあがりの60%を納める事とを引き換えに俺が取りまとめて私掠の許可状をもらった。ここは無法地帯だが新大陸共々メルシアの統治領の扱いになっていて、法的にはメルシア連合王国の民だ」
だから形ばかりは繋がりがあるんだよ、と言うとランスの唇から安堵の溜息が漏れる。
「帝国の方はどうだ?」
「個人的な恨みならあるし、ノーザンバラに併合されて食いつめてここに流れてきた奴も多いから、ノーザンバラの属国出身の海賊船はそれなりにいるが、本国からは遠いからな。ノーザンバラ本国からこちら側に来る船は多くない」
ノーザンバラ帝国は併合した国に対して重税をかけて奴隷同然の扱いをするから、食い詰めて故郷を捨てて山賊や海賊になるものも多い。アレックスがそう答えるとランスは頷いた。
「今回定期船を襲った賊はノーザンバラの船だった。海賊のナリをしてたが、海賊というわけでもなさそうだった」
「なぜわかる?」
「イリーナ様……レジーナ様の母上だ、それと賊の首魁がノーザンバラ語で言い争いをしていた。賊は私を殺そうとしていて、イリーナ様が一人で逃げろといったが、どう扱われるかわからないから、レジーナ様を連れて逃げた」
ノーザンバラ語を話す賊というくだりに全力で動揺を押し殺し、震える手をテーブルの下にそっと戻した。
ノーザンバラ語を話す海賊はこの辺りでは皆無だ。
ディフォリア大陸からこの新大陸に至る海路は基本的に二つ。メルシアの西に広がる海を突っ切って新大陸の西側に着くルートと、東方を経由しながら東側に着くルートだ。ノーザンバラはそもそも元の版図に年間を通して使える港を持たない上に、西ルートはメルシアをはじめとしたノーザンバラと敵対する勢力の影響下に置かれていて、ただの商船や海賊船が使うには割にあわない。
海賊達と関わって知ったことだが、たいていの人間は出身国の訛りのある大陸共通語で話している。だがその中にノーザンバラの訛りで話すものはほとんどいない程度にはノーザンバラ帝国本国の出身者は少ない。
「その船の首魁は目に傷のある大男か?」
アレックスは震える声で確認した。
売られた時からあえて目を背けていた事実を再び突きつけられて、眩暈を起こしそうだ。
「そうだ」
「そいつは……俺を……売った男だ。他言しないしから詳しく、洗いざらい話せ。察しは付いているが、ジーナとイリーナ様とヴィルヘルム様とやらの素性も含めてな。話さなければ絶対に協力しないし、お前らをメルシア総督に売らせてもらう」
困るんだろう? ときつく詰め寄ると、ランスは眉間に皺を寄せ、口元を歪める。
「後悔するなよ。お察しの通り、ヴィルヘルム様はメルシア連合王国の国王ヴィルヘルム、イリーナ様は王妃、レジーナ様は王女。俺は王妃と王女の護衛騎士で愛人だ。二人を連れて王宮から逃げ、ハンバーからの定期船に乗り込んだ。いわゆる駆け落ちというやつだよ」
開き直ったようにランスは話し始めた。
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