不義の騎士と連れ子の少女

 着替えとタオルを持って部屋に戻ったアレックスは風呂のドアを叩いて中に呼びかけた。


「服を持ってきた」


「入ってくれ」


 ドアを開けるとランスは白い陶器で出来た猫足のバスタブに寄り掛かるように浸かっていた。


「ちゃんとした風呂に入れるとは思わなかった」

「新大陸の金持ちや権力者も使う高級娼館だからな。着替えとタオルはここにかけるぞ。着替えは綺麗なものじゃないが、潮まみれになった服よりゃマシだろう。下着は新品だ。着ていたものは洗濯に出しておくからよこせ」


 風呂の隣に置かれた衝立に服とタオルを引っ掛け、彼の着ていた服について尋ねるとランスは首にかけたネックレスを持ち上げながら居心地悪げに言った。


「親切はありがたいが、洗濯まで甘えるわけにいかないから自分でやるよ。そうだ。後でこの鎖の方を貰ってくれ。助けてもらった礼だ。指輪は形見だから渡せないが、鎖の方も金で作らせたものだから一月分ぐらいの食い扶持になるだろう」


 ランスが持ち上げた鎖は質の良い金の光沢がある。


「必要ない。身一つで海岸に流れ着いた奴から、細々と金をむしるほど困っちゃいない」


 そんな事を気にしていたのか、とため息をつくと、ランスにうっすらと警戒心が浮かんだ。それを解きほぐすように笑いかけてやる。


「俺は海賊に襲われて何もない状態でこの島にきたクチだから、単なる共感と同情だよ」


「どういうことだ?」


「元男娼だと言ったろ。十年前に海賊に捕まってここに売り飛ばされたんだ。ついた客の一人がこのあたりが縄張りの海賊船の船長でな、身請けされたあと海賊狩りから逃げんのに、別の客のつてを頼って私掠船の免状を取った。その後、どういうわけか経営が傾いて困っていたここの娼館を俺が買った。俺は篤志家でな。困っている奴を見るとほっておけないんだ」


 内情はさておき、表向きはそういう事になっている。にぃっと口元をあげると、裏に隠した意味は伝わったらしい。


「篤志家の意味をわかって言ってるんだよな」


「分かってるに決まってんだろ……で、服の方は預かっていいか?」


 軽口に真顔で返されると正直気まずい。照れ隠しにぶっきらぼうに尋ねると、ランスの視線が何かを探るようにアレックスに注がれた上で、目線を下に落とす形で外された。


「……頼む」


「じゃあ持っていくぞ。何も入ってないな」


「大丈夫だ」


 アレックスはランスの目の前で服の隠しに何も入ってないかを改めて確認してやって「邪魔したな」と声をかけて浴室の外へ出た。


 男の着ていた服の作りや素材を改めて確認した後、洗濯物を集めるカゴに放り込み、書斎から持ってきた仕事を広げてテーブルで書き物をしていると、ソファーで身じろぎする気配がした。


「起きたか?」


 近寄って声をかけると瞼が開き、長いまつ毛に彩られたアイスブルーの目がぼんやりとアレックスを見つめる。


「……っ!!」


 その衝撃にアレックスは少女から顔を背け、目頭をつまむふりで浮かんだ涙を指で拭った。

 目を開けるまでなぜ気がつかなかったのだろう。

 彼女は眼の色こそ違ったが、驚くほど自分の娘に似ていた。生き写しと言ってもいい。

 拾った時にルークに自分と似ていると言われたが、娘にこれほど似ているなら他人から見れば自分とも似ているところが見受けられるに決まっている。


「……!! パパ!! わたしこわい夢見たの! よかった……!」


 ソファーから飛び出てアレックスに抱きつき大声で泣き出した少女をそっと抱きしめ返して頭を撫でる。娘が彼女と同じくらいの歳だったのは十年も前の話で、生きていれば十七歳だ。まして彼女が死んだ話は故郷から遥か遠くの、この地まで伝わってきている。

 だが、それでも父親と呼ばれれば、娘がここにいるように錯覚してしまう。


「レジーナ様から離れろ」


 少女の声が聞こえたのだろう。ズボンだけを身につけ濡れた髪から水を滴らせたまま飛び出でできたランスがアレックスとレジーナの間に入り、威嚇の声とともに彼女を引ったくるように抱き寄せた。


「ランス! 痛い! なんで?! パパよ!」


「パパ……? 」


「嬢ちゃんが寝ぼけて俺と父親を間違えたらしい」


「ああ、そうか。雰囲気も似てると思ったが、ずっと感じてた既視感はヴィルヘルム様か……」


 ランスは目を見開き、納得したように独りごちると少女を抱きしめる力を緩めた。


「レジーナ様、失礼しました。アレックス、すまなかった」


「ヴィルヘルムってのは、嬢ちゃんの父親か?」


 アレックスは動揺を隠してランスに平坦に問うた。

 もしも彼のいうヴィルヘルムと自分の弟のヴィルヘルムが同じ人物ならば既視感があるのは当然だ。

城を飛び出しては市井に混じって放蕩していた弟は良くも悪くも庶民的だったから、船に乗った時に船員達から浮かないように、彼の行儀の悪さや気さくさを真似て自分はアレックスという人物を作り上げてきたのだ。


「……そうだ」


 言い淀んだランスの目が一瞬床を泳ぎ、そしてそれを肯定した。

 そこに掴みかからんばかりの勢いで少女が割って入り、ランスを問い詰める。


「どういうこと?! パパじゃないの?! 」


「……よくご覧ください。この男は貴方の父上ではありません」


「うそよ! じゃあ……あれは……夢じゃなかったの……」


 唇から嗚咽を漏らし、ランスを払い除けて床に伏して泣き出した少女の背中をアレックスは撫でてやる。


「食事にしないか? 腹はすいているだろう。風呂が先がいいなら風呂に入るのもいい」


 無言で顔を上げた少女を抱き上げるとズボンのポケットに入れたハンカチでそっと涙を拭ってやる。


「パパはハンカチなんて持ってないし、よくみたら目の色がちがう……似てるけどちがう……ほんとにパパじゃない」


 髪の間から覗く目を確認したらしい少女の言葉にアレックスは頷いた。


「ああ。俺の目の色は違うな。パパじゃなくてごめんな」


 自分とヴィルヘルムの目の色が違うのはよく知っている。彼の目は彼女と同じ怜悧なアイスブルーだ。自分の目の色は母親譲りのヘーゼルだが、彼は父親と同じ色をしていた。

 泣き止んだ少女をそっと床に下ろして謝ると、少女は美しい所作で礼をした。


「取り乱して失礼しました。私はレジーナです」


 こちらが彼女が外で見せるべきと言われている態度なのだろう。アレックスもそれに倣って略礼を取った。


「俺はアレックス。君達を海岸で拾った。海賊諸島と呼ばれる無法地帯にある島だ。ここは高級な宿屋みたいなもので比較的安全だが、それでも危険だ。絶対に、絶対に、一人で部屋の外には出ないでくれ。ランスは護衛だろ? それとこの部屋の外に出る時は必ずランスと一緒に行動してほしい」


「アレックスと一緒には?」


「建物の中はともかく外は無理だな。万が一誰かに襲われたりしたら他人を守る自信がない。俺は荒事は苦手だ」


「はぁい」


 多少の不満はあるようだが、素直に返事をしたレジーナの手を取ってアレックスは再び聞いた。


「で、どうする? 風呂と食事好きな方を選んでいいぞ」


「えーっと……」


 考え込んだ少女の腹がタイミングよく大きな音を立てる。


「食事からだな。こちらへどうぞ。姫君」


「お庭に見たことのない花が咲いてる。とても綺麗ね!」


 レジーナを、中庭を見下ろすことのできるバルコニーにエスコートして座らせ、余裕のない顔をしたランスを一瞥した。


「デイジーのところから食事を運ぶのと、ここで嬢ちゃんの相手どっちがいい?」


「……食事を運んでくる」


 ランスがテラスの外に出たのを確認して、アレックスは丁寧なメルシア語でレジーナに話しかけた。


「君の父上はメルシア国王ヴィルヘルム陛下であっている?」


「なんで分かったの? ランスに聞いたの? ママもランスも誰にも教えちゃダメって言ってたのに」


 これだけ自分の子供に似ていて、ヴィルヘルムという父親がいるとなればそれしか考えられない。彼女は自分の弟の娘、アレックスの姪だ。

 血の繋がりがあるからとは明かせなかったから、アレックスは嘘ではないが、そのせいでもない事実を口にした。


「ここの島に来る前に貴方の父上にお会いしたことがあるんだ」


「そうなの?!」


「気さくで破天荒で快活で面白かったぞ。すぐにふらふら旅に出て、怒られたりもしていたな」


「それ、本当にパパ? パパはいつも怖い顔して玉座か執務室の椅子に座ってる。戦争やお仕事でどこかに行くけど旅なんて行ったことない。笑ったお顔を見たことないの。王のいげんをつくっているのですって、じいやが言ってたけど」


 彼を知る人間から直接聞くヴィルヘルムの変容に動揺を覚えた。記憶にある彼はよく笑う明るい男だ。


「私がお会いしたのはまだ王様が君のおじいさまだった頃だから、そのじいやの言う通りなんだろう」


「怖い顔してないパパは、おじさんみたいな感じだったのかな」


「そうだな……似てるんじゃないか?」


正確には似せているだが、側から見る分には同じだ。


「……それだったら、ママはランスじゃなくてパパと仲良くなって、おうちにいれたかな……」


 それに返す前にランスが扉を開ける音が聞こえてアレックスはレジーナに口止めした。


「おっと、戻ってくる。俺が陛下に会ったことがある話は二人ただけの秘密だよ。いいね」


「ひみつね! いいよ! パパとひみつが出来たみたいでうれしい。あ! 私のことはジーナって呼んで」


「私のことはアレックスかアレクと呼んでくれ。ウィステリアやウィスと呼ばれることもあるが、アレックスの方がいい。親父がくれた大切な名前なんだ」


「パパじゃだめ?」


 娘と同じ顔に問われて心が揺れたが、アレックスはなんとか首を振った。


「その呼び方は君の父親だけのものだ。私なんかに使ってはいけないよ」


 言い聞かせるような口調になったのは彼女のためか自分へのためか、自分でも判断がつかなかった。

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